夜の森、私の楽しみ

蛇ばら

竈の火のホットサンドウィッチ

 夜の森は好きだ。

 静かで、やさしくて、月の明かりを頼りに歩いているとどこか別の世界へ行ける気がする。

 日が出ているあいだは仕事ばかりで空想をする暇もないから。


「……すこし遅くなっちゃった……」


 毎晩、毎晩、こうして私は夜を歩く。冷えて露をかかえた草木の匂い。穏やかな夜の空気。散歩、というには目的があるけれど、だからといってあまり生産性はないのかもしれない。それでもいい。人生には楽しみが必要だ。そういうものを、ほんのすこしまえに、私は見つけることができていた。


「カトブレパス」


 森のまんなか。白い花が一面に広がる小さな草原に、私のカトブレパスは今日も眠っていた。カトブレパス。──もう一度声をかける。

 私をふたりならべてもすっぽり包めるような大きなからだが、のっそりと起き上がる。


「おはよう、カトブレパス」


 額の角に触れれば、私のことがわかったらしい。縫いつけられた目蓋まぶたがぴくりと動く。

 カトブレパスは魔眼を持っている。見たものを石みたいに固めてしまう、そういうもの。だから街の人々が怯えきって、眠っているあいだにその目蓋を縫い付けてしまった。ほんとうはとてもやさしいのに。

 鼻先を撫でてやると嬉しそうに頬をすりつけてくる。夜はカトブレパスの時間だ。日が出ていなければ街のだれもこんな森の奥までやってこない。暗い中、バスケットをかかえて走る私のことも、だれも咎めない。


「え、り、す」

「そうだよ、もう夜。ご飯、持ってきたの」


 通ううちに、カトブレパスはすこしずつ私の言葉を覚えていたようだった。がらがらした声が頭の真上から聞こえてくる。聞きとりにくいけど、やさしくて穏やかな声。カトブレパスはひづめのついた大きな腕をそろりと開いて、私を足のあいだに座らせる。私はバスケットを開いて中身を見せてみた。縫い付けられた目蓋を開くことはできないけど、カトブレパスは鼻が良い。


「と、ま、と?」

「そう。かまどの火、っていうホットサンドウィッチ」


 嬉しそうにまた頬をすりつけてくるカトブレパス。

 私はサンドウィッチをひとつ選んで、ペーパーナプキンの上で半分に切った。


「出来立てだからあったかいよ、食べよう」

「う、ん。た、べ、よ、う」


 熱々の真っ赤なクリームだから『かまどの火』。

 熱いうちに食べないとこの料理は成り立たない。出来立てが持ってこられるように走ってきた甲斐があって、白いパンのあいだから湯気をともなって真っ赤なクリームがとろりとあふれてくる。そのなかには大きめに切ったソーセージと、たっぷり入れたチーズ、とろとろになるまで一緒に煮込んだオニオン。甘酸っぱい香りがお腹のそこをくすぐってくる。もう半分に切って、食べやすいようにちょっとだけふうふう吹いておく。カトブレパスはきっと大丈夫だけど、それもけがをしたら嫌だから。

 四分の一になったサンドウィッチを鼻先に差し出すとカトブレパスはばくんっと一口でそれを食べた。


「ふふ。よく噛んで食べるんだよ、カトブレパス」


 むぐ、むぐ。あまり表情があらわれないカトブレパスだけど、食べ物をほおばっているあいだは一生懸命な子どもみたいで、ちょっとかわいい。はきだしたりひどく熱がったりしなかったから、私はもう半分を食べることにした。

 さすがに一口では食べられない。まだまだ湯気のたつ切り口に口をつけて、そっと齧る。


「ん……ふっ、あふ」


 噛めばソーセージの旨味がじゅわっと広がって、さっそく空腹にしみこんでいく。香辛料をすこしだけ入れたから、普通のトマトクリームとは一味違うこだわりの仕上がり。はふはふ、熱を逃がしながら食べ進めていく。冷めたら酸っぱくなりすぎるから、熱い熱いと騒ぎながら食べるのが本来の作法なのだ。

