桃と御神体

 桃をご馳走になるため、案内された本堂で一休みしていると、お盆を持った柳が奥から戻ってきた。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 皿の上に切り分けられた、水々しい桃の数々。僕は柳に礼を言うと、早速そのひとつを口に運んだ。

 口の中に入れた瞬間に広がる、優しくも甘い味。あまりの美味しさに、僕の顔は自然と綻んでいた。

 そんな僕の表情に、必死に笑いを堪える声がどこからともなく聞こえてくる。いつもなら聞き覚えのあるその主に反応するところだが、今はこの美味しさを堪能したいので、気にしないでおくことにした。

「美味しいかい?」

「はい、とっても」

「まだまだあるから、たくさん食べてね」

「ありがとうございます」

 お清めはお祓いをする際は、特に集中力がいる。そのため、仕事の後に食べる甘い物は、いつにも増して美味しく感じてしまうのだ。

 そうして、しばらく桃の味を堪能した僕は、一息ついたところで柳に話を切り出した。

「それにしても、今回は随分と穢れが溜まっていましたね。前にお清めをしてから、一月しか経っていなかったのに」

「そうだね。私の方でも、お清めは定期的にしていたんだけど。こんなことが起きたのは、るい君に頼むようになってから初めてのことだよ」

「ここに戻る途中で、御神体の方も確認してきましたけど、特に問題はなさそうでしたし……」

 この興円寺の御神体、観音菩薩の石像は墓地へ向かう道中にある。三十年前に行われた墓地の拡張工事で、墓地にあった石像を今の場所に移したそうなのだが、あの場所に霊脈が通っていないことは、僕が看破するまで誰も知るものはなかった。

 霊脈は霊的な力の通り道であると同時に、此岸しがんと彼岸ーー現世とあの世を繋ぐ道でもある。そのため御神体には、浄化の役目以外に、集まった霊達を彼岸へ導くための道標の役割も担っている。故に、御神体は霊脈上に設置されるのが慣しなのだ。

 しかしこの興円寺の御神体は、人工的に繋いだ霊脈の小川の上に立っている。霊脈と再び繋がったおかげて、道標の役割を果たせるようにはなったが、通り道が狭いせいもあってか、御神体そのものの浄化作用が追いつかない、などということはしばしばあった。

 その度に御神体のお清めも行なっているのだが、先程の様子では御神体が原因というわけではなさそうだった。

 まるで霊脈そのものから、穢れが放たれていたようなーー

「……柳さん。今回の件について、何か思い当たることってないですか?」

「思い当たること?そういえば……。三週間程前、隣町で落雷があったのは覚えてるかい?」

「はい。話程度には……」

「その落雷の落ちた場所っていうのが、その町の無人寺にある御神木だったそうなんだよ」

「なるほど……」

 合点がいった。その落雷が原因で御神木が枯れてしまったのだとしたら、その地域周辺は穢れを浄化することができなくなる。

 もしその穢れが、霊脈を通じて近隣にまで流れていたとしたら……。霊脈から穢れが放たれていたのも、近隣に立つこのお寺に影響が出ていたのにも納得がいく。

「それから、これは関係があるかはわからないけれど……」

「なんです?」

「近頃、その地域で連続不審死が相次いでいるそうなんだよ」

 その話を聞いた瞬間、僕は顔をしかめた。

「なんでも、全身の血を抜かれた遺体が何件か見つかっているそうでね。巷では連続吸血鬼殺人だとかで、随分噂になっているそうだ」

「柳さん。その事件って、いつ頃から起きているんですか?」

「確か、落雷のあった辺りだったと思うよ?」

 柳からの情報を元に、僕は思考を巡らせた。

 前回お清めを行なったのが、一月前。その一週間後、無人寺にある御神木に落雷が落ちた。そして、同じ頃合いから、全身の血を抜かれた変死体事件が何件か起きている。

 まさかーー。

 僕の中に、ひとつの可能性が過ぎった。それも、最も最悪な可能性が。

「……るい君?どうしたんだい?」

 突然の動揺に、柳は心配そうな表情で僕を見つめた。しかし、それに答えられるほど、今の僕に余裕はなかった。

 僕はすぐさま、内なる彼に語りかけた。

 ーーどう思う、剛濫

『どうもこうも、こいつは当たりの臭いしかしねぇな』

 ーー全てが運の悪い偶然、ってことはやっぱりないよね

『……だろうな。こいつは、久々の大仕事になるかもしれんぞ、坊主』

 剛濫の声に頷くと、僕は柳の方へと振り返った。

「柳さん。僕、そのお寺に行ってみようと思います。ただ、今日はお清めの道具しか持ってきていないから、明日きちんと準備をしてから、行こうと思います。念のため、協会に連絡を入れておいてもらえませんか?」

 僕のそれが何を意味するのか、柳は悟ったらしい。一瞬驚いた様子だったが、すぐさま心配そうな表情でこちらを見つめた。

「るい君、それはつまり……」

「……何事も、なければいいのですが」

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