天狗ジジイと俺

カフェ千世子

天狗ジジイ

 山の中には天狗ジジイがいた。

 村の爺さん婆さん達は天狗ジジイに頭を下げていたが、他の大人達は近寄るなと子供らに言って遠巻きにしていた。


 俺はジジイの正体がなんなのか知りたくて、しょっちゅう山に観察に行っていた。ジジイはときどき山から村に降りてきて祈祷をしていたが、それ以外は山の中で過ごしていた。

 見ていると、ジジイは冷たい水の中に入ったり、火の側で読経をしていたり、火の上を歩いたり、岩壁を登っていって岩と岩の間を飛んだりと、訳のわからない行動ばかりしていた。

 だから、やっぱりジジイは天狗か何かで人間ではないと思う。


 服装もちょっと人間らしくない。白い服に丸いポンポンがついたたすきみたいなのを着けていて、尻には毛皮みたいなのが着いていて、座布団が要らない。背中になんか四角い箱みたいなのを背負っている。

 これで足元が一本歯の下駄で手元に葉っぱみたいな扇を持っていたら、まんま天狗だと思う。


「こら、また野良仕事を怠けとるんか」

 しょっちゅうジジイを観察してたら、すぐ見つかるようになって、結局よくしゃべるようになった。

「餅に巻く用の葉っぱ採りに来た」

「そうか。それは感心」

 ジジイがどの辺に葉っぱがあるのか、教えてくれる。その道すがら、この草は毒があるとか、こっちは体にいいとか教えてくれる。けど、それを採るのはちゃんと大人かジジイに確認してからと言われる。

「結局採らさへんのやったら、教えた意味ないやん」

「間違えたら危ないからな」

 文句を言ったら、大概の大人は怒ってくるけど、ジジイは大体おっとり言うだけだ。だから、ジジイとは話がしやすい。


「子曰く、君子は義にさとり、 小人は利に喩る」

「お、ジジイの呪文出た」

「論語だ」

 なにか唐土もろこしの偉い人の言葉らしい。呪文みたいで格好いいと思うので、俺も覚えようと思う。

「子曰く」

「子曰く!」

 俺が復唱しやすいように、ジジイがもう一回教えてくれる。ジジイといると、時間はすぐに過ぎる。




 村に人買いが来た。かわいい女の子を探しに来たという。

 でも、今の村には食うのに困っている家はなかったので、誰も彼もが断っていた。

 人買い達は空振りに終わって悔しそうにしていた。


「おと!おとが連れていかれた!」

 村の子供おとが、目を離した隙に連れていかれたと言う。おとは村でも一番可愛らしい子供だ。でも、まだ6つかそこらだ。

 おとの親父はおとを大層可愛がっていたから、おとを手放すわけがない。何よりおとは一人娘だ。他の兄弟がいないのに、よそにやったりしない。


「どっちにいった!?」

「あっち!」

 連れ去るのを目撃した子に聞くと、山を越える道を指差した。俺は、近道して山を突っ切れば追い付けるかも、と思ったんでそっちに走った。


「おった!」

 遠目におとを小脇に抱えて馬を走らせてるのが見えた。でも、相手は馬でこっちはかちだ。到底追い付かない。


「助けて、誰か助けて!」

 口走ると、馬が止まった。はっとして、そっちへ走ると馬の前にジジイが立ち塞がっているのが見えた。


 ジジイは錫杖を突き付けていた。ジジイが戦えるのか!?と思っていると、急にジジイから煙みたいなものが出てきて、馬とその周辺を包んだ。


 なんだ?と思っていると、手前の木立におとを抱えたジジイが現れた。ジジイはすぐに俺に気づいて、おっという顔をした。

「逃げろ逃げろ」

 小声で急かされて、一緒になって山を走る。

「ジジイ、なんか奇術が使えたんか?」

「ただの煙幕だ」

 村に戻って、おとを親の元へ返した。おとの親父は泣きながらジジイにいつまでもペコペコしていた。



 また別の日。

 山に立派な服装に馬にも立派な馬具を着けた一団が登っていった。ジジイに村の外からの客は珍しいな、と俺はこっそり見に行った。

 その一団が帰った頃に、ジジイのところへ行ってみた。

「なんの用事で来てたん?」

「儂の身内が死んだらしい」

 えっ、と思ってジジイを見返したが、ジジイはいつも通りの顔をしていた。

「ほな、葬式に行くの?」

「行ったらややこしくなるからな。儂はここで経をあげて菩提を弔うとする」

 それでいいんだろうか、と俺は思った。

「ジジイって偉い人?」

「儂は偉くはない。儂の身内が偉いんだ」

「身内に偉い人がおったら、偉いんとちゃうの」

「そんなことはない」

 そんなもんなのかな、と俺はいまいち納得がいかなかった。

「ジジイって何歳」

「88歳だ」

「ジジイの身内は?」

「89歳だ」

「長生きやね」

 それだけ長生きすれば、大往生だと思う。



 その数日後、ジジイがお堂の中で寝たまま動かなくなったのが見つかった。

 あんなに、山に通っていたのに、それを見つけたのは俺じゃなかった。

 だから、ジジイが死んだと聞いても、俺は実感が沸かない。


 ふと、あの立派な服装の一団に知らせなくていいのかと思ったが、別にいいかと思い直した。

 多分、ジジイもややこしくなるから別にいいと言うだろう。


 ジジイの墓はジジイが使っていたお堂のすぐ側に作られた。ここ以外に適した場所はないと思う。

 月命日など、墓に花でも活けて手を合わせていると、さあっと風が吹く。

 それが挨拶をされているみたいだ、と俺は思う。


 多分、ジジイは本物の天狗になったのだ。そして、この山をずっと見守っているんだろう。

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