第四章 決意の行方

第20話

 人々が恐れる伝説のなかの化け物や、怪談話に出てくる幽霊が現実化して襲ってくると聞いた時、竜馬の頭に思い浮かんだのは、藤原家の広い庭の片隅に建てられた小さなお堂だった。


 由良と会った翌日の夜のこと━━。


 母屋を出た竜馬は、そのお堂の、今にも瓦が滑り落ちそうな屋根や雨染みの目立つ白茶けた扉を横目に、一巳の寝起きする別棟に向かっていた。


(アレを思い出したのは、たぶん犬首山の首から連想したんだな)


 アレとは、お堂のなかにしまわれている鬼の像だった。


 昔々、人を襲っては食べる首から上だけの鬼がいた。その鬼を藤原家のご先祖様が討ち取ったのだという。ご先祖様は高名な仏師に御神木を渡し、首から下を彫り出してもらった。そうして鬼の頭と接ぎ合わせ一体の像にした後、厄除けの薬草を焚きこめたお堂に収めたのだ。


 縁起のいいものではないので、ほとんど口外されずにきた。この庭にこんないわくのある像があるのを知っているのは、この家の人間だけだ。だから、鬼の像は犬首山の山犬とは違い「怖い伝説」にはならなかったし、「人々に恐れられる存在」にもならなかった。


 あれは、忘れもしない小学四年生の夏だった。竜馬は一巳と一緒に一度だけ、お堂のなかを見せてもらったことがある。その後しばらくは一巳と顔を合わせるたびに、「お前、怖いんだろう?」「お前こそ怖いんだろう!」と言い争い、最後は決まって殴り合いの喧嘩になった。


 由良の話を聞いた時、アレを思い出したのは、もしアレが動き出したら? と想像したからだった。


「でも、見たのはあの時一度きりで、俺も一巳も全然怖くなかったんだもんな。その可能性はゼロだな」


 竜馬は口に出して改めて否定すると、足早にお堂から離れた。




「一巳! いるんだろ?」

 竜馬がこの玄関で声を張り上げるのは、本当に久しぶりだった。

「少し話さないか? 美夜さん抜きでいいからさ!」

 返事はない。家のなかに明かりはあっても音がなかった。耳を澄ませてみても、しんと冷たい空気が流れてくるだけだ。

「お邪魔しまーす!」

 竜馬はさっさと靴を脱いだ。もしいなくても、顔を見るまで意地でも待つつもりだった。というのも、昼間は二人とも神隠し被害者として一緒に警察にいたのだが、その間、一巳はほとんど竜馬と話そうとしなかったからだ。


 立派な縁側に沿って廊下が奥まで続いている。大小の座敷のほかに、茶室や納戸のある平屋だった。二人暮らしには広すぎる古い家を、美夜はまだ少女の頃から隅々まで掃き清め、よく手入れをしていた。


 一巳の部屋を覗いてみる。

 いない。

 迷った末に美夜の部屋の前まで行ってみたが、ピタリと閉じられた襖の向こうにやはり人の気配はなかった。


 と……、微かに空気が揺らいだ。

 どこかから悲しげな呻き声が、細く低く聞こえた気がした。


 竜馬はこの家に隠れ家のような造りの離れがあることを思い出した。戦時中には、軍や警察に追われている人間を何人か匿ったこともあるという部屋だ。

 竜馬の勘は当たった。渡り廊下の突き当たりにある、一見、板壁にも見えるの木戸の前で一巳を呼ぶと、ややあって返事があった。追い返されるかと思ったが、一巳は黙ってなかへ入れてくれた。




「美夜さん?」


 奥の和室に一歩入った竜馬の目に飛び込んできたのは、布団に横たわる美夜の姿だった。

 ザッと首のあたりが鳥肌だって、胸がざわついた。すやすやと心地よい寝息が聞こえてきそうな、穏やかな寝顔だった。だが、彼女が身を任せているのがただの眠りではないことを、竜馬は直感していた。

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