閑話 影に生きる

(三人称視点)


 彼は闇の中で生まれた。

 闇より生れて、闇に死す。

 それが彼の宿命さだめである。


 影の如き、漆黒の闇を身に纏い、この世に現れる。

 その者の名はモーザ・ドゥーグ。

 呪われし黒妖犬。


 モーザ・ドゥーグは厄災の化身。

 その姿を見た者には不幸が訪れるとも言われている。

 中には見ただけで心臓が止まり、死んだ者すらいるのだ。


 しかし、現在の彼を見れば、誰がだと気付くだろうか?

 フォルネウス家の広い庭に生えている大きな木の陰で警戒心の欠片も抱かず、呑気に転寝うたたねをしている彼を見ても誰も分からないだろう。


 まるで黒く染めたモップのような毛並み。

 引き締まった筋肉の鎧に覆われた狼もかくやという立派な体躯に強靭な四肢。

 これだけを見れば、どのような猛獣ですら霞む恐るべき魔獣にしか、思えない。

 そう見た目だけであれば……。


 現在の彼は正しくはというべきだろう。

 微睡まどろみながら、大あくびをしている。

 四肢を投げ出し、横になっているその姿には野生の欠片も感じられない。


 彼の身体を寝台の代わりにして、同じように微睡まどろんでいるのは銀色の髪の少年シリルだった。

 その寝顔はまだ、あどけない。


 少年を起こさないようにとモーザ・ドゥーグだった物は再び、瞼を閉じる。

 近頃の彼は睡魔に魅入られたように寝ていることが多かった。

 彼は普通の獣ではなく、冥府ヘルヘイムにその起源を持つ魔獣というべき存在である。

 寿命という定義自体が彼にはあてはまらない。


 ところがあまりにも寝ているので彼の主人とも言うべき少女ベアトリスは、別れの日が近いのかもしれないと密かに覚悟をしている。

 それはただの勘違いに過ぎず、彼が大きく、変異しようとしているだけなのだ。


 そして、かつてモーザ・ドゥーグと呼ばれた者シャドーは今日も惰眠を貪っている。

 闇夜を思わせるその毛並みが徐々に変化の兆しを見せていることに気付く者はまだ、誰もいない。


 空に浮かぶ月が真円を描く時、彼の変異は終わりを告げる。

 陽光を浴び、煌く白銀の美しい毛並みはさながら銀の糸のようになっており、黒いモップだった彼はもういない。

 ベアトリスはあまりの変貌に「シャドーではなく、ブリンクに名前を変えた方がいいかしら……」と零したのだが、それはまた別の話である。

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