1-6 『曰く』の原因
「お、分かった?」
俺が顔を手で覆っているから分からないけれど、桐山がそわそわとしているのだけは分かる。俺は左手で顔を覆ったまま、右側に広がる校庭の方向を右手で指さした。
「その『いわく』の原因、多分これだ」
「ん? 校庭?」
「違う。その外側」
ため息を吐きながら足取り重く校庭の方へ歩き出す。その「原因」の元まで歩いていくと、桐山は「あー」と言いながらポンと手を叩いた。どうやら合点がいったらしい。
どうでもいいけど、その仕草ちょっと古くないか。
「なるほど、だから『東京だから』なのか。ダブルミーニング」
「理解が早くて助かる」
俺がそう言うと、桐山はニヤリと笑った。
「まあ実際は秋にならないと分からないけど、ここいらのイチョウの木は多分雌木なんだろうってことか」
「十中八九、そうだろうな。それも秋になると多分めちゃくちゃ実が落ちてくるやつ。都会のど真ん中の道に植えられてるやつと違って」
俺は桐山の言葉に頷きながら、同意の言葉を述べる。
つまりはそういうことだ。半年後、つまり今の四月から六か月ほど後は十月。秋である。
秋の風物詩、イチョウの木は東京都の「都の木」として設定されている。古代植物の生き残りであり、公害や火にも強いため街路樹としても使われることの多いこの木は、雌木が秋に落とす実でも有名だ。
――もうとっくのとうにお分かりだろう、銀杏のことだ。
「『踏みつぶされた』銀杏の匂いねえ……確かに洒落にならないな」
桐山はその柔らかそうな猫っ毛の茶髪をがしがしとかきながらイチョウの木を見上げた。
「そうだな。現にそのせいで表参道とか原宿とか、神宮外苑とか、人が多い都会の街路樹には雄木しか植えないって聞くし」
雌木は実である銀杏を落とすが、雄木はそもそも銀杏をその木に付けず、付けないから落としもしない。
東京都の木であるイチョウの木――都会っ子の中にはその『匂いのしないイチョウという街路樹』の存在に慣れていて、銀杏の匂いのことをすっかり忘れている、もしくは知らない奴もいる。そういう奴は秋まで、ここいら一帯が危険地帯と化すことに気が付かない。それが、『毎年誰かしら一年生が通る道』というわけだ。
「なんとまあ、限定的にしか成立しない曰くだね」
「そうだな……」
俺は相槌代わりに返事をしながら、イチョウの木を見上げた。まだ青々とした緑色を惜しげもなく振りまき、唯一校庭側に面している一年G・H組前の駐輪スペース一体へ向けて秋に起こす出来事――『銀杏の匂いテロ』の雰囲気を微塵も感じさせない、その木たちを。
しかし、洒落にならないくらいに落ちた銀杏の群れの匂いが臭いのは分かるけれど、そこまで『曰く』に昇華するほどのことなのだろうか、これは。くだらなさすぎないか?
腑に落ちないものを感じて消化不良に陥っていた俺の隣で、桐山がぽつりと呟いた。
「毎年あるんだろうね」
「何がだ」
俺が聞き返すと、桐山はイチョウの木を指さした。
「この『曰く』語りさ。おそらく、一年にもったいぶって理由を教えずにここの『曰く』を吹き込んだ先輩たちは、自分たちも一年生の時同じ目に遭ってるんだろ」
「ああ、それでニヤニヤしてたってわけか」
俺は成程、と頷いた。おそらく上級生たちも事情が分かった時に思ったのだろう、『なんてくだらないんだ』『あれだけもったいぶってオチがこれかよ』と。
それだけではどうにも面白くないし消化不良だ。だから『曰く』として意味ありげな感じを装ってまだ何も知らない新入生に吹き込みをする。嘘を言っているわけではないし、理解できず訝しがる後輩たちを見て楽しんでいる、というわけだ。
「伝統みたいなものなんだろうな。でなきゃ誰一人として理由を教えてくれないなんてこと、あるわけない」
「いや、どんな伝統だよ……」
俺は脱力しつつそう突っ込んだ。あってたまるか、そんな伝統。いや実際、ここにあったのだけれども。
「それにしても」
桐山が駐輪スペースの方に戻りながら首を傾げる。
「理由は分かったけど、何でそれでも先輩たちはここいらに停めないんだ? 一年生しか、ここに自転車を停めてない。別に秋じゃなきゃ銀杏の匂いをくらう訳じゃないんだから、停めてもよさそうなものを。折角の穴場なのに」
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