第三十三話 本領発揮

「おや、来るのが早かったね」


「……」


「おっと。無言で帰ろうとするのはよせ。お客さんは丁寧にもてなすさ」


 すると小暮は席を立ち、コーヒーカップを二つ用意した。


「コーヒーは飲めるかい?」


「え、ああいえ、お気遣いなさらず……?」


「はは、まあくつろいでくれ」


 小暮はコーヒーの素を入れ、お湯を注ぐ。湯気が立ち上り、鼻触りの良い空気が霧散してゆく。


「それで、依頼を聞こうか」


 小暮は椅子に座りなおすと、コーヒーを一口すすった。


「熱ッ!」


「そりゃそうなりますよ……、淹れたてなんですから」


「ごめん、ちょっと水舐めてくる!」


 小暮はバタバタと慌ただしく洗面所へと向かった。


 本当にこの人を頼って良いのだろうか。


 一色は不安の気持ちでいっぱいであった。

 それから数分後。


「いやあ、お見苦しいところを見せちゃってすまないね」


「はあ……」


「まあ、君の依頼は何となく分かるけどもね」


 すると小暮は、何やら手帳のようなものを取り出した。彼は手帳を開き、淡々と書かれてあることを読み上げた。


「一色彩。幼少期に、最愛の両親を放火殺人によって失う。犯人は自殺し、首謀者死亡と言う事で事件は幕を閉じた。そして親戚にあたる今の叔母に引き取られ、実家である九州を離れここへ来た。その後、叔母による過剰な教育により、心を閉ざし、人形のようにふるまうことで自分を保っている。ってとこかな」


 すると一式は激しく動揺した。それもそのはずだ。


 つい最近まで初対面だったはずの人に、自分の情報がに知られているのだ。むしろ動揺しない方がおかしい。


「ははは、そんなに怖い目で見ないでくれよ。まあわたしが探偵を始めたのも情報を集めるためだからね。十年のコネがあるのさ」


 確かに人脈の広さというのもあるのだろう。だが一色が動揺した点はそこじゃない。


 彼女がこの探偵事務所に来たのは、ほんの些細な気まぐれであった。たまたま、その日の習い事が全てうまくいかず、先生やコーチから叱責されたことからであった。


 いつもは自分を殺せているのだが、偶にあるのだ。どうしようもなく気持ちが増幅し、やり場のない感情をぶつけたくなる時が。


 それで来たというだけのことだ。


 だと言うのにも関わらず、この男は完璧に調べ上げていたのである。一式が来ると考え、彼女がやって来る二日前には調べ上げていたのだ。


 つまり、来るかどうか分からない状況にもかかわらず、ただ自分の予想だけで行動していたのだ。


「あなたはどこまで読んで……」


「ん? なに、ただのちょっとした縁さ」


 小暮はぬるくなって、丁度いい温度になったコーヒーを一気に飲み干した。



「小暮さん、私の家まで来て何するんですか?」


 一色は上目遣いで小暮の裾を引っ張る。


「んー、一つの家族を破壊するの」


「え」


 小暮は親指をぐっと突き立て、深みのある笑みを見せた。

 そして彼はインターフォンを鳴らす。


「はい、どなたでしょう」


 中からは、高級そうな装飾品を身に着けた女が現れた。彼女が一色の叔母に当たる人だ。


 叔母は昔から裕福な家庭で暮らし、今も起業家の夫と裕福な暮らしを過ごしている。そんな円満な人生ではあるが、彼女には子供ができなかった。


 だから一色を引き取り、自分の理想の子供へと作り上げようとしたのだ。


「あの、早く要件を言てくださるかしら。……って彩じゃないの。一体どういうこと?」


「え、えと、叔母さん……」


 言葉に詰まる一色を、小暮は手で制した。


「一色彩さんは今日から私の元で働くことになりましたので、その後報告に参りました。ああ、ちなみに私は小暮探偵事務所の……」


「ええ!?」


「はあ!?」


 一色は驚き、叔母は大きな甲高い声を上げた。


「ふざけるのもいい加減にして。全く無駄な時間を取ったわ! ほら彩も早くこっちに来なさい! これから塾とダンスのレッスンがあるのよ!」


 今の時刻は午後八時。普通に考えて更に習い事を二つもできるような時間帯ではない。加えて彼女は午前中にもたくさんの習い事を行っていた。明らかにやりすぎだ。


「い、嫌。もう、勉強もダンスもしたくない……」


「今この時期に教養を付けとかないと、将来有名な学校に入れないの! 何回言ったら分かるのかしら。分かる? あんたの幸せのために言ってるのよ」


「……」


 一色だけなら、ここで抵抗することをあきらめただろう。だがここには、頼れる探偵がいた。


「ふうん、将来の幸せですか。とても素敵な響きです」

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