二. 最期に見た景色

 2月7日払暁。


 一ノ谷の合戦は、ある男の「名乗り」から始まった。


「遠からん者は音にも聞け。近くば寄って目にも見よ! やあやあ、我こそは平貞盛さだもりの孫、維時これときの6代の子孫にて、武蔵七党、武蔵国むさしのくに熊谷在住、熊谷くまがい次郎直実なおざねなり!」


 この時代、まずは「名乗り」を上げてから戦が始まるのが、一種の「作法」だった。


 先駆けせんと欲して義経の部隊から抜け出した熊谷直実くまがいなおざね・直家父子と平山季重すえしげらの5騎が、忠度の守る、一ノ谷口の西にある、塩屋口の西城戸に現れて名乗りを上げて合戦は始まった。


 そして、この「男」こそが、敦盛の運命を握ることになる。


 平氏は最初は少数と侮って相手にしなかった。

(気が緩んでいる)

 そう思った、敦盛は、愛馬の白馬を駆って、その場所を守っている忠度の元へ行き、進言する。


「忠度様。何故、仕掛けないのですか?」

「うむ? 敦盛か。まあ、あのような小物は余興に過ぎん」

 忠度は、余程自信があるのか、兜をつけないまま、烏帽子だけを被っていた。


「今、すぐ攻めるべきです。相手が少数なら勝てます」

 しつこく進言する、敦盛に業を煮やした忠度は、ようやく渋々ながらも頷いた。


 忠度の兵が、討ち取らんと繰り出して直実らを取り囲む。直実らは奮戦するが、たったの5騎である。

 多勢に無勢で討ち取られかけた時。馬蹄を響かせ、砂煙を上げて、後方から襲いかかってくる一団があった。土肥実平率いる7000余騎だった。


(だから、気が緩んでいると……)

 敦盛もまた、その戦の中に駆けこんでゆく。


 たちまち、激戦となった。



 一方、その頃、東の生田口では。

 午前6時。知盛、重衡ら平氏軍主力の守る東側の生田口の陣の前には範頼率いる梶原景時かげとき、畠山重忠しげただ以下の大手軍5万騎が布陣。


 範頼軍は激しく矢を射かけるが、平氏はほりをめぐらし、逆茂木さかもぎを重ねて陣を固めて、万全の体勢で待ち構えていた。


 平氏軍も雨のように矢を射かけて応じ源氏軍をひるませる。平氏軍は2000騎を繰り出して、白兵戦を展開。範頼軍は河原高直、藤田行安らが討たれて、死傷者が続出して攻めあぐねた。そこへ梶原景時・景季かげすえ父子が逆茂木を取り除き、ふりそそぐ矢の中を突進して「梶原の二度懸け」と呼ばれる奮戦を見せた。


 また、義経と分かれた安田義定、多田行綱らも夢野口の攻撃を開始する。


 生田口、塩屋口、夢野口で激戦が繰り広げられるが、平氏は激しく抵抗して、源氏軍は容易には突破できなかった。


 戦況は、平家方が有利だった。


 即ち、「地の利」を生かして、ここに強固な防衛線を張った、知盛の「作戦勝ち」と思われた。


 ただ、それでもなお、敦盛は、背後の「あの山」が気にかかっていた。


 昼前頃。

 尚も、果敢に戦っていた敦盛が、不意に山を見ると、山の上にわずかながら、人影があるように思えた。


(まさか)

 嫌な予感を覚え、太刀で源氏方の雑兵を斬った後、山上に目をこらす。


 そして。

 突如、鉄拐山から雪崩が起きたか、と思った。


 それほどまでに強烈な「坂落とし」と思われる一撃。


 文字通り、「空から兵が降ってきた」状態だった。


 源義経はこの時、地元の猟師に案内させ、わずか70騎を率いて、この鉄拐山に到着。


 しかも、「鹿がたまにこの崖を下っている」という情報を猟師から聞き、「鹿も馬も四本足だ。鹿が下れるなら、馬でも下れる」と、部下を鼓舞し、強引に駆け下ったとされている。


 実際には、ほとんど垂直に近いくらいの、文字通り「崖」に近いところで、実際に1頭の馬が足をくじいている。


 この「鵯越の坂落とし」が決定打となった。


 突如、空から降ってきたような兵に、平家軍は大混乱になり、予想もしなかった攻撃に慌てふためき、その間に義経軍が火を放つ。


 平忠度が守っていた、塩屋口の西城戸も突破され、逃げ惑う兵士たちが、沖合いの船に殺到。溺死者が続出していた。


 それを見ていた敦盛は、悠然としていた。

(これで、平家の命運も尽きたな)

 彼は、慌てふためく味方を横目に悠然と浜をさすらい、敵兵の姿を探して歩き、幾人かと交戦していた。


(この上は、せめて一矢報いるために、何か土産でも……)

 

 そう思って、浜辺をさまよっている間に、後ろから野太い声をかけられていた。


「卑怯にも敵に後ろをお見せになるのか?」

 馬首を返す敦盛。


 彼は、「逃げていた」わけではなく、「敵を」求めてさまよっていただけだったが、反論はしなかった。


 そして、

(あの男か)

