02 九鬼城砦壱番街
置かれた環境によって無限に変化、進化するといわれる
……そんな進化をする可能性が、あるなら。
いつかは
王は、意図的に修羅の世界を用意して、意図的に淘汰圧(用語解説※1)を作りだし、意図的に
それが、
別名、
……そう、スライ・スライが言ってたプレイヤーという言葉は、単純に、日本語を知った
ここは地球に侵略した様々な異世界の様々な種族たちがパーティを組み、九鬼城砦内の
「…………マジ、か」
【九鬼城砦壱番街】と書かれたネオン門を前に、僕は呆然と呟いた。
在りし日の新宿を思わせる喧噪。
でもそれは全部、モンスターたちのどんちゃん騒ぎ。
使い込まれた革鎧を着込み、大剣を背負った
ほぼ全裸に近い手のひらサイズの
その横には毒薬の紫・廃墟の赤錆・墓場の苔、の3色を
「ふむ……オレが出てきた時分よりやはり、大きくなっておるな」
街を案内すると張り切り、僕たちの先頭に立つスライ・スライは、懐かしそうに目を細めながらあたりを見回した。
「だ、大丈夫ですか、ほんとにボクたち……? 人間、ですけど……」
街に入ってからびくびくしっぱなしのリサさんは、怯えた声。無理もない。彼女の真横に出ているラーメン屋台、店主は
「ふふ、言ったろう。ここでは誰もが等しく経験値でしかない。人間だろうとモンスターだろうとな。人間の冒険者は少ないが、いないことはない。無論、人間を見るとお腹がすいてくるなあ、みたいな種族はすげーいるけど。でも、ほらあそこ!」
繁華街の大通りを進んでいくと、突如、場違いじゃないかってぐらいしっかりした作りの建物が見えてきた。粗雑な作りの貸しビルや、一押しすれば倒れそうなバラックと違い、明治時代に西洋建築を意識して建てられ今では文化財です、みたいなレンガ作りのやつ。
入り口に掲げられた青銅の看板には、重々しい字で書いてある。
「
「上はその限りではないが、少なくとも壱番街で人間に手を出す馬鹿はおらん。鳥の腹を割くヤツはいない、と、おまえらの言葉であるだろう?」
……それは日夜お肉やさんが普通にしていることでは……?
「…………あ、金のガチョウね。金の卵を産むガチョウの腹を割くヤツは、いない」
「うそマジ!? そんなの持ってるの人間!?」
「……あー、うん、持ってる持ってる」
「すっげー……ね、ね、今度見して、見して」
「あー……今度ね今度ね」
訂正が面倒くさくなってそのままにした。目の前の光景の方が、スライ・スライの頭より遙かに衝撃的だったからだ。
文字の意味不明さに、事前に説明を受けている僕でも首をひねりそうになる。
なんでもここは、モンスターたちが魔石を
……そう、銀行。
モンスターたちには人間のように、
……そもそも「僕たち
この街を作ったヤツの計画が、僕にはびんびん感じ取れる。
人間を都市システムの中に抱えることで
文明を作っている。
手段や度合いはかなり違うけど、これはきっと、僕たちのご先祖様が発展していった時と、だいぶ似ているだろう、って気がする。
怖がるべきか、それとも感動すべきなんだろうか?
もしくは、ここを作ってる、元人間の転生者だったという
「あー……ここの人たちは、解放? したりしなくて、いいんだよな」
自動ドアから見える、窓口の中に見える人たちを見ながら呟く。銀行の受付の人にしか見えない人が、内部に通帳と印鑑を飲み込んだスライム(かわいいタイプのヤツじゃなくて、洋風のドロドロやつ)相手にたぶん、定期預金かなにかの案内をパンフレットを差し出しながら勧めている様子は、とんでもなくシュールだ。
「今残ってるのは、好き好んでここにいるヤツだけだ、人間の街に戻してやったら、逆に迷惑がるだろうな」
「え、そーなの?」
「
「……あー、投資家、証券、それがらみの人たちってことか」
だんだん、話の深いところが見えてくる。
つまり……レベルアップの日を生き延びた投資家やら証券の人やらが……
……モンスターの経済を牛耳ろうとしている……?
