第30話 押すなよ!絶対押すなよ!

 何も無い世界で、最初に回復したのは触角だった。


 背中にはベッドの感触。そして後頭部が、すごくきもちいい。


 あまりのやわらかさに頭が程良く沈み込んで、首と頭がすごく楽だ。


 おまけに内側からやさしく支えるように押し返してくるこの弾力。姉ちゃんが通販で買った高級低反発力枕なんて目じゃない寝心地だ。


 頭を動かしてその感触を堪能しながら、俺はその枕に手を伸ばした。


 つきたてのおモチのようにもちもちしていて、ゼリーのようにプルプルで、おまけに絹みたいにスベスベでありながら手に吸いついてくる。


「……ぁ」


 ん、今何か聞こえたぞ?



 俺が枕に指を喰い込ませてもみしだくと、また小さくて甘い、しびれるような声がどこからか聞こえて来る。


 視界が徐々に明るくなって、ぼやけた視界が明瞭になる。


「ふぁっ!?」


 目の前にあったのは大きめの双子山と、その間から俺を見下ろす叶恵の桜色の顔だ。


「あ、起きた?」

「え? あ、叶恵?」


 俺が触っているのも、頭を乗せているのも叶恵のぷにっとした太ももだ。


 どうりできもちいいはずだ。


 お尻を第二の胸だとすると、太ももはまさに第三の胸だった。


 途端に、軍の尻派達の幻影が現れる。


 みんな『尻を第二の胸とは何事だ、胸が第二の尻なんだ』とか言ってくるがうざい、お前らは消えろ。


「悪い、気ぃ失ってた」


 俺はあわてて太ももから手を離して起き上がろうとする。


「あ、待って」


 俺が上半身を起こすとの、叶恵が上半身を倒すのはおおむね同時だった。


「「~~~~っっ」」


 俺の顔面が、叶恵の下乳を直撃。


 俺は視力と息を封じられて、無理矢理上体を起こして逃れる。


 顔面がすごく熱い。


 たったいま熱湯から上がったようだ。


 やばい、叶恵と顔合わせにくい。


 さっきの事件を思い出して、俺は脳内の冷却装置を稼働させる。


 何せ俺の頭の中ではミサイル基地が絶賛誤爆中なのだ。


 いや落ち着け桐生朝更。


 何を気にする必要がある。


 バスタオルで出て来たのは叶恵の自業自得!

 バスタオルをはがしたのはサクラ単品の罪!


 つまりその場に居合わせただけの俺は無罪! ジャスティス!


 ならば俺の取る行動はただ一つ!


「サクラ、カモン!」


 部屋の隅で寝ていたサクラが俺に飛び付いて来た。


「こらサクラ! なんてけしからんかつイケナイ事をしたんだ! もうあんな事絶対しちゃ駄目だぞ! 絶対だからな! 絶対絶対絶対ぜぇええええったい駄目だからな!」

「わふん」


 怒鳴りながらサクラの頬の皮をぶにぶにむにむに伸ばしまくる俺に、サクラは目を細めて甘えるように鳴く。


「朝更」

「はひぃっ!」


 俺は全身をビクリと跳ね上げて硬直。サクラは俺を捨てて走り去る。


 行かないでサクラ、お兄ちゃんを一人にしないでおくれ。


 俺は錆びついたブリキ人形のような動きで振りむく。


 そこには、ベッドの上にアヒル座りで座る、パジャマ姿の叶恵がいた。



 パジャマはヒヨコ柄で、丸くて黄色いヒヨコがいくつもプリントされている。


 UFOキャッチャーでもヒヨコのぬいぐるみ欲しがったし、叶恵ってヒヨコ好きなのかな?


「あのね朝更」

「はい!」


 叶恵はアヒル座りで、両手は太ももの間に下ろしている。

 恥ずかしそうに赤い顔をちょっと伏せて、やや上目づかい気味に俺と視線を交える。


「あの、その……うぅんと、ね」


 全ての爪と牙を失った狼でも、ここまで弱々しくは無いだろう。

 デコピンで倒せそうなくらい弱った叶恵は口を開けて固まって、でも絞り出すように言った。


「お互い帳消しにしよ!」

「え?」

 叶恵は視線を泳がせる。


「え~と、だからね、その、あたしは気にしない事にするから、だから朝更も気にし

ないでほしいの。だから何が言いたいのかって言うと……とにかくこれまで通り普通にして!」

「お、おうそうだな! うん、これまで通りにするよ」

「よかった、これが原因で、朝更がどうにかなっちゃったらどうしようって思ったわよ」


 安堵のため息をつく叶恵に、俺は声を出して笑う。


「ははは、俺がどうなるっていうんだよ。それよりちょっと熱くなったから何か飲むか」


 俺は冷蔵庫から缶ジュースを取り出すとデコピンを一発。

 スチール缶が人差し指で縦に抉られる。


「何やってんの朝更!?」

「え? 俺は面倒だから缶はいつもこの空け方だぞ? ああ冷たくてきもちい」


 俺は缶をひっくり返して、ジュースをかぶった。


「朝更絶対気にしてるよね!? 今正常じゃないよね!?」

「そそそ、そんな事はないさ! 俺はいつもこんなクオリティだよ。それより叶恵、やっぱり俺コーチのお礼とか何もいらないよ。だってあんな」

「それはいやぁっ!」

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