マンションのお隣さんに義理チョコのお返しをする件

久野真一

第1話 マンションのお隣さんに真意を聞きたい件

「はあ……もう明日はどうしようかな」


 ベッドに寝っ転がって、昼光色のLEDをぼーっと見つめながらひとりつぶやく。

 春の足音も聞こえてきて、冬用の寝間着も暑苦しくなってきた三月十三日の夜。

 明日のホワイトデー、郁美いくみに手紙の件をたずねるべきだろうか。


 ピンク色で最下段には犬が鎮座した可愛らしい便箋。一か月前のバレンタインデーにもらったチョコが入った箱と一緒に入っていた便箋はいかにも彼女が好きそうなデザインだ。それには、こう書かれていた―


【Happy valentine's day!ショウ。これは書くか悩んだのだけど、伝えないと後悔しそうだし―】


 ショウは俺、佐久間勝栄さくましょうえいのあだ名だ。小学校の頃に、「呼びづらい」なんて言う理由で「ショウ」と略されて以降、郁美からはそう呼ばれている。


 問題はこの書きかけの便箋がクシャクシャになった状態でバレンタインデーに渡された手提げ袋の中に、チョコと一緒に入っていたことだ。


 もちろん、郁美からのは本命ではなくて義理チョコだ。

 それはバレンタインデー当日のことだった。


◆◆◆◆


 いつものように連れ立ってマンションのエントランスを出たところだった。時間があえば一緒に登校するくらいの仲である幼馴染の生島郁美いくしまいくみ。後ろ髪はうなじよりも少し下くらい。前髪も眉毛が隠れないくらいまでに短めに切り揃えた髪。150cmに少し満たないくらいのちょっと小さめの身体つきや童顔もあって実年齢である16歳よりも少々幼く見える。


 そんな郁美が急に立ち止まったかと思えば、俺に向き直ってずいっと手提げ袋を押し付けてきた。何やら少しだけ微笑んでいて、この笑顔が俺は昔から好きだった。


「はい、ショウ。今日、バレンタインデーでしょ?」


 仕方ないんだから、といいたそうな顔。そんな、少しお姉さんぶったようなしぐさも昔からでやっぱり好きなところだ。


「おおー。義理チョコだとわかってても、ありがたや。郁美様~」


 おどけて手を揉んで拝むポーズをしてみる。本当は照れ臭いので誤魔化しているだけなのだけど、郁美は果たして気づいているのか否か。


「別にいいけどね。義理チョコで毎年ここまで喜ばれると照れ臭いわよ」


 確かに義理は義理だ。でも、いくら郁美がお菓子作りが好きとはいえ好きな相手が自分のために手作りのチョコを作ってくれるんだから男としては嬉しい。


「モテない男子としては、郁美いくみ様にもらえるチョコは値千金の価値があるんだよ」


 本当は郁美だから嬉しいのだけど、あえて軽いノリを装う。


「そういうわざとらしい芸風がなくなればもうちょっとモテるんじゃないの?」


 そんなやり取りもいつものこと。 


「今更変えられるもんでもないしなあ」

「じゃあ、永遠にモテないままね」

「なら、仕方がないな」


 強がりだ。でも友達として好意的なのは間違いがなくて、こんなやり取りが素直に嬉しかったりもする。


「まじめな話ね」


 すっと顔から笑顔が消える。彼女が率直な意見を切り出すときの前振りだ。


「ああ」


 こういう時はさすがにおふざけをするわけにはいかないので居住まいをただす。


「ショウはいい子だし顔もそれなりだから、身だしなみにもっと気を遣えばモテると思うわよ」


 郁美の俺評価は意外に高くてそれ自体は嬉しいのだけど、別に誰でもいいから女子にモテたいわけじゃなくてお前にもっと好かれたいんだけどな。


「俺なりに身だしなみには気遣ってるつもりなんだけどな」

「学ランの襟、曲がってるわよ?」


 溜息をついて仕方がなさそうに、学ランの襟を立ててくれる。こうしたことをされるのは同い歳なのに年下扱いされてるようで少し微妙な気持ちだ。でも、昔からの友人だからなのは間違いなくて、嬉しくもある。


「悪い悪い」


 そんなやり取りを経て何気なく登校して―ちなみにチョコはカバンの中に放り込んだ―多少付き合いがあるクラスメートからはチロルチョコやら100円チョコなど「The 義理チョコ」が明らかなものをいくつかいただいた。


 で、帰宅部の俺はさっさと下校するのが常なのだけど、下校した後に「今年の郁美からのチョコはどんなものやら」と開けてみたら出てきたのがチョコをラッピングした箱と可愛い便箋だった。ただ、その便箋はクシャクシャに丸められていて、どうも書かずにポイ捨てしたものが紛れ込んだらしい。