 脳裏に、開戦時のことが思い浮かんでいた。


 あの「名乗り」を彼は遠くから聞いていた。特徴的な野太い声、口髭を生やした、熊のような大柄な男で、年齢は40代くらい。


「名のある武士もののふとお見受けした。一手手合わせ願おう」


 男は、黒い馬から降りると、浜辺に降り立ち、太刀を抜いた。

 敦盛もまた、白馬から降りて、自らの太刀を抜く。


 あとは、「男同士」の「生死を賭けた」一騎打ちだ。


 幸い、周りに他の兵士がおらず、邪魔者となる者はいなかった。


 一太刀、二太刀と斬り結ぶが、すぐに、

(強い)

 敦盛は、早くも押されていた。


 年齢的には、彼の父の経盛よりは若いが、「父」と思っても不思議ではない年齢と経験の重さを感じる。


 2人は、打ち寄せる波に揉まれ、何合も斬り結んでいたが、なかなか決着がつかなかった。


 そのうち、敦盛が仕掛けた。

 素早い足運びから、相手の正面に突っ込み、正面から斬ると見せかけて、横に飛び、そのまま下から上に「斬り上げていた」。


 鮮血が飛び散る。


 男の顔面、顎から鼻にかけての部分が朱色に染まり、兜は宙に舞っていた。

(勝った!)

 そのまま、ひるんでいる相手に対し、上から袈裟斬りに斬りつけようと構える。


 だが、敦盛にとって予想外のことが起こった。

「うぉぉー!」

 雄たけびを上げながら、体ごと男が突進し、敦盛の細い体に激突。そのまま太刀を海中に落としていた。


 気がついた時には、腕を捕まれ、そのまま海中に転ばされていた。


 浮き上がった時には、男に組しだかれている状態で、両肩を筋骨隆々な、男の両腕に抑えられていた。


 そのまま兜をはぎ取られる。

 死を覚悟した。


 しかし、男は、そのまま硬直したように動かなかった。

 その目は、どこか「憐れんで」いるような「悲しんで」いるような、瞳の色をしていた。


「大した者ではないが、武蔵国の住人、熊谷次郎直実だ。名を聞こうか?」

(知ってるさ)

 あの、大音声の名乗りを聞けば、嫌でも耳に入る、と敦盛は、最期を迎えるにしては、冷静に思い出していた。


「私が名乗らずとも、首を取って、誰かに尋ねればよい」

 この世の最期が迫るにしては、我ながら冷静だと思っていた。


 だが、最期の時はなかなか訪れなかった。

 何故なら、この「熊谷直実」が躊躇していたからだ。


 恐らくは、「若すぎる」ことで、後悔か、躊躇の念が先に立っているのだろう。今さらなことだ、と敦盛は感じていた。


 その時、後方の浜辺の先から、数十騎の武者が駆けてくる姿が、敦盛の目に映った。源氏方の兵士たちだ。


 なおも、躊躇している直実に、

「早く討て。他の者に取られる前に、おぬしの手柄とするがよい」

 そう言って、目を閉じた。


(さらば、父上。皆々も)

 最期の最後に念仏を唱える余裕もない。


「うぉぉおおおっ!」

 まるで、熊か狼の叫び声のようだ、と思いながら、熊谷直実が泣きながら振るった太刀が、若い敦盛の最期に見た光景になった。


 享年16歳。


 平敦盛の、「若すぎる死」は、その後、「平家物語」に描かれ、数百年後には「敦盛の舞」として、かの織田信長にも歌われることになる。


 そして、熊谷直実。

 彼が、敦盛を殺すのを最後まで躊躇ったのは、自らの息子の「直家」が、この敦盛と同世代だったからだ、と言われている。


 彼は、戦という非情な舞台で、偶然、平家の御曹司に「息子」を重ねていた。


 直実は、弓矢の名手でもあった。

 だが、敦盛を討ったことが余程、精神的に響いたのか。


 その後、出家して、法然ほうねんに弟子入りし、法力房蓮生ほうりきぼうれんせいと名乗り 、後日、いくつかの寺を建立している。


 源頼朝の配下の者たち、つまり彼の同僚たちは、あるいは疑いをかけられて殺され、あるいは兄の頼朝に討伐され、いずれも悲惨な最期を迎えている。


 だが、直実は、建永二年(1207年)まで天寿を全うしている。


 直実の遺骨は遺言により、西山浄土宗総本山光明寺の念仏三昧堂に安置されたと言われている。

 彼の墓は現在法然廟の近くにある。また妻と息子・直家の墓は、熊谷寺の直実の墓に並んである。


 そして、高野山には直実と敦盛の墓が並んである。金戒光明寺には法然の廟の近くに、直実と敦盛の五輪の塔が向かい合わせにある。


 翌寿永四年(1185年)、壇ノ浦の戦いで、平家は滅亡するが、源氏もまた源頼朝の死後に、北条氏によって、滅ぼされることになる。


 これは、若き平家の御曹司の歩んだ、死ぬまでのわずかな記録。

(完)

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敦盛散華 秋山如雪 @josetsu

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