生贄令嬢の88回目の誕生日

夕幻吹雪

生贄令嬢の88回目の誕生日

その日は、ひどく空気が澄み渡る満月の夜だった。


「……わたしを、わたしをどうか―――」

シルヴェスト王国北東にあるウィンダーメア伯爵領。その外れにあるラウンドレイの森。

薄茶色の細い髪を風に弄ばれながら、ウィンダーメア伯爵令嬢、ソフィアは古い洋館の扉を震える手で叩いた。


(ああ、お母様………。もうすぐ、もうすぐお会いすることができます…………)


胸のうちに悲しい希望を隠して。

「―――貴方様の妻にしてくださいませ」

今にも崩れ儚くなってしまいそうなほどの小さな声でそう告げた。

扉の前に座り込み胸に手を当てながらただ、返答を待つ。

やがて、ギィ、とダークブラウンの扉が開き一人の青年が姿を現した。

このラウンドレイの森に住まう人ならざるモノ。この地最後の純血のヴァンパイア。


シュヴァルツ・ラウンドレイ。


月の光を彷彿とさせるような透ける銀髪をサイドに結った絶世の美男子だった。


(…………なんて、美しい方)


ここにきた理由も忘れてつい、見惚れてしまった。それほどの美貌だった。

「……ここに、何をしに来たのかな?お嬢さん」

低く、とても優しい声でシュヴァルツはいった。

胸の前で手を組み再度、ソフィアは口を開いた。

組まれたその手にはおよそ、伯爵令嬢に似つかわしくない細かな傷が見られた。

「わたしは、貴方様の妻になるために参りました」

か細く鈴の音のような声だった。注意して聞かなければ木々のざわめきに掻き消されてしまうほどの。

「…………僕には、妻なんていらないよ。ここはお嬢さんのような令嬢ヒトが来る場所じゃない―――」

帰りなさい、そう言おうとシュヴァルツが続けようとしたとき。

「……わたしにはっ。わたしにはもう、帰る場所がないのです………」

悲痛な叫びが彼女の口から発せられた。

「わたしは『生贄』として差し出されたのですから」

ザァァァァァァ、とより一層風が葉を鳴らし雨が滴ってきた。

この雨が止むまで、そう目の前の寒さに震える少女に告げシュヴァルツは扉の中へ招き入れた。







パチッ、パチッと炎の爆ぜる音が響く。


(あたたかい………)


屋敷へ入ったソフィアは暖炉のある客間へと通された。暖炉の中で揺らめく炎をぼんやりと眺めているとドアが開きシュヴァルツが中へと入ってきた。

「どう、だいぶあたたまってきたかな?」

そう言うとソフィアの手にマグカップを持たせた。

「ホットチョコレートをいれてきたんだ。お嬢さんのお口にあうかな」

シュヴァルツは優しく微笑んでホットチョコレートを口にした。

手に持たされたホットチョコレートを見てゆっくりと喉へ流し込む。とろり、とした甘いチョコレートが喉を通りじんわりと熱を持つ。

するとぽたり、とソフィアの瞳から涙が溢れた。

「…………お嬢さん、どこか痛いの?」

「……………っ」

違うというように首を振る。

「なら、僕のホットチョコレートは………そんなに不味かった?」

それも違う。どこか痛いわけでも、シュヴァルツが淹れたホットチョコレートが不味かったわけでもない。

なにか、口にしなければならない。そう、頭ではわかっていても声が出なかった。ただ瞳から涙が溢れ、頬を濡らしていく。

「…わ、たし………わた、し……は……」

「何も、言わなくていいよ。何か、悲しいことがあったんだね」

そっと抱き寄せられ頭を優しく撫でられる。


(ああ………、このお方はどうして……)


とても温かいその手にソフィアはただ、涙を流すしかできなかった。





ソフィア・ウィンダーメアが純血のヴァンパイアの妻になることが告げられたのはつい二日前のことだった。

「お父様……!。それは一体、どういうことなのですかっ」

父であるウィンダーメア伯爵はソフィアの顔を見ることもなく言った。

「お前を、ラウンドレイの吸血鬼の花嫁にすることが決まった」

幼い頃から、ソフィアにはユージィンという侯爵子息と婚約を交わしていた。シルヴェスト王国を支える3大貴族である富を有するランカスター家だ。

「ユージィン侯爵子息のことは気にするな。あれとは妹のナターシャをあてがうことにした」

「そんな……。そのようなこと、ランカスター家がお許しになりませんわ」

「あ~ら、おねえさま。まさかご自分がユージィン様に愛されているだなんて、思っておりませんよねぇ?」

高慢で甘ったるい声がした。カツ、カツ、とヒールを鳴らしナターシャが近づいてくる。


バチンッ。


振り向いた瞬間、頬を打たれ床に倒れる。

「ナターシャ。するなら見えないし所にしなさい。花嫁とはいえ、化け物の生贄として差し出すのだ。気に入らなければことだからな」

「そうですわよねぇ。こんなおねえさまでも、伯爵令嬢ですものねぇ」

ふっとお父様とナターシャは嘲笑した。


(ああ、お父様………。わたしは貴方の娘ではないのですか?)