【Happy valentine's day!ショウ。これは書くか悩んだのだけど、伝えないと後悔しそうだし―】


 書きかけの手紙を見て、咄嗟に「これ実は紛れ込んだのでは」と直感した。。


 バレンタインデーに伝えるかどうか悩むことで思い当たるのは、告白。

 友達として仲良くしているわけだし、郁美が好意を持ってくれてるかもと思うくらいは妄想ではない……ハズ。


 ただ、お話の中であればほぼ間違いなく告白の伏線だけど現実的にはもうちょっと違うこともあるかもしれない。たとえば、彼氏ができたとか……いやないか。


(彼氏ができたのなら普通の会話でいうだろうしな)


 郁美も切り出しづらいだろうけどバレンタインに知らせることでもないだろう。そんなわけがわからないことをする奴でもないしいな。


 しかし、言えなかったのが俺への秘めたる想いだなんて言うのも楽観的過ぎるかもしれない。俺に今まで言えなかった悩みや秘密を打ち明けたかったのかもしれない。それに、郁美は少し照れ屋なことがある。日頃口に出来ないことを唐突に文字で伝えてきたことだって何度かあった。去年のバレンタインデーなんか、


【義理だけどショウのことは大切に思っているから。これからもよろしくね】


 なんて思わず顔が熱くなるメッセージカードが入っていたこともあった。

 また、何やらこっぱずかしいメッセージでも送るつもりだったのかもしれない。


(あいつは俺のことどう思ってるんだろうなあ)


 友達として好いてくれているのは疑ってはいない。妙に世話を焼こうとする言動は俺に対してだけで、他の男友達に気安く接しているのは見たことがないし。ただ、俺を見つめる視線は異性に対するものとは違うんじゃなんて思うこともある。


 そういえば、あいつと会った頃はどんなのだったか。

 郁美との付き合いは幼稚園の頃にまでさかのぼるわけだけど―


◆◆◆◆


 僕が育ったのは、数百世帯もある家族層向けのマンション。

 小学校に入る前に引っ越して来たのだけど、それ以前は千葉に住んでいた。


勝栄しょうえい。ご挨拶なさい?」

「はぁい」


 引っ越しの当日。郁美のお母さんを目の前にして引き合わされた僕と郁美。

 お隣さんとして子ども同士仲良くしてもらえればとも思ったんだろう。


「さくましょうえいです。いくみちゃん。よろしくね」


 この頃は小さかったから、郁美ちゃんが女の子だっていう意識も希薄だった。なんとなく握手をしようと差し出した手は握り返されることはなくて、郁美ちゃんはただじーっと僕の手を見つめていたっけ。


「ごめんなさい佐久間さくまさん。この子はぼーっとしてるところがあって」

「お気になさらず。郁美ちゃん、可愛いですよね」


 母親同士の会話の意味は当時はよく理解できなかったけど、しばらくの間郁美ちゃんは僕の手をじーっと見つめたかと思えば、唐突に、


「しょーえーくん、はじめまして。いくしまいくみです。よろしくね!」


 元気よく挨拶したかと思えば、ギュっと一回だけ両手で握りしめてすぐに部屋に戻ってしまったのだった。


「郁美も妙なところで恥ずかしがりやなんだから」


 郁美のお母さんがそんなことを言ってたっけ。僕はと言えば、


「あくしゅしてくれたのに、なんでにげるんだろう」


 なんてことをぼーっと考えていた気がする。


◇◇◇◇


「考えてみれば昔からよくわからないところがあったよな」


 あの時の出会いはただそれだけ。

 それ以降なんとなく仲良くするようになった気がするけど、経緯まではよく覚えていない。少し内気な部分がある彼女にとって、色々しゃべりやすかったのかもしれない。


 出会った頃なんて朧げな記憶しかない。

 郁美もなんで自分があんなことをしたかなんて覚えてないだろうけど。


(やっぱ明日聞くべきか?)


 この一か月間、何度もした問いだ。便箋の件はたずねるしかないだろうという結論にたどりつくのだけど、郁美の方から切り出してくれることがあるんじゃないかと考えたこともあった。


(チャンスではあるんだよなあ)


 俺のことどう思ってる?なんていきなり聞いたらビビられること間違いなし。

 しかし、今はバレンタインデーに思わせぶりな便箋という材料があるのだ。

 アテが外れたとしても、


「残念残念。てっきり長年の想いを伝えてくれたのかと思ったのに」


 なんて流せばいい。郁美の前でおどけて見せるのは照れ隠しでもあるのだけど気持ちをごまかすためにだって使える。


(よし便箋の件はきちんと聞こう)


 ホワイトデーのお返しは既に用意してある。彼氏でもない俺が重いお返しをしても……ということで、最近はよく悩む。結局、定番とも言えるクッキーでちょっとだけ高級な2000円くらいするものを買ってある。


(よし、寝よう)


 これ以上悩んでも仕方がないと、消灯したちょうどその時だった。

 枕元に置いてあるスマホがブルブルと振動する。ん?


【ねえ、ショウ。もう寝た?】


 ラインを開くと、まさに張本人からのそんなメッセージが来ていたのだった。

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