人の形をした永遠

サトウ・レン

人の形をした永遠

「惜しい。八十年前は、私もそのくらいの年齢だったのよ」


 と、彼女がにこりとほほ笑む。帰宅しようとする僕を呼び止めたのは、懐かしい空気をまとった少女だった。僕は彼女に誘われるように、近くの公園へ行き、ベンチに並んで座る。その光景は自然と馴染むのだろう、不審な目を向ける者は誰もいなかった。


 私、何歳だ、と思う。

 という彼女の問いに、僕が八歳と答えた結果が、さきほどの言葉だ。つまりその言葉が確かならば、彼女は八十八歳、という年齢になる。八十八。その数字の、奇妙な符合に、どきり、とする。もしかして。まさか、そんなはずは。……いや、無理やり否定するのは、やめよう。忘れるはずがない。


 私には、幼馴染がいたの。八歳の頃は、まだ戦争も終わっていなかったんだけど、ね。


 僕の気持ちなんて無視するように、彼女が話を続ける。



  ※※※



 口数のすくない、恥ずかしがり屋な性格で、手先が器用だった彼は、人形職人だったの。腕っぷしを誇る周りの連中がどうも好きになれない、ってむかしよく言ってたから、その反動もあったのかもしれないわ。黙々と彼がつくり続けた人形は、あまりにも精巧だった。等身大の人形をつくれば、それは人間と見間違えそうなほどの出来で、彼の間近で、ずっと見てきたから慣れてしまったけど、最初はすごく怖かった。人間が人間をつくっている錯覚に陥りそうで。彼のことは好きだったけれど、彼の仕事は、正直に言うと、好きじゃなかったの。


 彼と結婚したのは偶然十年近く振りに再会した、二十代なかばの頃で、その時にはもう、どこかに属する形ではない、フリーランスの職人として活動していた、っけ。職人、というよりは趣味の延長みたいな、芸術家に近い感じだったわ。どこで学んだのかも分からないし、誰かの下に付いていた時期がある雰囲気もなかった。他の仕事はしていないのに、お金に困ることはなくて、聞いても彼は全然教えてくれない。彼の、魔法を使えるんじゃないか、と思うような指先には、きっと大きなパトロンがいる、とは分かっていたんだけど、踏み込んで尋ねるのは、怖かったの。


 私が、それを知ったのは、もう本当にお年寄りになってからのことだった。彼がいなくなった、すこしあとの話。お互いに、八十八歳、という年齢で、ちょっと前まで一緒にあの世に行こうね、なんて言っていた彼が、突然、消えてしまったの。置き手紙を残して。


『僕はもう死んだ、と思ってくれ』

 なんて、そんなふうに書いていたけど、じゃあ生きている、ってことじゃない。私は探したわ。老骨に鞭を打ってね。彼の支援者に当たるひとたちについて知ったのは、その時よ。ひとりじゃなくて、複数人もいるなんて思いもしなかったけど。彼らの生業を知って、驚いたけど、でも彼らが、彼に経済的な援助をする理由はすぐに分かった。彼の人形をどうしても必要とする理由が。彼のつくる人形はまさにそのためにある、と言ってもいいくらい、精巧だから。


 でも、人間の魂を、人形に移し替えているなんて、ね。永遠の命、永遠の若さ。そんなものが欲しい人間は、いくらでもお金を積むんでしょうね。


 だとしたら、あなたがどうしたのか、も簡単に想像が付く。あなたの一番のお気に入りだった少年の人形もなくなっていたから。



  ※※※



「それで僕を追い掛けてきたのか……」


 僕も彼女同様、八歳の子どもの姿をしている。周りから見れば、僕たちは小学生の少年少女で、中身が九十歳を前にした老人だとは誰も思わない。


 僕の人形を使って、呪術師を名乗る男が、人間の魂を、人形の中に運ぶ。


 永遠の命、永遠の若さ。


 若かった頃、僕はそんなものを願う取り引き相手たちを蔑んでいた。たったひとつの生の尊さを、もっと大事にしたらどうだ、と心の中で、自分よりもずっと年上の相手を説教していた。


 だけど僕自身が、年老いて、死期が近付いてきていることを悟った時、僕は急に怖くなった。死が。死にたくない死にたくない、と毎日のように怯えていた。かつて自分が馬鹿にしていた人間たちに、僕はなっていたのだ。


 気付けば僕は、支援者のひとりを通して、本名さえ分からない呪術師のもとへと向かっていた。その呪術は何代にもわたって継承されているらしく、その人物の、すくなくとも外見の年齢は、思った以上に、若そうだった。


 僕は八歳の少年の姿になり、支援者のひとりに親代わりをしてもらいながら、永遠に子どものまま生きていくことになった。小学生の間は、変化のない背丈のごまかしも利くかもしれないが、それ以降は無理だろう。死の恐怖から来る、ほとんど勢いに任せた行動だったから、先のことなんて何も考えていない。


 彼女が、僕をじっと見据えている。


「後悔してないのか?」

 僕の言葉に、彼女は否定も肯定もしなかった。


「あなたは?」

「どっちなんだろうな」


 後悔していないか、と言われれば、後悔はしている。だけどあのまま死んでいたのと、どっちのほうが後悔が大きかったか、と問われたら、それは分からない。


 たぶん、彼女の考えも同じようなものだろう。

 とりあえず事実として、これからも僕たちは人形として生き続けていく。


 彼女が、ひとつ息を吐く。


「探すの、大変だったんだから」

「よく見つけたな」


「許せないから。勝手にひとりで消えるなんて。だって私たちは夫婦よ。死が二人を分かつまでは、永遠の愛を誓った仲だってこと、絶対に忘れないでね」


 その気持ちだけで、ここまで追ってきたのか……。喜べばいいのか、怖がればいいのか。


 とりあえず、

 最近、クラスのアヤナちゃんが気になっていることは、絶対ばれないようにしよう、と決めた。

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