カラカラ

葛瀬 秋奈


「オレ、お笑い芸人になる」


 そろそろ暖かくなってきた3月初頭、居間のコタツでみかんの皮をむいていた兄がぽつりと言った。私と弟はまたか、と顔を見合わせた。


「兄さん、去年も似たようなこと言って何もしなかったでしょ」

「去年はミュージシャンだったろ」

「そうだね。それで、一昨年は漫画家だった」

「その前は……何だったっけ?」

「発明家」

「それだ」


 私と弟にジト目で見られて兄も負けじと睨み返す。


「何が言いたい?」

「できない夢を口にするのはやめろって」

「そう。つきあわされる家族は迷惑だから」

「夢をみるのは自由だろ。オレはみんなを笑顔にしたいんだよ」

「言ってることは立派だけどね」

「やってることは虚無だからね、虚無」

「とにかくもう町内お笑い大会に申し込んできちゃったんだからネタ出しを手伝ってくれよ」


 コタツの上にチラシを出して説明する兄。一人から出場可能で、優勝すれば賞金が出るという。町内会のイベントにしては妙に羽振りがいい。


「町おこしイベントとして試験的に開くことになったらしい」

「へー、ピンでも出られるんだね」

「行動してるだけいつもよりマシかぁ」

「だからな……ネタ出しを手伝ってくれ」

「うん。それは聞いたけど」

「まさか……ノープランなのか?」

「フッ、そのまさかだ」

「かっこつけて言うな!」

「バカなのかな。それともアホなのかな」

「ハッハッハ、そんなに褒めるなよ」

「普通に引いてますけど?」

「……まあ一応つき合ってあげるから、兄さんお茶のおかわり持ってきて」

「追加のみかんもね」

「あいよ」


 カラカラ……。


 兄が立ち上がった瞬間、すぐ近くで妙な音が聞こえた。


「うん?」

「どうしたの姉さん」

「今、なんか変な音が……」


 もう一度耳を澄ませてみたが、今度は聞こえなかった。


「何も聞こえないじゃん」

「おかしいな。空耳かな?」

「しっかりしてよ。おかしいのはバカ兄貴だけで充分なんだから」

「確かに。ごめん」

「お前たち兄に対して辛辣すぎない?」


 お茶のペットボトルとみかんを持って戻ってきた兄が私の横に座ると、やはりカラカラと変な音がする。例えて言うなら乾燥したクルミを振ったときのような。


「……なんで」

「どうかしたのか?」

「ちょっと場所代わって。で、兄さんは頭揺らしてみて」

「え、うん」

「お、おう」


 とまどう弟を私のいた場所に座らせて、兄に頭を動かしてもらった。私の予想が当たっていればこれで聞こえたはずだ。当たっていてほしくもないけど。


「……え、どういうこと?」

「聞こえたでしょ」

「なにこれ。なんか怖くない?」

「ぶっちゃけ私もだいぶ混乱してる」

「ハハハ、なんだどうした二人とも」


 兄は笑っているが、のだからこういう反応にもなる。


「兄さんには聞こえないの?」

「そういえばさっきから耳鳴りがするような、そうでもないような」

「病院行ってきなよ」

「いやでも他は特に異常もないし」

「いいから診てもらってこいバカ兄貴」

「はい」


 翌日。病院へ行ったはずの兄は、思いのほか早く家に帰ってきた。


「ただいま〜」

「おかえり。どうだった?」

「よくわからん。医者が言うには脳が縮んで固まった梅干しみたいになっているが病気ではなく命に別状もないらしい。日常生活にも全く支障ないそうだ」

「う、うめぼし?」

「病気じゃないならなんなんだ」

「原因については全くわからんかった」

「ヤブ医者かよ」


 どこの病院に行ったのやら。そもそも診察から検査までが早すぎる気がする。私も専門知識があるわけじゃないけど。


「結局なんもわからんのじゃないか」

「なんもわからんのだ」

「威張って言うな!」

「前からおかしいとは思っていたが、ついに体までおかしくなってしまったか……」

「まあ、この体も悪くはないさ……ハッ!」


 兄が何かを思いついたように立ちあがった。


「そうか……そうだったのか……」

「いや急にどうした」

「見ていてくれお前たち。オレはみんなを笑顔にしてみせる!」


 兄はそのまま高笑いをしながらどこかへ行ってしまった。残された私たちは顔を見合わせてため息をついた。


「……まあ、春だからな」

「……春だからね」


 それから数カ月後、兄は芸人としてテレビに出るようになった。そして私と弟はというと、すっかりコタツも片付いた居間でテレビの中の兄を眺めている。


「いや〜、まさか兄さんが人間楽器の芸であそこまでブレイクするとは」

「人生って本当に何があるかわからないね、姉さん」

「でも、いいのかな。お笑い芸人とは少し違うような気もするけど」

「いいんじゃない。本人の望み通りみんなを笑顔にできたんだから」

「笑わせてるんじゃなくて笑われてるんじゃないの、アレ」

「結局は主観の問題なんだ、たぶんね」

「確かに唯一無二の芸ではあるけどさ」


 私にはいまひとつ理解できないけれど、今日もテレビからはあの音が聞こえている。

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