罵詈雑言の雨を浴びながらソフィアはただ耐えるしかなかった。






洋館に優しい雨音が木霊する。

「申しわけございません……、ヴァンパイア様」

シュヴァルツはソフィアの涙が止まるまでずっと頭を撫で続けていた。

「急にわたしのようなものが妻として、つかわされるのは本意ではございませんでしょう」

そっと体を押し戻し笑みを浮かべる。

「………ご無礼を、お許しくださいませ」

そう言い頭を下げた。すると。

「…………僕の、お嫁さんになる?」


(…………え?)


聞き間違いかと思った。でも、心のどこかで期待をしている自分がいた。恐る恐るシュヴァルツの顔を見上げると彼は頬杖をつき優美な笑みを浮かべながらソフィアを見ていた。彼のその金色の瞳が心の奥底まで見透かすように細められた。

「…………………」

心臓がうるさいほど拍動し頬が熱を持つ。初対面のこの高貴なるヴァンパイアに、ソフィアはひとめぼれしてしまったのだ。

「ふ…、不束者ですが、よろしくお願いいいたします」

そう言うとソフィアは本日何度目かになるきれいなお辞儀をした。






シュヴァルツ・ラウンドレイの花嫁につかわされたあの日は、ソフィアの十五歳の誕生日だった。

「誕生日には、毎年ソフィアの欲しいものをあげよう」

屋敷の目の前にある湖のほとりを散歩していると彼はそういった。

「ドレスもアクセサリーも。ソフィア、君が望むものを、ね」

雨上がりの湖畔は少し湿った空気と草花、木々のきらめきが一層強かった。もちろん。朝日ではなく月明かりだが。

「そんな。わたしはなにもいりません。私のほしいのもはもう、ここにありますから」

そう言いソフィアはそっとシュヴァルツの手を取り自分の目胸元で握った。わずかに頬を赤らめさせ恥ずかしげに瞳を伏せる彼女はとても愛らしかった。それじゃあ、とシュヴァルツは片膝を付きまるで王子が姫に思いを告げるかのように甘く言葉を紡いだ。

「君の誕生日に、僕は思い出をあげよう。どんなものよりも美しい、たった一度の思い出を。その代わりソフィア。君は僕に白い薔薇をちょうだい。毎年一本」

今年は16本ね、とクスリと笑った。


(まるで子供のような、無垢なお方)


「……………はい」


そうすると二人は幼く拙いキスをした。シュヴァルツにとってもソフィアにとっても変えることのできない思い出になった。




深夜。バルコニーの開け放たれた窓辺にてシュヴァルツは一人、もの思いに耽っていた。

『あの子を愛しているの?シュヴァルツさま』

シュヴァルツの手に止まった夜光蝶が翅を震わせた。

「………ほんの戯れだよ」

そう言い彼は翅にキスをした。

『愛していないの?酷い方』

ひらり、と羽ばたき彼の手から飛ぶ立つ。

「…………わからないんだ。僕は、ソフィアをどう思っているのか」

きらきらと夜行蝶は鱗粉を振りまく。

『ゆっくり、考えればいいのよ。シュヴァルツさまはきっと、戸惑っているだけだわ』


(そう。戸惑っているだけ。でも、でもね。だからこそ僕は……)


「自分の気持ちに気づきたくないんだよ」






人間の一生はとても儚い。ほんの少し目を閉じただけでソフィアは美しい淑女にり、婦人になった。

「………わたしは、幸せでしたわ。シュヴァルツさまの愛を受けられて」

ベッドの上でソフィアは苦しそうに息をする。

「ソフィア、愛しているよ」

優しく唇にキスをする。ゆっくりとベッドの横のタンスに手を伸ばす。

「今日で、88本目ですわね」

その手には白い薔薇が握られれいた。どうぞ、と差し出せば彼はその金色の瞳から透明な涙を流した。

「シュヴァルツさま―――」

ソフィアの瞳からも涙が溢れた。

「――今まで、こんなわたしを、なんの取り柄もないわたしをおそばにおいてくださりありがとうございました。……わたしも、愛して、おりま……す」

フッと彼女から命が消えた。僅か88歳。悠久の時を生きるシュヴァルツにとって、とても短い年月だった。







ふっとシュヴァルツは目を覚ました。何度、この優しく甘い夢を見たことだろう。

「僕達ヴァンパイアは愛する人の血でしか生きていくことができない」

だから、シュヴァルツは特定の誰かを作らなかった。彼女が毎年贈った白い薔薇今、紅く染まっている。あと7本。この薔薇がすべて彼女の血で紅く染まったとき。

「その時は僕はもう…………」

月明かりに照らされて、夜光蝶が一層輝いた。

シルヴェスト王国ウィンダーメア伯爵領、ラウンドレイの森にもう、ヴァンパイアはいない。



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