辺境惑星「快楽」で俺は泣く

柴田 恭太朗

1話完結 毒夢の時間

 トイレから戻りオフィスのドアを開けると、シワだらけの落語家がニヤニヤしながら俺を真っ直ぐ見つめていた。突然の出現に驚いた俺の背後で、ガゴーンとにぶい音がする。のけ反った俺がドアに後頭部をぶつけた音だ。


 シックな羽織袴の老落語家は俺の机にちょこなんと正座して、扇子を振り振り、ひと懐っこい笑みを浮かべてしゃべりだす。


「えー、毎度バカバカしいおはなしで」


 うっかりした。また苦痛の時間が始まった。希少鉱石シーシァオを満載した輸送船の出港時刻が近づいているというのに。本来ならば落語を聞いているヒマなどない。だが俺は拍手と「待ってました」の声援で落語家を歓迎するフリをする。嫌悪感を見せてはいけない。その基本的な注意事項を忘れた前任者は、頭からバリバリと喰い殺された。


 ここは地球ではない。チーン帝国が支配するこの辺境惑星『快楽クァイラ』で、地球の常識は通じない。なぜなら毎日決まった時間に上空を『魔星モーシン』が通過するからだ。魔星モーシンから降り注ぐ電磁波で、助手として働く人工生命体ホムンクルスの姿が変容する。まだ変容して見えるだけならいい。困ったことに物理組成が変化メタモルフォーゼするのだ。ティラノサウルス化したホムンクルスならば、ティラノサウルスと同じ牙とパワーを持つ。


 魔星が空にある時間帯は通称『毒夢ドゥーモン』と呼ばれている。俺がトイレに行っている間に、その毒夢時間が始まってしまったようだ。


「おまいさん知ってるかい……」


 高座つくえの落語家は俺の気持ちをヨソに、上機嫌でしゃべり続ける。話し方は名人とそっくりそのままだったが、ちっとも面白くない。オチまで全部知っている噺だからだ。というのもホムンクルスは俺の記憶領域をスキャンして落語家の姿に変身し、俺の記憶の中にある落語を再生装置のように一字一句そのまま語っているだけなのだ。


 『お笑い』は人の予想を超えるから面白い。といって、超えっぱなしでも人はついて行けずにシラケてしまう。聴衆の気持ちを予測し推測し、つかず離れずを保つ呼吸が肝要なのだ。聞き手に話の流れを予想させておいて、サクッと裏切る。身近なシーンを提示し感情移入させておいて、バッサリ心を断ち切る。だから面白くなる。映画だって小説だって、創作物はみな同じ仕組みだ。


 すでに知っているストーリーを聞かされても脳は喜ばない。記憶の噺と差異がなければ、脳はくだらないと判断する。いま目の前で一席ぶっている落語家の風体だって私の記憶にある落語家の姿そのまんま。そこはかとなく昔の噺家、古今亭志ん生の面影がある。まったく馬糞を踏んづけた草鞋わらじの裏のような顔をしてやがるぜ。


 だからといってホムンクルスの機嫌を損ねてはいけない。ヤツラは雇用者である人間の脳をスキャンし、ヒトの作業を手助けするために全力を傾注しているのだから。


 おかしな風体で、おかしな行動を取っているのは、すべては魔星のせい。落語家になり切って独演会を開いているホムンクルスは、いま彼の頭脳の中では誠実に仕事をこなしている最中なのだ。はた目から見て、それがいかに滑稽だろうと、彼にとっては崇高なる使命ミッション。もし果たすべきミッションにトラブルが発生したとき、ホムンクルスは力づくで障害の排除を試みる。だからホムンクルスが変態中の毒夢時間は、決して彼の『仕事』を邪魔をしてはいけないし、ヤツの想定を外れた行いをしてもならない。


 いい例が俺の前任者だ。彼はティラノ化したホムンクルスの機嫌を損ね、上半身をガブリと喰いちぎられた。半分だけの死体となって地球に帰りついた前任者は、おそらく恐竜マニア。彼の脳内は日頃から恐竜であふれ返っていたに違いない。


 この惑星、快楽クァイラで生き延びたいなら、とにかく油断しないこと。その一言に尽きる。


 ◇


「必要なのは人間です。とにかく人間の助手を派遣してください。いかに優秀なホムンクルスでも、快楽クァイラではポンコツです」


 俺は地球の本社に長距離電話をかけていた。まもなく毒夢が始まる時刻、そろそろ俺は自分のメンタルが限界に近づいていることを悟ったのだ。本社の担当者は、こちらの意図をスムーズに理解せず、何度も同じことを聞き返してくる。俺はいら立った。あるいは意図がわかっているからこそ、はぐらかしてクレームを受けないつもりかもしれない。なにしろ相手は喰えない権威主義のチーン帝国人、それくらいのことは平然とやってのける。


 イライラと電話をかける俺の目の端に、明るい光が映った。

 光をはなつ方向に顔を向けた俺は、信じられない光景を見る。


 淡いブルーのワンピースをフワリと着た栗色の長い髪の少女。

 長いまつ毛に縁どられた大きな瞳は濃い褐色。

 透明感あふれる白い肌にほんのりピンクの唇。


 詩織だ。あの夏の扉を開けて、ここに詩織が現れた。


 俺は、担当者が向こうでわめく電話をプツリと切った。


 詩織は涼しげなコルクサンダルを履いた長い脚で歩み寄り、涙にうるんだ瞳で俺を見上げた。想像を超えた出会いに俺はおののく。脳裡を当時の記憶の嵐が吹き荒れ、渦を巻いた。


「やっと二人きりになれたね」

 詩織は変わらぬ愛らしい声で言った。俺は彼女の甘く張りのある声が大好きだ。


 惑星快楽クァイラではずっと君と二人きりだったよと思ったし、それはむしろ男が言うセリフじゃないかと思ったが、俺は黙ってうなずく。詩織の背に手を回し、しなやかな彼女の肌の手触りをワンピース越しに楽しみながら、そっと抱き寄せた。


 甘い香りが鼻腔を満たす。フェロモンだ。匂いのないフェロモンが脳内で甘くせつない香りとなって、心をかき乱す。


「目を閉じて」、詩織がつぶやく。


 それも男のセリフだよと思ったが、俺は従順に目をつぶり、長い髪に触れながら詩織の桜色の唇に口づけた。やわらかい唇の感触に思わず舌を進める。彼女の舌に舌をからめ、そこで出会った違和感にゆっくりと体を離し、目を開く。


 俺の腕の中で、老落語家がシワだらけの頬を真っ赤に染めていた。


 志ん生は恥ずかしげな上目づかいで身をよじり、

「あなたの好きなお笑いって、こういうことでしょ」

 と、詩織の声でささやいた。


 やられた。俺のお笑いに対する捉え方をスキャンされたのだ。ホムンクルスは、それを最悪の方法で再現しやがった。


 感情移入したあげく、バッサリ心を断ち切られた俺は、志ん生の枯れた肩を突き飛ばし、下唇を噛みしめながら夜まで号泣した。


 完

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辺境惑星「快楽」で俺は泣く 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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