人生の到達点

陽澄すずめ

人生の到達点

 日本人の平均寿命が八十八歳になったと政府から発表されたのは、今から三十年前のことだ。


 科学の進歩により体内に直接入れ込むタイプの医療用ナノロボットが普及してからというもの、人類は以前より高い水準で健康を維持できるようになった。

 今や病気で命を落とす人は激減した。不慮の事故や自殺を除けば、ほとんどの人が老年まで若いころと変わらず元気なまま人生を楽しんでいる。


 もうすぐ八十八歳を迎える俺のじいちゃんも、そんな年寄りには見えないほど体が頑丈だ。

 じいちゃんは登山が趣味で、米寿の記念に兼ねてからの夢だった霊峰に挑むことを決めた。

 そのお供に選ばれたのが、孫である俺というわけだ。


 米寿の祝いに合わせて、輝くような黄色の登山ウェアを纏ったじいちゃんは、今年三十歳になる俺よりもデカい荷物を軽々背負っていた。

 急な山道や険しい崖も何のその。ヘバるのは俺の方が早かった。


「ずっと山に登ってきたからな。鍛え方が違うんだ。お前もこの年まで健康に生きたきゃ、しっかり鍛えるこったな」


 そう言われてはぐうの音も出ない。

 五合目のロッヂで一泊するプランで、正直助かった。

 じいちゃんはロッヂのオーナーや居合わせた宿泊客から祝福の言葉を受け、終始上機嫌だった。

 登山なんてキツいだけだと思っていたけど、じいちゃんの嬉しそうな顔を見て、一緒に来て良かったと俺は心底思った。


 二日目も晴天で、この日こそがじいちゃんの八十八歳の誕生日だった。

 すれ違う人々が黄色いウェアを見て、「おめでとうございます」と言い添える。健康に米寿を迎えるということは、大変に喜ばしいことなのだ。


 俺はまたヒィヒィ言いながらじいちゃんの後を追って、どうにか山頂まで着いた。


「あそこが良さそうだ」


 じいちゃんの無骨な人差し指の先に、切り立った崖の上に設置された展望台があった。

 そこからの見晴らしと言ったら!

 遮るもののない空は果てなく青く、雲は俺たちの足より下にある。まるで天国に来たみたいだ。


「ここまで付き合ってくれて、ありがとな」

「いいよ。俺もついてきて良かった。嬉しかったよ、じいちゃんが俺をお供に指名してくれて」


 じいちゃんは少しだけ照れ臭そうに笑った。


「じゃあ、そろそろだな」

「うん」


 ずいぶんあっさりしたものだったが、これで良かったと思う。

 俺はもう、上手く言葉が出なくなっていたから。


 にぃっと白い歯を見せて笑ったじいちゃんは、展望台の柵に手をかけた。

 そして、俺なんかよりずっとしっかりした足腰で、それを軽々乗り越えると。

 何一つ躊躇うことなく、崖の下へ飛び降りたのだった。




「死に方くらい選ばせろ」


 一年前から、じいちゃんはずっとそう主張していた。


「俺は山男だからな。死ぬ時は山がいい」


 日本人の平均寿命は八十八歳と、政府によってのが三十年前。

 人口増加に歯止めをかけるため、その年齢を迎えた者は例外なく人生を終えるようにと、法律が制定された。

 八十八歳とされたのは、法案が議題に上がった二〇二〇年代の女性の平均寿命が八十七歳台止まりだったのと、末広がりで縁起がいいからというのが理由のようだ。最終的に迷信めいたことに頼るのが、如何にも日本人らしい。


 多くの人間が薬剤投与による安楽死を選ぶ中、うちのじいちゃんは「山で死ぬ」と言って聞かなかった。

 しばらく親戚一同で話し合った結果、本人の意思を尊重しようということになったのだ。

 何せ、人生は一度きりなのだから。




 展望台の柵から真下を覗くと、じいちゃんの姿が見えた。

 硬い岩場に強く全身を打ち付けられたようだ。手足があり得ない方向に曲がっていて、周辺には頭部からの血が飛び散っている。

 良かった。あの状態ならば、即死に違いない。苦しまずに逝ったはずだ。


 俺の様子を不審に思ったらしい他の登山客が、同じように崖下を覗き込んで、小さく悲鳴を上げた。


「あっ、違います。祖父の米寿祝いなんです。黄色いウェア着てるの分かります?」


 慌てて弁明すると、その人は納得したようだった。


「このたびは、誠におめでとうございました」


 代わりに最大級の賛辞をもらい、俺は深く頭を下げた。それを真に受けるべき人の魂も、きっとまだその辺にいるはず。


 また一人になって、静かに息を吐き出すと、途端に胸がいっぱいになった。堪えていた涙が、思わず零れる。

 じいちゃん。

 大好きなじいちゃん。

 最期の最期まで自分を貫き通したじいちゃんを、俺は誇りに思うよ。


 俺の人生の残りはあと五十八年。

 じいちゃんの死に様を、生き様を心に焼き付けて、悔いなく生きようと思う。


 弔いは、遺された者のためにある。

 俺は電脳端末から、予め事情を説明してあった山岳救助隊に連絡し、遺体の回収を依頼したのだった。



—了—

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