#5-4「スプラッタ配信をお許し下さい」

 一馬を包んだ岩石の球体は、飲み込まれる様に地面へ吸い込まれていった。

 岩猿はよろめきながら立ち上がり、額のナイフを無理やり引き抜く。苦悶の呻きを洩らし、無造作に横合いへとナイフを投げ捨てた。

 鮮血が脂汗を上塗りして溢れていく。

 顔面を真っ赤に濡らし鬼気迫る表情で睨み付ける岩猿に、喰蛇は辟易していた。

 呆れ果てた様子で肩を竦め、首を横に振りながら溜め息を吐く。


「わざわざ、あの少年を岩の中に隠し……私から【土喰魔喰ドグラマグラ】を解除させようという魂胆ですか。まあ蛭という少女の事も訊かねばなりませんし……石化した場所を空間ごと削り、まるで宝物をスコップで探す様に掘り進めていくのも億劫ですからね」


 喰蛇は長々と呟きながら、横合いに【喰戸クラウド】で現した口へと手を差し込む。

 そのついでに、空いたもう片手を岩猿の方へと伸ばした。岩猿の頭に頬や、胸元と腹に太腿など、全身のあらゆる箇所に穴が空いて血潮を噴き上げる。

 歯を食いしばる岩猿の前で、喰蛇がタブレット端末を取り出す。


「どのみち私の副作用ノシーボも遂行しなくてはならない。ここは電波が通じません。まずは土喰魔喰ここを出てから、貴方を殺しましょうか」







 真っ暗な岩の中で、エレベーターが降りていくような感覚を味わった。

 けれどすぐに岩の壁が崩れて、外の景色が飛び込んでくる。土喰魔喰ドグラマグラの異様な世界ではなく、岩猿と来ていた建設現場だ。

 先程より全身を赤く染め上げた岩猿が、なぜかタブレット端末を構えた喰蛇と手下達の前で立ち塞がっている。

 満身創痍で、両腕が無いまま毅然と仁王立ちしていた。

 呼吸のたびに肩を上下させている。

 足元に次から次へと血が落ちて、地面を濡らしていく。

 生きているのが不思議な程だ。もう岩猿の命は、風前に迫っている。

 それでも背姿は、オレが初めてパンドラで見た時と変わらず大きく、強い。


「遺す言葉はありますか」

「テメエもさっさと地獄に来いよ。もてなしてやるぜ」


 そんな短いやり取りを聞いた。

 そして岩猿の頭上に現れた大きな口が、首から上を食い千切った。

 オレは叫ぶ。岩猿の名前を呼んでいた気もする。

 脳裏を過ぎるのは、あのしみったれた蕎麦屋でオレの頭に触れる、無骨で無遠慮な大きい掌の感覚だ。

 アイツの名前を呼ばないと、本当に手の届かない遠くへ行ってしまう気がした。

 けれど無情な現実は待たない。岩猿の巨躯は首から血潮を噴き上げ簡単に倒れる。重く鈍い音が響いて、余韻も残さずに消えた。

 喰蛇は淡々と、岩猿の亡骸をタブレット端末で映している。


「【喰戸クラウド】の副作用ノシーボは罪を犯す事です。そして【土喰魔喰ドグラマグラ】の副作用ノシーボは、犯した罪を不特定多数へ拡散こうかいする事」


 独り言の様に、喰蛇が語る。

 喰蛇は徐々に震え始めた両手でタブレット端末を挟み、その頬を雫が伝う。


「ああッ……黒澤弥五郎だいだらぼっち様ッ、お許し下さい!」


 そして唐突に叫び、その場で跪き、タブレット端末を頭上へ突き上げる。

 まるで神に赦しを乞う咎人の姿だった。


「貴方が腕利きのヴェリタスユーザーを欲して居るにも関わらず、また1つ貴方への供物を喰い潰してしまった……。お許し下さい、お許し下さい、どうか。この動画もインターネットの海へ流さねばなるまい……身バレは怖いので音声等を編集して……だが今回は篝火イグニスを映してしまった、昂ぶってしまった、故に誤った。ああ、お許し下さい、どうか御慈悲いんぺい御加護もみけしを……我が主よ……」


 うわ言の様に滔々と呟く様は、まだ現実を受け止めきれないオレの背筋へ、怖気を走らせる。けれど畳み掛ける様に悪寒が加速する。上げている両腕の間から、喰蛇の見開いている眼が、こちらを向いたのだ。

 金色の瞳が、縦に直線を帯びている。細長い瞳孔は、まるで爬虫類のそれだ。

 無機質な悪意が、今度はオレに向けられていた。

 オレの周りに大小いくつもの口が現れ、浮いたまま唇を開く。

 口蓋の奥に昏い闇が覗く。

 喰蛇が両腕を広げると、それらが一斉に迫って来た。

 オレは反射的に刀を構えようとする。それが無意味な事だとも分かっていた。

 ただ岩猿が最期に語りかけた言葉だけが、呆然としたままのオレに闘志を灯す。

 振り絞る様に低い声で呟いた「テメエが生きてりゃあ……俺様の勝ちだあ」という岩猿の言葉が。

 切り抜けて、無様でも逃げて生きなくちゃならない。何もかも分からないままで、全てが飲み込めない、ぐっちゃぐちゃの脳ミソでも。

 だから喰蛇に立ち向かう──……。


「この少年を喰らい、生かさず殺さず、蛭なる少女の……八咲禍魂やさかのまがたまの在り処を訊き出し、貴方様に御献上いたしますのでッ!」

「そうは行かねえよ、オレは生きる、手足が千切れても必ず生き延びる!」




 ……──不意に、たたん、と何かが空中を駆け降りる音。




「そう来なくっちゃ」


 ブーツの底が空中に張り巡らせたワイヤーを、廃墟の壁を蹴る音だった。

 その音の主は、いきなり舞い降りてオレの眼前に姿を現す。

 紫色の髪をなびかせる男が、指先で銀色の糸を引く。するとオレに喰らい付こうとしていた口の軍勢は、十把一絡げに淡い紫色の閃光で引き裂かれた。

 混迷を極めているオレの視界に、輝く紫色が強く焼き付いて、同時に黒衣を纏う姿が際立つ。

 つまり藤堂紫苑が目の前に佇み、喰蛇へと鋭い眼光を向けていた。

 彼の表情に、いつもの不敵な笑みは無い。

 どこまでも怜悧で沈鬱とした、無機質な殺意を紫紺の瞳に宿している。



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