88歳は聖年齢

横山記央(きおう)

88歳は聖年齢

「米が、勇者様にとっての聖なる食材だということは、知っているだろう」

「もちろんだよ」

 旅の魔法使いの問いかけに、エルンドは力強く答えた。勇者についてのことなら、この村の誰よりも詳しいと自負している。


「なぜ米が聖なる食材なのか、分かるか」

「勇者様の魂の糧となる料理、寿司、丼、カレーに欠かせないから、でしょ」

「その通り。そして、勇者様の故郷の文字で『米』は、八十八と書く。ここまで言えば分かるだろう」

「だから、88歳が聖年齢なんだ」

 エルンドの納得した顔を見て、魔法使いは大きく頷いた。

「それなら、僕は勇者になるために頑張る!」

 興奮したエルンドはテントを飛び出すと、そのまま森の中を走り出した。小さい頃からずっと憧れていた勇者に、自分もなることができると知り、いても立ってもいられなかった。


 勇者は、エルンドのあこがれだ。

 いまだに語り継がれる伝説の勇者、清浄の勇者サヤカ。強く優しく美しいサヤカをたたえる数々の物語を、エルンドはそらんじることができる。彼女を模したフィギュアも、部屋の至る所に飾っている。

「おまえ男なのに、女に憧れているのかよ」

 サヤカに憧れるエルンドを、友人たちはバカにした。

「キモイ」

 大量のフィギュアを持っていることを知ったラリエルからは、毛虫を見るような目を向けられた。密かに思いを寄せていただけに、ラリエルのその態度に、エルンドは打ちのめされた。


 でも、エルンドが勇者になれば、全て覆るだろう。友達も、ラリエルもエルンドに対する態度を一変させるに違いない。

 それだけじゃない。いつも「おまえは本当にそそっかしい」と言ってくる両親だって、エルンドのことを誇りに思ってくれるはずだ。

 村の者はもちろん、この地方を収める領主様だって、エルンドのことをないがしろにはできないだろう。

 なんといっても、勇者なんだから。


 ハッキリとした目標ができたからか、次の日から、エルンドは弓の訓練で今までにない集中力を見せた。それまでは、意識が散漫になるため、まともに矢を的にあてることもできなかった。それなのに、十本のうち八本まで命中させたのだ。友達の誰よりも高い命中率だ。その成果に弓の講師はエルンドを褒め称えた。

 子供の頃から褒められたことがなかったエルンドは気をよくし、その後も集中力を維持したまま、訓練を続けていった。数年後には、村で一番の弓の名手にまで腕を上達させた。


 ――それから長い年月が過ぎた。

 エルンドは八十七歳になっていた。明日には八十八歳の誕生日を迎える。

 いよいよ聖年齢だ。

 エルンドは、長年の夢の実現を楽しみにしていた。ついに勇者になれる。

 あのとき、旅の魔法使いの話を聞いてから、エルンドはひたすら自らを鍛えてきた。弓の腕がが一流になると、次は魔法を覚え、マジックアーチャーとなった。しかしそこで満足せず、さらなら鍛錬を積み重ね、ついには上級職であるエレメンタルスナイパーにまで登りつめていた。


 思い返せば、修行に明け暮れる日々だった。

 結婚もしていない。それどころか、恋愛すらしていなかった。

 それもこれも、勇者になるためだった。

 明日になれば、今までの全てが報われる。

 エルンドはあの時の魔法使いの言葉を、微塵も疑っていなかった。


 翌朝目覚めたエルンドは、それまでと何も変わってない自分に気がついた。勇者にはなっていなかった。

 何がいけなかったのだろう。

 何が足りなかったのだろう。

 ベッドから起きたまま、あまりのショックに、部屋で呆然と立ち尽くしていた。


「エルンド、誕生日おめでとう」

 両親が祝いの言葉をくれたが、曖昧な返事しかできなかった。

「お前は子供の頃から本当にそそっかしい。それを治すには、ショック療法しかないと思ったんだ。だけど、それがなんであれ、88歳になるまでやり遂げたお前を、父さんは素晴らしいと思う」

「そうね。あなたが勇者になれなくても、この年でエレメンタルスナイパーになったのなんて、あなただけだもの。少しぐらい早とちりなところがあったって、あなたは私たちの誇りよ」

 両親が優しくハグしてくれた。


「……勇者になれないって……どうして」

「お前が最後まで聞かずに飛び出していったからと、あの魔法使いが家を訪ねてきた。そこで話しを聞かせてもらったんだ」

「それって、あの話しは、聖年齢は、嘘だったってこと?」

「いいや、そうじゃない。あれは正しい話しだ。あの人が魔法使いになれたのは、その条件を満たしたからだ」

「それならどうして、僕は勇者になれなかったの。この年まで誰とも付き合わずに、そういう場所にも行かずに、ずっと頑張ってきたのに。88歳までしなければ、勇者になれるはずだろう」

「私たちにとって、百年なんて、あっという間のことだろう」

 エルンドが頷くと、両親は互いに視線をかわし、ため息をついた。


「お前は、肝心な部分を聞き逃していたんだよ。その条件は、人間だけのものなんだ。私たちエルフは、その条件を満たしても、勇者にはなれないんだよ」

    

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88歳は聖年齢 横山記央(きおう) @noneji

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