10 A hero

「…………なんで……死んで、ないんだ……?」




 蛍光灯をぼんやりと見つめながら、僕は呟いた。むき出しの鉄骨、駐車場みたいなコンクリート造りの天井、そこにぶら下がる、たぶんLED蛍光灯……僕はどうしてか、ふわふわなソファに寝かされている。


「……うそ」


 と、身を起こそうとしたところで、がちゃん、という音がした。見ると、部屋の入り口らしきところに制服コーデの色葉がいて、トレイに乗った食事を見事に、床に落としていた。


「あ、色ぼぉっ」


 ダッシュしてきた色葉が横っ飛びに僕に抱きついてきて、起こした体をまたソファに叩きつけられて妙な声が出てしまう。けど色葉はおかまいなしに僕の首筋にしがみついて、鯖折りかよって勢いで抱きしめてくる。


「な、なんっ……ば、ばかっ……君だけ、君だけ、起きないから、お、おきない、起きなかった、から……」


 ひぐっ、としゃくりあげる音がして、僕はようやく状況を思い出す。

 そして色葉がパニックみたいな感じになって僕に抱きついてきている原因も。




 彼女はいつも、僕が病気したり怪我したりするとこうなる。普段の、自信に満ちあふれた完璧超人ヒロインは消え去って、幼児退行したみたいになってしまう。




「……あー、いや、なんだろ、たぶん、大丈夫……だと思うけど」

「しっ……心配っ……心配したのぉ……! お、起きなかったら、ど、どうしよう、わ、わたし、1人に、なっちゃ、うぅ、ってぇ……っっ!」


 自分の体をあちこち動かしてみながら答える。どこも痛くはないし、包帯が巻かれているような気配もない。なにか胸の中が熱いような気がするけど……どん、どん、と、かなりの強さで色葉が僕の胸を叩いてくるせいだろう。

 彼女の背中に手を回して、ぽんぽんと叩き、頭をなでてやる。赤ちゃんかよ、と思うけど、こうしないと数時間は使い物にならなくなるから仕方がない……やっても小一時間はならないけど。


「色葉、なにが起きたんだ……? ここは?」


 彼女に押し倒されたまま、首をあたりに巡らせる。

 こうでもして気を紛らわせないと、彼女の体がすっぽり、僕に覆い被さっている今はいろいろ……かなり……いや、絶望的な努力を必要とするぐらい大変だ。今ぐらいなら僕には、やれやれっていう権利があるような気がしたけどやめといた。




 あたりは……居間、みたいなところだった。




 天井が鉄骨剥き出しなところを除けば、趣味のいい、それもかなり教養がある小金持ちの、すごく広いリビング、って感じの部屋。

 僕が寝ているソファを中心に、やたらでかいテレビに、各種ゲーム機、映画のパッケージ、どでかいステレオシステム。少し離れたところにはグランドピアノに、アメリカンサイズなフルタワーPCとデスク。

 壁には……なんか洋物の画集とかが入った本棚がぎっしり。日本語の本もあったけどどれも、図書館で開館以来誰にも借りられてないんじゃないかってぐらい重たく、分厚いやつばっかり。そして床のカーペットは……カーペット、ってより絨毯、って感じのやつ。色葉の落とした料理のシミが落ちるかどうか、今から不安でしょうがない。おまけに電気はちゃんと来ているようで、エアコンの音が薄く聞こえる。


「……君、どこのタワマンに押し入った……?」


 と、尋ねてみるけど、色葉は泣きじゃくったままぶるぶると首を振るだけ。しかたなく僕は彼女が落ち着くのを待つことにして、そのまま彼女の背中をぽんぽんとしながら、頭をなで続けた。僕は人生で、こんなことばっかやってる気がする。


 誰かに話したらどうせ、なんて役得だって言われるだろうから誰にも言ったことがないし、僕だって役得だって思ってるフシは、ないではないけど……


 ……こういうのを年に10回弱、小学校あたりから繰り返してると、役の得もインフレしすぎてありがたみはない。だいたいこの役得があるときの僕はたいてい、39度の熱があったり、自転車でこけて右足を3カ所折ってたり、そういう時なんだぞ……。




 数十分。

 ……ひょっとすると小一時間。




 世のちゃんとした人はこういう時、腕がだるいなぁ、みたいに思わず、泣いてる人の頭をなで続けられるんだろうか? 色葉がこうなったときはひたすらあやしてやるしかないので、次の日は腕が変な風に筋肉痛になってしまう。まったく、マウスとコントローラーぐらいしか持ったことのない腕に重労働をさせやがって……みたいなことをぼんやり考えていると、泣き声は聞こえなくなっていた。

 ようやく僕は口を開こうとしたけれど……。




 寝てる。




 安心しきったのか、僕の体に蝉みたいにしがみついて、くーすぴーと寝息を立てている。涙と鼻水で胸のあたりがぐちゃぐちゃだ。

 やはり僕には正当に、やれやれって言う権利があるような気がしてならない。


「やれや」

「あ」


 と、そこでドアの前を通りがかったリサさんと目が合った。

 彼女は床に落ちたトレイと料理、そしてソファで絡み合っている僕らを交互に見つめ……徐々に顔を赤くさせていき……


「……いや違うからね、これはそういうのじゃ」

「あ! い、いえッ! その、あの、はい、いいと、思いますっ」

「なにがだ……」


 リサさんを呼び止め、状況説明したりされたりするにはもう小一時間かかった。

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