不足の魔女 ロース(後)


 助手が魔女ロースより頼まれたこと。それは、大金貨と同じくらいの大きさと重さである石を大量に集めてくることでした。


 助手は水分量の多い焦げ茶色の土をシャベルで掘り起こしては、そこから条件に合う石を探し出します。幸いにもこの辺りの土地は石を多く含む層が浅い箇所にあり、探すことには大した苦労がかかりません。


 掘り起こした石をカゴの中に放り込みながら、助手は先ほどのロースの言葉を思い返していました。


「魔法は永遠を創り出せない、か」


 助手は気になるのです。なぜロースは自身のことを2年もの間、そばに置いてくれたのか? と。疑問はそれだけではありません。資金調達のことももちろんですし、つい先ほどのロースの言葉の意図もです。


 しかし、それらの疑問について深くロースに踏み込むことは出来ませんでした。踏み込んでしまうと今までの“師匠”と“助手”の関係が簡単に崩れてしまうと思ったからです。ただただロースの言葉に従うことだけが、助手に出来ることその全てでした。


 ひたいにかいた汗を拭い、助手は満足げに呟きます。


「これでいいかな」


 ズシリと重くなったカゴの中は半分に少し満たない程度が石で埋められています。助手はそれを背負うとヨタヨタ歩きで小屋へと戻りました。


「あぁ戻ってきてくれたかね。私のほうも準備はできているよ」

「師匠……これって」

「魔法には違和いわくがつきものだ。なに、助手くんはそこで見ているだけで構わない」


 小屋の玄関扉の先には2人で使うには少し大きな食卓がどんと置かれているはずでした。しかしながら、助手が帰ってきたときにはそこに食卓はありません。ガランと開いた空間には、規則性のある複雑な模様が描かれています。まるで蜘蛛の巣のようです。 ……そう。いわゆる魔法陣と呼ばれるものでした。


 今まで助手はロースが大きな魔法を使うところを見たことがありませんでした。ロースが日常的に使う魔法とは、食器棚に仕舞われている皿やグラスを手に触れず移動させることや暖炉用の火種を人差し指に発生させる程度です。それでも助手は舌を巻いたものですが、今日に関しては規模が違います。


 カゴの中に入った石を一つ取り出してロースが頷きました。


「うん、上出来だろう。さすが私の助手くんだ」

「この石はどうすればいいですか?」

「床に描いた模様をはみ出ないように散らばしてくれたまえ」


 助手は指示通りに石を散らばせました。それが終わるとロースは魔法陣の真ん中にへそくりの大金貨を置きました。


「……よし、準備はできたな。巻き込まれると危ないから少し離れたまえ」

「小屋を出たほうがいいでしょうか?」


 おそるおそるの口調で助手が尋ねると、ロースはゆっくりと首を横に振りました。


「いや、小屋の隅に居てくれたまえ。 ……私だけでは不公平だからな」

「は、はい」


 意味深なロースの発言に首を傾げつつ、助手は一歩二歩と後退あとずさりをします。


「では始めるとしようか。くれぐれもその場を動かないように」


 普段より少々トーンの低い声で言ったロースは、ゆっくりとその腕を前に突き出しました。その手に握られているのは細長い杖です。


 ロースは時間をかけて空気を吸い込み、時間をかけて空気を吐き出しました。深呼吸と似ていますがそれよりもずっと時間をかけています。わずかに上下へ揺れる肩の動きがないと、何をやっているのか分からないかもしれません。


 助手はただ固唾かたずを飲んでロースの姿を見守ることしかできません。一体なにが始まるというのだろうか? 助手の頬を一滴の汗がつたいました。


 やがて石がだんだんと光を帯び始めていることを見つけます。初めは弱々しい光でした。しかし、時間が経つにつれその光は強くなっていきます。


 ついには風が吹き始めました。まるで魔法陣の中心が台風の目にでもなっているかのように、時計回りの風が小屋の中を吹き荒れました。窓がガタガタと揺れ、玄関扉がギシギシと悲鳴を上げます。肘で自身の顔をおおいながらも助手はその目を離しません。


