1-11 英雄ヘラクレス

「あ、はい、一応……ヘラクレスがミケーネ王――エウリュステウスに課された課題、でしたっけ」

「おや詳しいね、その通り。女たらしとして有名な最高神ゼウスと人間の女性の間に生まれた半神半人の英雄、ヘラクレスのお話さ」


 様々な逸話が語り継がれる、ギリシャ神話の中でも最も有名な英雄ヘラクレス。彼はゼウスの妻である女神・ヘラに憎まれ、正気を失う呪いをヘラからかけられたことで、自分の子供たちを炎の中に投げ込んでしまったそうだ。

 ……怖すぎる話だ。


「そのあと正気を取り戻したヘラクレスは深く悔い、その罪を清める方法を窺うために神託に助けを求め――そこで示されたのが、『エウリュステウスから課される難業を果たせ』ってお告げでね。それが、『十二の難業』ってわけ。このうみへび座の神話もその一つだね」

 怜さんの解説に俺は思い出す。ヒュドラとは確か、九つの頭を持つ不死身の水蛇だ。それを倒してこいという課題がヘラクレスに課せられるのだけれど、落としてもまた生えてくる不死身の蛇の頭たちにヘラクレスが苦戦する……そんな話。


「ギリシャ神話とか星座の神話って、割とエグい話あるよね」

 ババロアを口に運びながら、桐山がコメントする。人の気も知らないで、すっかり寛ぎモードだ。

「割とどころか、そんな話ばっかりだと思うわ」

 同意しかない、と俺はとりあえず無言で頷く。「本当に神様だよな?」と突っ込まずにはいられないエピソードが満載なのがギリシャ神話だ。


 むしろ人間の嫌な部分がいっそのこと清々しく露わになっていて、だからこそこんなにも長く語り継がれているのかもしれない、とも思うけれど。

「まあ、『人間の嫌なところを極めて煮詰めました』って感じがだんだんクセになってくるよね」

 怜さんがしみじみと言う。クセになるかはともかく、なんとなくその感覚は分かるような気がしないでもない。

 ぼんやりとそんなことを考えながら隣を見ると、両脇の二人はいつの間にかぱくぱくとババロアケーキを崩しにかかっていた。


「碓氷くんも遠慮せず食べてね。これ、試作品だからお気になさらず」

「あ、はい……すみません、ありがとうございます」

 怜さんににこやかに促され、俺はスプーンに手を伸ばす。……なんか状況がよく分からないまま流されてるけど、お代は後で必ず払おう。そうしよう。

 まずは白いババロアに切り込みを入れにかかる。ババロアを一口分掬い上げて口に運ぶと、プルンとした食感と、ミルキーで滑らかな舌触りと共にカスタードクリームを食べているような濃厚な味わいが口の中に広がった。かといってくどくない上品な甘さで、するするといくらでも食べてしまえそうなほど。


「……これ、おいしいっすね」

 思わず感想をぽつりと漏らすと、怜さんは「それは何よりだよ」と言いながら俺たちの前にドリンクのグラスを置いてくれた。氷がからんと鳴るその中身は、どうやらアイスティーのようだ。

「その真ん中のゼリーはね、紫がブドウ、青がブルーハワイのサイダー、透明なのが普通に砂糖で味付けしたやつ。よかったらどうぞ」

 怜さんに勧められるがまま、クグロフ型のババロアの中心部にぎっしり詰められた宝石のようなゼリーたちを、外側のババロアと一緒に口へ運ぶ。一つ一つがとても繊細ながらもしっかりと味が付いているそれは、ブドウとサイダーと、それからババロアの優しい生クリームの味わいと共に口の中で解けていった。

 

 キンキンに冷えたアイスティーで喉を潤すと、そこへアールグレイの良い香りが鼻腔を吹き抜けていく。さらにそこへ、皿の周りに配置されているうみへび座型のチョコレートを一口。

 やばい。とてつもなく美味い。


「あれ、これってひょっとして蟹座?」

 舌鼓を打ちながらケーキを食べ進めていると、傍らの桐山からそんな声が上がる。

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