冒険者ギルドの料理番

和泉鷹央

雪豹のオフィーリア

第1話 指定災害魔獣と雪豹の少女

「ええいっ、もう! こんなに強いなんて聞いてないわよ!? さすが伝説の魔獣――わたしの故郷を滅ぼしただけあるわ……」


 雪豹族の獣人の少女、オフィーリアは危機に陥っていた。


 *****


 季節は春。

 王都郊外の山岳地帯に、災害指定魔獣パープルウルフが現れたと市民に対して警報が発せられたのは、先週頭のことだった。

 冒険者ギルドや魔猟ギルドを中心とした対策チームが組まれ、出現した翌日に山岳地帯の一部が入山禁止となった。

 パープルシェイブは豪雪地方に住む大型魔獣の一種で、人間並みかそれ以上の知能を持つ高等な知的生物だ。

 全身は三メートルほどある狼によく似ていて、巨大な一角を頭頂部に持つている。

 たまにホーンウルフと間違えられるが、全身を薄く覆う紫のオーラで見分けがつく。

 人間族や獣人族、他の魔獣を好んで狩り、捕獲して食べてしまう。

 性格は残忍で狩りの仕方も、一風変わっていて、目くらましを使う。雪を自在にあやつることで姿をかくし、腐毒の効果がある紫焔をはっして、獲物を焼き体力をじょじょにうばって死に至らしめる。

 その過程を楽しんでから死体をあさる。

 たまに仲間の死体をそのまま放置しておき、回収にきた他の個体を罠にかけて食べることもある。

 残忍な手口と、腐毒の紫焔が恐ろしくて、下級冒険者の手には負えない相手だ。


「くくく……ユキヒョウの娘とは、これまた珍しい食材がやってきた」

 

 轟轟と音を立てて雪の竜巻がうなりを上げる。

 戦いの最中、いつのまにか中心部に囚われてしまったオフィーリアは、どこからともなく吹き付けられる腐毒の紫焔によって、肌を焼かれ消耗しきっていた。

 

「誰が負けるもんですか、あんたを倒してみんなの仇を取るんだから!」

 

 オフィーリアはまたやってきた紫焔に軽く頬を焼かれ、顔をしかめた。

 だが紅の瞳には抵抗の意志が宿っている。


「負けを認めたら楽になれるものを。そうやって焼かれて死に行くだけの運命だ。可哀想に」

「あんたなんかの憐れみなんて、結構よ!」


 春を迎えようとした山の稜線は芽吹きはじめた緑でおおわれていて、ほんとうなら雪はほとんど解けている時期だ。

 なのに、季節外れの雪の華が、盛大に舞っている。

 昼時。太陽は中天にありさんさんと優しい日射しを山裾に降り注ぐ。

 そのため、パープルウルフが生み出した魔法の雪は、一つまた一つと、その盛りを過ぎ、翳りを失っていく。

 だが、完全に消え失せるにはまだ暖かさが足りない。

 