いや、あるいは、これからの経済の潮流、トレンドはモンスターが作るとして、いち早くそれに適応した。レベルアップの日以降、大暴落株となった各国の政府、それが作る円やドル、それで動く企業にきっぱり見切りをつけて、金本位制ならぬ魔石本位制の
「す……すごい、ですね、たくましさが……」
リサさんはあきれたような、感心したような口調。
「え、全然わかんないんだけど……脅されて働いてるんじゃない、ってこと?」
「そ、そういうことだと、思います。むしろ……モンスターを脅せる立場に、いるんじゃ、ないでしょうか。
「いーや、連中は強いぞ、オレたちより。ゼキンの力はすさまじい」
スライ・スライの言葉を聞いて、僕は思わず叫んでしまう。
「うそ、税金まであんのここ!?」
「最初は皆理解もできなかったが、喜んで払うようになった。この街はほとんど、その税金で大きくなっているからな」
へたすると失業保険とか国民健康保険とかまであるのかもしれない……と想像すると、笑い出しそうにさえなってしまった。
「大きくって…………ひょっとすると……あ、建物とかも……?」
「ああ、なんでもある。建材やら服やら食料やら、便利なモノが目白押しだ。あの銀行のビルも、
「でも……モンスターから税金なんて、どうやって徴収……」
そこで、あ、と気付いた。
スライ・スライはにやりと嗤う。
「その通り。
「……断ると?」
「
言葉とは裏腹、スライ・スライは首をかききるジェスチャーをして言った。
「……にしても、たった2日……いや、そうか、この中は、2年が過ぎてるのか……でもそれにしても、進化が早すぎじゃないか……?」
「元々我々のいた世界でも、そういった決まりがなかったわけではない。ゴブリンはまったく関わっていなかったがな。だが王はこれを
と、少し先にある町内掲示板みたいなものの前に走るスライ・スライ。こんこん、と1枚のポスターを叩く。
「このおじさん」
壱番街広報、と書かれたそこには、信じられないことに「役所からのお知らせ」的な、誰が行くんだろうと謎になる伝統行事のお誘いや、最近越してきた方への案内なんかが張ってある。そして横に大きく……
「……都知事」
おじさん、というにはエネルギーに満ちあふれすぎている写真だった。
ぴっちりてかてかオールバックにツーブロック、かなりムキムキで、結構日焼けした体をライトブルーのスーツに押し込んだ、まさしく営業ソルジャーって感じの人。
都知事、
「ゼキンとやらが最後まで理解できなかった
慣れた足取りで雑踏を歩くスライ・スライに、なんとかついていく。そして彼が銀行横にあるウェスタン風な建物に吸い込まれていったのを見ると……
……僕たち3人とも、ごくり、唾を飲んだ。
〈冒険者ギルド 新宿繚夜本部〉
たしかに、看板にはそう書いてある。
「……おい、どうした? はやく来い来い」
いぶかしそうな顔で振り返るスライ・スライ。僕らは顔を見合わせた。みんなの顔には不安と興奮と緊張……そして、雑に絡みに来るパイセン冒険者の想像図が複雑に入り交じっている。僕らは互いに言葉なく頷いて、スライ・スライのあとを追いギルドの中へ歩みを進めた。
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※用語解説
※1 淘汰圧
淘汰とは進化において、世代を経ることで特定の形質を持った生物個体の割合が減少していくこと。逆は選択。選択が働く要因を選択圧、淘汰が働く要因を淘汰圧と言う。
たとえば、とある鼠の集団において、3割の鼠が厚めの毛皮を持っており、残りの7割は薄めの毛皮を持っていたとする。どちらも繁殖する機会が十分にあり、生存にはなんの問題もない。しかしここに氷河期が訪れ、7割の薄めの毛皮の鼠は生存が困難になっていった。彼らは世代を経るごとに徐々に少なくなっていき、氷河期が続いていく限り、この鼠の集団では多数派の鼠は厚めの毛皮となるだろう。
この場合、薄めの毛皮の鼠にとって氷河期が淘汰圧として働いた、あるいは、厚めの毛皮の鼠にとって氷河期が選択圧として働いた、といえる。
ただし進化を考えるに当たって、正解や意思は存在しない、ということに留意しなければならない。上の例で言うなら、厚めの毛皮の鼠が10割になったところで、環境変化により生息地域が熱帯化する、といったことも考えられる。ある環境に適応した姿はだいたいの場合、別の環境には適していない。今度は厚めの毛皮の鼠が数を減らしていくだろう。もっともその時にはまた、この厚めの毛皮の鼠の群れの中で、有用な突然変異を持った個体が生まれているかもしれない。あるいは生まれていないかもしれないが……それは誰にもわからない。突然変異は、突然なのだ。予想はできない。できる、という方は私だけにこっそり、来年に10,000倍になる仮想通貨を教えてほしい。
また鼠たちは、氷河期に適応しようとして毛皮を厚くした
人間としては、ここに理由、意思があるのだ、と思ってしまう。
しかし自由意志の存在証明はさておくとして、明らかに意思を持っていないであろう細菌やウィルスの世界においても、この一連の流れ、進化のプロセスは変わらず見られる、という点に留意してほしい。細菌は自ら望んで排泄物を分解する能力を手に入れた、と考えるのは、だいぶ楽しいが……
……しかし実際のところ、これはインターネット上のポルノと同じだ。
どのような環境(ジャンル)であれ、そこに生息している種が必ずいる。
生き物は生きていく物であるから、そこで生きるだけだ。
人間はそこに意味を見いだすが、自然が意味を持つのは、宗教の世界においてのみである。科学は意味を必要としない。できない、と言った方が正しいが。
一般語彙の中に組み入れられ、ポジティブなニュアンスを持った進化という言葉だが、本質的にこれは、雨が降り、やがて海に流れ着き、蒸発し、雲になり、また雨が降る、といった、物理的な現象が連なるプロセスでしかなく、ここに善悪は存在しない。地球が回るのは善である、とは、さすがのガリレオも言わないだろう。
進化が善であるとするのは、地球が回ると主張するのは悪である、とさして変わらない行為だ。観測可能な世界の中には、観測可能な事実しか存在し得ず、それ以外のなにかがあるように見えてしまうのは主に、我々の頭の中に、それが存在しているからだ。果たして頭の中にだけ存在しているものを、科学的に、存在していると言える、とすべきだろうか?
自由も平等も実在しない。それらは科学的に観測可能なものではないからだ。しかし自由と平等を実践しようする人間はいる。科学的に観測するのはいささか困難ではあるが、ゼロである、とは言えない。
あるいは10,000円という
我々はこのあたりでよしとすべきだろう。
核戦争後のポストアポカリプス世界で数千年が過ぎたとして……放射線を通さない頑丈な毛皮と、獲物を引き裂く牙と爪を獲得し、代わりに知性が著しく減少し、道具を作らなくなり、言葉を話せなくなり、集団行動を否定する、新たな人間がその数を増やしていったとしたら、そのときにもやはり、真摯な科学者なら、こう書かなければならない。
人間は進化した、と。
……もっともその時にはもう、文字を書く必要はないだろうが。
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