第7話

 竜馬は一巳に、今年に入ってから全国各地で頻発している誘拐事件がそう呼ばれているのだと教えられた。


「どうして神隠し?」

「そう噂されてもしかたがない状況だからな。お前も知ってるだろう」


 目撃者もなく監視カメラの手がかりもなく、被害にあった痕跡を何ひとつ残さず人が消えてしまう。たとえば、一緒にいた人間がほんの数秒よそ見をしている間にいなくなっていたとか。外出した様子もないのに部屋から姿が見えなくなったとか。ある日突然、手品みたいに人一人が消えてしまう。

 そうして彼らは、数日で戻ってくる。行方不明だった間の記憶をすべて失くした状態で。


 同時期に広範囲で起こっているため、大きな犯罪組織の関与が疑われた。それこそ人の記憶を一時的に消すことのできる、危険な薬を売買しているような……。

 警察も全力をあげて捜査しているのだろうが、その後の報道を見る限り犯人に繋がるような進展はないらしい。


「オカルトに興味ないんだろ? なんで気になるんだ?」

「昨日の放課後、顧問の先生に呼ばれた」


 質問の答えになってないと思いつつも、竜馬はとりあえず確かめた。「顧問て、生徒会の? それともサッカー部の方?」


 教師からの信頼も厚い一巳は、生徒会長を務めているだけではない。サッカー部の主将も兼任していた。学校の外では不良チームを率いているなどとあらぬ噂をたてられている竜馬とは、ずいぶんな違いだ。


「書記の二年生が被害に遭った」

「えっ? マジか?」


 竜馬はギョッとして、思わず背筋を伸ばしていた。


「姫野が学校を休んでもう二週間近くになる。風邪をこじらせたと聞かされてたから、よほど悪いのかと心配してたんだ」


 しかし、実際は神隠しにあったのを伏せられていたのだ。警察の捜査方針にのっとってのことだったが、騒ぎになって周囲の好奇の目にさらされるのを恐れた家族の要望もあった。


 彼は一週間前に戻ってきた。やはり、姿を消していた数日間の記憶を失くして。

 顧問の教師は頼りにしている会長に事情を打ち明け、内緒で頼んだ。姫野は部屋にこもって塞ぎ込んでいるらしい。いずれ登校するだろうが、その時はできるだけ気にかけ、力になってやってほしいと。


「姫野は繊細というか……、何事にも人一倍感じやすいところがあるから余計に心配なんだ」

「姫野……? 姫野って、あの姫野か? バイオリンの? あいつ生徒会の役員だったんだ?」

「なんだ? 知ってるのか?」

「目立つもんな。女子の間じゃ、ちょっとしたアイドルだぞ」


 竜馬が彼を知ったのは、去年の文化祭のあのコスプレ大会でだ。竜馬に次ぐ準優勝の表彰台にのったのが、一年下の姫野飛鳥だった。だから、彼の方も竜馬の顔と名前ぐらいは知っているはずだ。

 もしも、あの軽くウェーブのかかった柔らかな髪が金色だったら? その美貌がさらに眩しさを増しただろうにと、きっと誰もが残念がっているに違いない正統派美少年は、魔法少女に変身していた。線の細い小柄な身体を、ピンクのリボンとふりふりのレースで包んでいた。


 おそらく竜馬同様、多数決によるクラスメートのゴリ押しの被害者だったのだろう。始終不機嫌だった姫野が一度だけ別の表情を覗かせたのが、アピール芸を披露した時だった。

 プロに個人指導を受けているというバイオリンを弾いている間、彼は自分の奏でる音の世界に浸っていた。眉根をわずかに寄せた表情は、苦しげなのにどこかうっとりとして心地よげでもあり、竜馬もその顔を見ているだけで彼の世界に惹き込まれていた。

 空手の真似事をしてみせた竜馬より、女子の拍手は断然姫野の方が多かった。演奏が終わったとたん、「ヒメちゃ~ん」と黄色い歓声が飛んでいた。

 姫野が姿を消したのは、レッスンから帰る途中だったという。


「でも、帰ってこられたんだろう? だったらそれでいいんじゃねぇの」

「能天気だな。お前らしい」


 一巳にまた呆れられた。


「何も覚えてないってことは、忘れてた方がいいからかもしれないし……」


 竜馬は姫野が弾いていたバイオリンの弦を思い出していた。震えながら美しい旋律を紡ぎだすそれに、一巳の言う姫野の繊細さが重なった。彼の心は少しのストレスにも敏感に反応し、悲鳴をあげそうだ。


「自分がどうしていたのか覚えていない時間があるなんて、俺ならすごく不安になる。何とかして探れないか、無駄だとわかっていてあがくと思う」

「俺はさ、どうせわからないなら楽しい妄想をするな」

「楽しい? どんな?」

「神隠しってことは、俺をさらった犯人は神様ってことだろ? 最近の神様は漫画でもゲームでも、めちゃ強い設定だよな。だったら稽古相手になってもらう。修行させてもらうんだよ。そうすりゃ帰ってきた時には、神様譲りの力と技を手に入れてるかもしれないもんな」

「修行……」


 またアホ扱いされると思ったのに、一巳は笑った。


「そこまで振り切れるのはお前の強み……、とも言えなくもないな」


 一巳の笑顔が美夜の微笑みに重なる。一巳には口が裂けても言うつもりはないが、たわいもない会話や交わす視線を通して家族の温もりを思い出させてくれるのは、美夜だけではなかった。


「帰ってきたら、真っ先にお前を負かしてやる」


 調子づいて宣言した竜馬に、一巳がいつもの挑戦的な瞳を向けた。

 彼が何か言った。

 言ったと思ったが━━、竜馬には聞こえなかった。

 突然、視界が真っ黒に塗り潰されたからだ。


 竜馬の意識はプツンと途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る