「こんな腐蝕の雪! 私の炎で燃やし尽くしてやる!」

「ははっ。無駄だ、雪豹族の娘。仲間と同じく喰らってやろう」


 オフィーリアは両手に魔力を込めて、能力を発動した。

 雪豹の獣人は、体内に氷の精霊を宿して生まれてくる。

 扱える能力は普通の炎よりも高温で燃える浄化のスキル、『氷炎スノウフレイム』。

 パープルウルフの発する腐蝕の紫焔と正面から激突した氷炎は、はげしく火花を散らし時たま、雷火をほとばしらて絡みつく。

 清浄の炎と腐蝕の炎。

 相反する両者が混じり合い、互いにけん制し合って、どちらかを飲み込まんとする。

 その勢いはまだ雪の竜巻を維持しているパープルウルフのほうが強く、さすが指定災害魔獣といったところだ。

 対するオフィーリアは氷炎の勢いは負けていないものの、次第にじりじりと押されているのが、はた目にもわかる。

 明らかな劣勢。

 しかし、雪豹族の少女は諦めない。

 パープルウルフは故郷の村を全滅に追いやった、仲間の仇だからだ。

 ここで逃してしまったら、次にまみえるのはいつになるかわからない。

 刺し違えてでも倒しておくべき相手。

 オフィーリアに、逃げるという選択肢はなかった。


「誰が、あんたの餌になんかなるものですか!」


 意志も強く、氷炎を追加で放つ。

 凍てついた蒼が舞い、辺りは一面の雪景色から、正しい初夏の芽吹く緑の園へと姿を戻そうとしていた。

 ゴウッ、と腐った雪を燃やし尽くす、恐ろしい風が吹く。

 魂を凍らせるように、触れたもの全ての熱を奪うかのように、大気は揺れた。

 オフィーリアの眼前は、彼女の意思により、一面の銀色に支配される。

 パープルウルフの維持していた魔法の嵐が、吹き飛んだのだ。


「おおう、これは大したものだ。さすが、雪豹。ほめてやろう」

「ふざけんなっ!」


 天より高く、燃え残った無数の雪の華が舞い降りる。

 しかし、オフィーリアの灼熱の熱によりあえなく溶けていく。

 もしくは、溶け始めた川の上に吸い込まれ、ほんのわずかな虚無の世界を作り上げる。

 それから襲いかかる熱に怯えるようにして溶けていき、雪の華はその合間の世界をふわり、ふわりと永遠に舞い続けるように飛んでは散った。


「だが、続かんな。もう魔力も底を尽きたように見える」

「くっ……! こんなはずじゃ――」


 何度も何度も挑んでは同じように繰り返される一連の様を見て、オフィーリアは命の灯火が掻き消えてしまうような、そんな心地を味わっていた。

 それだけ、相手の能力は偉大であり、暴威。思わず膝を屈してしまう。


「何よこれっ! くそっ‥‥‥なんて炎の威力なの。化け物め――!」

「これぞ我が紫焔。岩を溶かし、肺腑を焼き、空気を腐らせる」


 地面や岩をも瞬時に溶かす紫焔はやはり、強大だ。

 どうすれば氷炎で対抗できるのか、とオフィーリアは己の非力さに無念の思いを吐き出す。

 紫色の炎は濃密に世界の一角を埋めている。


「いいえ、まだよ! まだ終わってない――終わらせてなるもんですか」


 そこに、他の何者も存在することを許さないかのように。

 仄暗い、その中に、一点。

 生きるための光を放つ。

 空のような蒼。

 同時に、銀色の輝きをまとい、オフィーリアは立ちあがる。

 その姿は、あたり一面に燃え盛る紫の炎に逆らうかのようだった。

 がむしゃらに一心不乱にただ生きることだけを望んで。

 彼女は髪を紫の風に弄らせながら、蒼い炎を身に纏っていた。

 腰ほどにもある銀髪が映える、キャメル色の革のジャケット。

 真っ白な麻の開襟シャツをその中に着込み、膝上までの黒のスカートと、上着と同じ色のブーツを履いている。

 胸元には氷の精霊使いであることを示す、黒と銀色の剣が交差した意匠を施したネックレスを下げていた。

 呪文を行使している時に浮かび上がる幾何学と唐草文様が交じり合ったような紋章が、服の下から浮かび上がり二の腕を緑色に染め上げる。

 そして、魔法を扱う際にまとうオーラは蒼。

 水系の魔法の色だ。

『氷炎使い』が、オフィーリアの異名だった。


「もっとたくさん食べてくればよかった――」

「なにを言っている。お前はいまから我に食されるというのに――」

「あんたの胃袋なんかに入る気はないわよ! はあ……」


 苦悶の表情の中、少女はそんな愚痴をこぼす。

 昨夜口にした、故郷の味によく似たギルドの食堂料理が、思い返される。

 だけどあの場所には――多分もう、戻れない。

 己の支配する魔法の領域が、じりじりと相手の魔法によって浸食され犯されていくことに歯噛みする。


 異質の世界。

 黄金のようでもあり、太陽のようでもあり、月のようにも輝く――紫が導く死の世界。

 なによりも魅惑的で、一度それを目にしたら触れずにはいられない、誘いをかけてくる。

 触れれば、細胞の一粒すら残さず、魂まで焼き尽くされるだろう。

 そんな凄惨な状況にあってなお、彼女の顔は死を忘れさせるほどに美しかった。

 人ではないようだった。それだけ彼女の容姿は整っていた。

 

