第三十六話 予想以上
「おい! なにボーっとしてんだ!」
「え?」
紅城さんの声に、はっと顔を上げる。すると目の前に拳が飛んできていた。
骨の折れる音、内臓の潰れる音が聞こえた。吹っ飛ばされた僕によって破壊された看板の崩れる音がした。
びちゃびちゃ。
口から流れ落ちる血の音がした。目は霞んで良く見えない。
どこかで聞いたことがある。人が死ぬとき、一番最後まで生きている器官は何か。それはどうやら耳らしい。
だからだろう。奴が大きな足音を立ててこちらへ向かってきているのが聞こえるのは。
体が動かない。だが不思議と痛みはない。
このまま死ぬのか。……それも悪くない。
自分が何者なのかは全く分からなかったが、意味のあることはできた。それにきっと奴は紅城さんが倒してくれる。
うまくいけば僕も紅城さんに……駄目だ。また人に頼ろうとしてる。
紅城さんは助けられ癖って言ってたっけ。紅城さんはそれを直してほしかったんだろうな。
僕が死んだら悲しむかな。悲しんでくれると嬉しいな……。
ふざけんな、駄目だ。
彼女を傷つけることは、たとえ僕でも許せない。
妖は僕を見て首を傾げた。気がする。まあどっちでもいい。
そりゃ驚くよな。瀕死でもう立てないと思っていた奴が立ち上がったんだ。
僕はまるでゾンビのような一歩を踏み出す。
僕の錬金術は、人の能力を向上させる。同時に傷を止めることができる。十分だ。
骨が折れても内臓が潰れても、動けるならそれでいい。錬金術で死なないようにしてさえいれば戦える。
死なない程度に生きていればそれでいい。
妖は僕にとどめをさそうと、大きな雄たけびを上げて突進してきた。次、僕に攻撃を当てれば、僕はもう立てない。つまり奴の勝ち。
でもその前に僕が奴を殺せば僕の勝ちだ。
僕は木刀を構える。大丈夫、意味のないことなんてない。一転集中
だ。
「うああああああ!」
僕は錬金術を両腕だけに全力を注いだ。
すると次の瞬間、妖の右足は向かい側に吹き飛んだ。妖はよろけたものの、即座に僕に殴り掛かった。
今度は両足だけに錬金術を最大まで使った。
軽やかに上に跳んで回避し、そして再び両腕に錬金術を使う。そして妖の脳天に向けて木刀を突き刺した。
大きな衝撃と共に、妖の身体は灰のようになって消滅していった。
地面に降り立ち、僕はふらりと倒れ掛かった時、
「おつかれ。予想以上だった」
「はは、本当に見殺しにつもりだったんですか」
紅城さんが僕を受け止めてくれていた。
「今治すから待ってろ」
すると体に暖かい炎が纏わっていた。
「本当に僕が死んだら……どうしてたんですか」
「絶対に死なせない。傷が原因で死んでも、十秒以内なら私の炎で治せる」
「ははは、やっぱりA級。すごいなあ」
「……でも黒葬君も良かったよ。錬金術を全身にまんべんなく使うんじゃなくて、使う部位だけに集中的に使う奴」
「あれ、僕が考えたんじゃないんですよ」
「え?」
そう、本当の意味の僕はあそこで死を覚悟した。
いや、覚悟なんてカッコいい言葉じゃない。逃げたのだ、戦う事から。
死ねば楽になれるとか思っていたのだ。
でも違った。死んで楽になれるのは体が死んでいる人だけだ。精神が生きている人は、死んでも決して楽にはなれない。
どんなに苦しくても、心が生きていたら死んでも楽にはなれないのだ。
だから僕は戦うことを選ばせられた。
「そろそろ動ける?」
「はい」
紅城さんの錬金術はやはりすごいもので、傷を癒してくれるだけでなく、どこか心にも余裕をもたらしてくれるのだ。
暖かい、まるで太陽の光のような。
「見殺しにしかけた奴の言葉なんて聞きたくないだろうけど言う。あらかたこの辺りの妖は片付いたから、一色と八頭の方に向かおうと思う」
「大丈夫ですよ。体も心も死んでないので」
すると彼女はきょとんとした顔を見せた。
「どうしました?」
「ん、いや、なんか予想以上に成長したなあって」
「ははは」
「……ごめんね」
必ず深い意味があるであろう最後の言葉に、僕は返事をしなかった。いや、できなかった。
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