 そして石に帯びる光が直視できないほどに眩しくなった時、ロースはハッキリとした口調でこう言ったのです。



『ゼラニウム 愚かな真実まこと ひた隠し しのぎの姿を 今ここに満たせ』



…………。


 激しく輝く光と吹き荒れる風がようやく落ち着きを見せ始めたとき、助手はゆっくりとそのまぶたを開きました。



 ――開いて、唖然としました。



「石が……金貨に変わってる」


 一体全体どういうことでしょうか。助手にはさっぱり理解が及びませんでした。しかしながら納得はできます。これが魔女が扱う妙技、魔法のしわざであるのだと。


 文字通りに開いた口が塞がらない助手でしたが、ロースがパンと鳴らした手の音には振り向きました。


「さて助手くん。ここからは時間との勝負だ。大至急、この金貨を香辛料へと交換してきてくれたまえ」


 ロースはいたって冷静な様子で助手に向かって空っぽの麻袋あさぶくろを投げました。


「香辛料ですか? お金の問題ならこれで解決をしたはずじゃ……」


 床に散らばった金貨を見回しながら助手が言います。


「いいや、まだ“洗濯”が済んでいないからね」


 ロースはまた不敵な笑みを浮かべました。どこまでも的を得ないロースの発言に、助手はため息で返します。


「……では、行ってきますね」




※※※※※




 森を抜けた先にはほどほどの大きさの街があります。助手は噴水がある広場で休憩中の行商人へと声をかけました。行商人が連れていた馬には異国の品が積まれていましたが、中でも目を引かれたのは赤や橙が印象的な粉です。ツンと鼻につく匂いは間違いなく香辛料でした。


 助手が麻袋に詰め込まれた大金貨を見せると、行商人の目が光りました。そこからはとんとん拍子で話が進みます。なにせ垂涎すいぜんものの“金貨”の量ですから。


 ズシリと重い香辛料を背負い、助手は駆け足で森へと帰ります。とにかく急いで魔女の元へと帰るのです。魔女ロースがかけた魔法の正体……助手は何となくではありますがそれを察していました。


 やがて小屋へとたどり着きました。しかし扉の先はもぬけの空です。まるでそこには誰も住んでいなかったかのように、なにもありません。


「助手くん」


 背中をツンツンと突かれました。振り返った先にはニコリと微笑むロースの姿があります。その手には魔法陣と同じ模様の箱が握られていました。


 助手は、そんなロースの背後にあるモノを指差して言いました。


「ほうきですね」


 ロースが不敵に笑い答えます。


「説明が必要かい?」


 助手は首を横に振りました。



 ――まもなくして、ロースと助手は大空へと旅立ちました。助手は振り落とされないためにロースの体に腕を巻きつけます。ドクドクと鳴る心臓にはわずらわしさを覚えました。


「どうだい助手くん! 空を飛んだ感想は!」


 するどく耳を走る空気の音に負けないように、ロースは声を張ります。


「肌寒いですね!」

「ははは! そうかそうか!」


 ロースは高らかに笑いました。実に普段の様子を見せる魔女ロースです。珍しいことに、助手も大きく笑いました。


 目下には先ほど助手が訪れた街が見えます。初めは小さかった怒号ですが、近づくごとにどんどんと大きくなっていきました。黒色の豆粒のようなものがしきりに飛んできます。それは、ちょうど大金貨と同じくらいの大きさです。


「助手くん、私には失望したかね?」


 街を通り過ぎたところでロースは背後の助手にそう尋ねました。この頃にはほうきの速度も落ちており、普段の声量で会話ができる程度になっていました。


 助手は自信を持って答えます。


「あなたからいただいた恩はとても大きいですから、そんなことは決してありませんよ」

「そうかね? 私は助手くんが考えているよりもずっと悪い魔女だと思うがね。金、食料、故郷、家族、友達、信頼……なにも足りていない不足の魔女なのだよ」

「なるほど。であるならば僕たちは似たもの同士ですね」

「ははは!」


 ロースと助手は再び笑いました。とてもとても陽気な笑い声です。


 ひとしきり笑った後にロースが尋ねました。


「さて、これからどこに行こうか。ひと目のつかない場所がいいのだが」

「北にいきましょう。人が少なくて自然が多いですよ」

「ああ、北はダメだ。私が有名人なのだよ。南はどうかね?」

「僕は南の国から逃げてきました」

「そうかそうか。ならば西へ向かおうか」


 ほうきの舵が夕焼けの方向へと切られます。茜色に染まりゆく景色を目に捉えながら助手は尋ねました。


「師匠、たとえ魔女であっても永遠だけは創られないのですよね?」

「ああ。それがどうかしたかね」

「僕たちは住処すみかを変えることを余儀よぎなくされましたね」

「そうだな」

「なら――」


 大きく息を吸い込んで助手はこう言いました。


「ならいつか……師匠の過去のことを教えてくださいよ。代わりに僕のことを話します」

「ほう。面白いことを言ったものだね、助手くん」

「約束してくれますか?」


 助手が尋ねると、ロースは少し考えてから答えました。


「そのときはきっと“師匠”と“助手”ではなくなってしまうな」

「構いません……むしろその方が望ましいです」

「? そうかね」


 的を得ない助手の発言にロースは首を傾げました。ちょうどそのとき、ほうきはつがいの鳥とすれ違ったのです。




 ――魔女ロース・シュガーがおくる6度目の逃避行とはこのようなものでした。


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