 ジネアドルと呼ばれる雪豹の獣人。

 雪の国に住み、氷の精霊と契約し、蒼き炎を世界に再現することのできる一族。

 銀髪に紅の瞳、長い尾と頭上の獣耳には白黒の斑点がある。今は革のジャケットに隠れて見えない両腕にある、蒼炎の紋章。

 それらが、彼女は人でないことを示していた。


 また、轟々と風が吹く。

 その圧に負けて、オフィーリアは、足元を揺るがせた。

 風が去っていく方向に、数歩、後退する。

 それよりも長い髪の先が、紫の炎にじりじりと焼かれ、焦げて、小さく爆ぜた。


「ちくしょう……っ!」


 見据える相手の力が、己の炎を同色に染めることに、憧憬に近い畏怖を覚えてしまう。

 さらに、どうっ、どうどうっ。轟――っと相手は勢いに任せて、畳み掛けるように、先ほどよりもより強い圧をかけてきた。

 気後れしたほうが先に死ぬ、そんなやり取りの場所。


「やっぱり、もっと食べてくるんだった」


 今更ながらのように後悔を口にすると、いよいよ自分の命が尽き果てるのも近いのだと、己に覚悟を定めた。

 それから幾度となく、容赦のない猛攻が、オフィーリアの領域を狭めていく。


 たった一度。

 ほんの一瞬でいいから。

 触れるだけ。


 刹那の瞬間を、オフィーリアは望んでいた。

 氷炎は触れてたらあらゆる対象を浄化の炎で焼き尽くす。

 触れるだけ。

 ただそれだけでいいのに、何故かやつの体には、蒼い炎が届くことはなかった。

 炎の帯を受け付けることがないのごとく。まるでそこに見えない壁があるかのごとく。

 紫の揺らぎは、世界の一角を支配して、寄る者を受け付けない。

 それは神が起こす奇跡のようで、魔が放つ奇跡とは真反対の瘴気のようでもある。

 奇跡はすべてを生かし、瘴気はすべてを滅ぼす。


「できるものなら、触れてみるがいい。かなわんだろうがな?」

「ええ、やってみせますとも! 言われなくっても!」


 誘うかのように、紫焔はオフィーリアのすべてを覆い尽くしていく。 

 オフィーリアはとうとう圧に負け膝をつき、その銀髪が胸元まで焼け尽きたのを目にして、パープルウルフは不意に顔を歪めた。

 人でもそれ以外でもない魔に属するその猛獣は、明確な意志を現わして、今度は反対側の頬を歪めた。


 ――笑った?


 自信の髪が爆ぜた熱を吸い込み、片目を瞑ったオフィーリアはそんなことを思った。

 ワニのように長く細長いそれは、鼻先から目元にかけて上下にぱっかりと薄く、深く裂けている。

 中には人ひとりを簡単に食い裂くことができるほど鋭利なヤニ色の凶器が、序列よく口元から奥へと並んでいた。

 黒い唇は、確かに明確な意志をもって開かれた。

 そう、オフィーリアには見えた。

 ありとあらゆるものが非現実的すぎて、逆に笑いがこみ上げてくる。

 これほど魔法文明が進化した現代に、いまだこんな幻獣とも称される生き物が、肉体をもって存在していたなんて。

 オフィーリアが持つ魔獣に対する常識など、当の昔に失われている。

 そんな幻想的な状況の中で、魔獣はどこまでも清らかな声で遥かな高みから望むように、オフィーリアに声をかけてきた。


『雪の子、よ。どうして死を望む?』

「何を」


 いまさら、何を語る必要があるのかと。

 そう、オフィーリアは訊いた。

 今は命のやり取りをしている真っ最中だというのに。

 何を語ることがあるのかと。

 感情うまく言葉に乗せることができない。


 瞬間、瞬間。

 刻一刻とやってくる紫焔の熱さに喉をじりじりと焼かれ、やがて肺も灰となる。

 その恐怖も相まって、上手く言葉にすることができなかった。

 だが、魔獣は彼女の想いを全て理解しているというように、歪めていた口元を正し、ゆっくりと頷いた。

 何もかも承知しているかのように。

 すると、彼女の周囲を狭めていた圧が、ほどなく緩められていく。

 慈悲深いのか。

 それとも、強者のするがごとく弄び尽くしたいのか。

 もしくは、オフィーリアがこの魔獣のことをほとんど理解していないから生じた誤解なのか。

 そのどれかにも値しない、単なる仕草だったのかもしれない。

 けれど、オフィーリアは感じた。

 ‥‥‥生きる時間が延長された、と。

 再び、魔獣は言葉を紡ぐ。


「死を望むならくれてやろう。だがそうでないのなら、しばし遊んでゆけ」

「簡単そうに‥‥‥あなたは何をもとめるの?」


 自分は退屈だから、暇つぶしの相手になれ。

 そう言われているようで腹が立った。

 こっちは命を賭けて挑んでいるというのに。

 あっちは全く歯牙に掛けず、己の意思を貫き通そうとする。

 拒めば死が待っているだろう。

 望めば生を得ることができるかもしれない。


「簡単なことだ。残れば、与えてやろう」

「一体何を与えるというのよ!?」


 再び、どうっと。ゴゴウっと風が吹く。

 熱風が吹き乱れ、オフィーリアが産みだした雪の華たちが敢え無く散らされ、蒸発して消し飛んでいく。

 魔獣はどこか煩わしそうに、目を細めた。

 爛々と輝くその目は先ほどまで宿していた虚無の光から、智的な怜悧な何かへとその姿を変えていた。

 紫焔が竜巻のように舞い上がり、オフィーリアはその下で舌禍を招いたかと大きく後悔をする。

 魔獣は巨大な姿を目くらましの雪嵐のなかから現した。

 それは、幼い頃に絵本や伝承の記録に記された絵で見ただけの、伝説の巨獣そのものだった。

 

 頭の中に、凛とした声が響き、山脈のような紫の炎が割れた。

 そうして、その導きはオフィーリアの心に届いた。


「例えば――我が紫の炎とその支配について」


 オフィーリアの自我は絶句する。

 心はその申し出を拒絶し、脳は最大限に魅惑に抗おうとしていた。

 そんなことをすれば‥‥‥己は雪の子でなくなる。

 ジネアドルでなくなり、偉大過ぎる力は、それ自体が自我を持ち、新たな災いをもたらすだろう。

 なにより、そんな厄災を払うためにここにきたのだから。

 生きるよりも、戦い、死を選ぶことは、当然の責務だった。


「私は――‥‥‥ッ!」


『氷炎使い』は死期が足音を立てて間近に迫ってくるを悟ると、己の魂を燃やしそれを最後の糧にして、静かに立ち上がった。


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