 ソーセージの肉厚な食感に、ぷりっとした食感はマッシュルーム。トマトクリームにこだわったぶん具材は少なめにしたのは正解だったようだ。チーズのおかげでトマトクリームの酸味がまろやかになっていて、ひとくちだけでも色んな味が口のなかいっぱいに広がっていく。


「ふう、ふう」

「え、り、す」

「あふ……ん、食べ終わった? もうひとつあるよ、口を開けて」

「う、ん」


 ぱかっと開けた口に、今度は半分のままそっと差し出す。

 やっぱり一口でばくんと食べて、カトブレパスはうん、うんとうなずいている。トマトが苦手な様子はなかったけれど、試してみたのははじめてだった。どうやらこの味は気に入ってくれたらしい。それに、ソーセージは結構好きなのかもしれない。こうして催促してくれるのも珍しいことだ。

 鼻先がちょっとだけ額にあたる。ソースが口の端についていたので、ナプキンで拭ってやった。


「もうひとつ、今日は別の味も持ってきたの」


 バケットを開けて、もうひとつのサンドウィッチを取り出てみせる。こっちはすこしパンの端が焦げてしまっているけれど。


「こっちはね。同じクリームでもチーズがなくて……」


 ナプキンの上で半分に切る。カトブレパスはからだが大きいから、こちらはソーセージをミートボールに変えて、もっと食べ応えがあるように工夫してみた。クリームもよりトマトがしっかり感じられるはずのものに調整している。さっきのものより酸味が強い香りだけど、カトブレパスは興味深そうに鼻先を寄せてきた。


「口、開けて。あーん」

「あ、あ」


 覆いかぶさるように落ちてきた口に、半分を差し出す。

 もう半分は私の分。焦げたほうを選んで一口、二口齧る。

 クリームがしみてふわふわになっている部分と、焦げてかりかりした部分が食感の違いになって面白い。ミートボールはちょっと私には大きすぎた。だけどボリュームたっぷりだから、きっとカトブレパスにはちょうどいいだろう。

 むぐ、むぐ、とホットサンドウィッチを食べ続けているカトブレパス。食事を摂るといつも、灰色の毛皮がすこし血色がよくなってくる。私くらいになれば、それは夜の月明りでもわかる。街のだれもが知らないこと。ちょっと硬い毛を撫でるとくすぐったそうに身じろぎした。


「カトブレパス、おいしかった?」

「あ、り、が、と」

「よかった。ふふ」


 角が当たらないように気をつけてくれる動きがいとおしい。

 エプロンの上に散らばったパンくずとバスケットを片付ける。カトブレパスの懐はとても広いものだから、私が立ち上がることでやっと頭のてっぺんが一緒になるくらいだ。うなだれるように曲がった首と背中をついとなぞると、カトブレパスはのっそり立ち上がる。

 かわいい私のカトブレパス。


「まだ夜はながいから。今日は何をしようか」


 夜のピクニックはまだまだこれからで、私と私のカトブレパスでいれば、ちょっとしたことでも楽しくなる。

 今日の仕事の嫌だったこと、すこしだけ得したこと、ここに来るまでに見た綺麗な花だとか、月の満ち欠けと雲の流れの話とか。聞こえてくる相槌もすこしずつうまくなっていて、あとどれくらいしたら私と同じように話せるようになるんだろう、とか。いつかその両目が見てみたいなんてことを言ったら、ちょっと困った顔をして聞こえなかったふりをするところも、いじわるを言いたくなるかわいいところ。

 ふたりで草原を気の向くままに歩く。

 夜の森は好きだ。静かで、やさしくて、私たちのあいだを邪魔しない。

 いつまでたっても尽きることのないおしゃべりの時間がずっとずっと続いてくれる。


「ねえ、かわいい私のカトブレパス。明日は何が食べたい?」


 からっぽになったバスケットに次は何を詰めようか。

 そういうことを語り合う、それもまた、私の楽しみのひとつなのだ。

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