閑話 キックする令嬢、生涯の友に出会う

(三人称視点)


 物語を進めるには時計の針を少々、巻き戻さなくてはならない。

 ベアトリスが十四歳になり、学院へと入学した頃にまで遡る。


 フォルネウスとカラビア。

 帝国の双璧と呼ばれる両公爵家の動向は常に注目を浴びる的である。

 それは貴族社会だけに留まらず、民衆の間にも広まっていた。


 一例として挙げるのなら、貴賤を問わず、広く読まれている大衆小説がある。

 対立する貴族の家に生まれた公子と公女が、様々な嫌がらせにもめげず、愛を成就させるという典型的なロマンス物語に過ぎない。

 問題はその登場人物がカラビアの御曹司ライオネルフォルネウスの令嬢ベアトリスがモデルになっていると実しやかに噂されていたことなのである。


 それだけの強い影響力を有するのが、二大公爵家という大貴族なのだ。




 フォルネウスとカラビアの次男坊ナイジェルとリチャードが、相次いで学院を卒業すると女生徒の流す悲しみの涙で川が出来たとまで言われている。

 勿論、いささかの誇張が含まれていることは否めないが、それだけ人々の関心が集まっていたのは事実だった。


 そして、その年の新入生に噂の令嬢――ベアトリス・フォルネウスがいる。

 期待値はいやが応でも高まっていた。

 これは自然な流れだったと言えるだろう。


 銀で紡いだ糸の如く、陽光に煌めく美しいシルバーブロンドの髪。

 夏の晴れやかな空模様を映したかのような澄んだ青い瞳。

 背丈こそ、伸び悩んでいるのか、周囲の生徒よりも低かったが、どこか大人びて見える顔立ちといい、人目を引く容姿であることは間違いなかった。


(遠巻きに見られているだけで面白くない)


 入学式でベアトリスが抱いた感想がこれである。

 これまで様々な個性的とも言える面々と出会い、大人でも成し得ない貴重な体験をしてきた彼女だからこそ、その境地に至っているとも言えた。


 実際にはベアトリスの実家であるフォルネウス家の家格と彼女自身が発する近寄りがたい雰囲気に誰も話しかけたり、近寄ることが出来なかっただけなのだが……。


 しかし、波乱万丈な前世を送り、知力・体力共に優れているベアトリスにも唯一、苦手なものがあった。

 それは致命的な方向音痴でよく迷子になることだったのだ。


 入学式はつつがなく終わった。

 あとはクラス分けされた教室に移動してから、解散というのが流れであり、ベアトリスも自分の教室へと向かおうとして、案の定迷っていた。


「おかしい。こちらで合っているはず」


 本来、曲がらないといけないところを逆の方向に曲がったベアトリスが、辿り着いたのは演武場だった。

 屋内で武術や魔法の実戦を行えるように魔道具が設置されている特殊な建物である。

 授業が行われない限り、普段はあまり人気ひとけがないことでも知られている。


「お前、ラビクル家だろ?」

「だったら、どうだっていうんです?」

「丁度いいや。こいつに代わりに責任取ってもらおうぜ」

「それはいいな。見た目も悪くないしな」


 少女と数人の少年が言い争っているような声だった。

 比較的、鋭敏な神経の持ち主であるベアトリスの耳には、内容と感情の機微までが伝わっている。

 一人の少女を相手に複数の少年が言いがかりをつけている。


 そう判断したベアトリスは早速、行動に出た。


「待ちなさいっ!」


 鈴が転がるような声と引き締まった細く、美しい足が少女の手首を掴もうとした少年の脇腹を捉えたのはほぼ同時である。


「ぐべあらっきょ」


 意味不明の呻き声を上げ、少年の身体が二転、三転と宙を舞った。

 瞬きをしている間に少年は演武場の壁にしたたかに叩きつけられ、目を回していた。


「ちょっとやりすぎちゃったか」


 いつの間にか、少女と少年らの間に割って入るように姿を現したベアトリスは、罰を悪そうに乱れた髪を直す。

 中段蹴りの姿勢のままなので片足を大きく上げた状態に少年らはどう反応すればいいのか、困っていた。


 見たことのない銀髪の少女――ベアトリスに仲間が蹴り飛ばされたからではない。 足と下衣が露わになっているにも関わらず、当の本人が気にしているように見えないからだ。


「女の子一人を相手に徒党を組むなんて、恥を知りなさい」

「い、いや。違うから。僕らは分からせようとしただけで……ちょっ、待って。暴力は反た! ぶでゃぁばらあ」


 ベアトリスは中段蹴りの姿勢のまま、上げていた右足を一度、下ろすと上体を屈め、屈伸した膝のバネの力を利用して、軽やかに宙に舞った。

 まだ、何かを言おうとしていた眼鏡の少年の脳天にベアトリスの踵が勢いよく、落とされる。

 眼鏡の少年も意味不明の呻き声を上げ、大地とキスをする羽目になった。


 周囲にいた仲間の少年達もどうにかしなければいけないと動こうとしたが、ベアトリスの動きはそれに先んじていた。

 眼鏡の少年をそのまま、踏み台にして再び、軽やかに宙に舞ったベアトリスを前に少年らは無様な泣き声を上げるしかない。


「きゃもぅねぐぃ」

「ぎゃぎぃとりぃぃ」


 目の前で繰り広げられる突如として始まり、唐突に終わった闘争劇に渦中にあった少女――エリカ・ラビクルも困惑の色を隠せないでいた。

 エリカもまた、新入生だ。

 奇しくもベアトリスとは同級生なのだが、この時は互いにそのことに気が付いていなかった。

 それだけのことである。


「あ、ありがとうございます」

「気にしないで。わたしが勝手にやっただけだから」


 エリカはここでようやく、自分を助けてくれた少女が誰なのかということに気が付いた。

 銀と青の色を持つ貴族の家は一つしかない。

 ラビクル家は男爵位にある諜報を生業なりわいとする影の一族である。


 表向きには元来は商家であり、財を成し国への後見が認められ、叙爵されたということになっている。

 その為、平民上がりと侮られることも多く、ラビクル家の者であると知れた途端に難癖を付けられることも少なくはない。


 ただ、ラビクル家に生まれた者は幼少期より、のでそのくらいは笑って受け流す余裕を持っているのだ。

 エリカはこの大貴族の令嬢に純粋な興味を抱いた。

 自分は助けなど、特に必要としていなかったのにさも当たり前の行動をとったと言わんばかりに自然な令嬢が気になって、仕方なくなったのだ。


「えっと……それでね。ここはどこ?」

「はい?」


 吹き出しそうになるのをどうにか、こらえたエリカがベアトリスを教室まで案内すると何と同じクラスであることにようやく、気が付いた。

 この出来事が切っ掛けとなり、ベアトリスとエリカの友人関係が始まり、生涯にわたる親友になるのだが、それはまた別の話である。


 この時、演武場での出来事を偶々、目撃していた生徒がいた。

 この生徒がこれまた偶々に新聞部と美術部だったのも何かの運命なのだろう。

 美術部の生徒が描いたベアトリスの絵姿が、大人気となり、『ベアトリスを影から推す会』という妙な非公式な団体が誕生する。

 

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時間遡行した元男装令嬢の華麗ではない逆転人生~とりあえず、蹴ります~ 黒幸 @noirneige

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