不足の魔女 ロース(前)


 

 鬱蒼と木々が生茂る森の中には、どこか怪しげな小屋が一軒建っていました。


 ちょうど木々が切り抜かれたような空間に建つその小屋は、あまり手入れがされていないからでしょうか? 丸太の壁を蔓が覆っていたり、焦げ茶色の屋根の上にはところどころにキノコが生えています。それに、周りは鬱蒼とした木々が生えているものですから、真昼間だというのに光量は少なく薄暗いです。もし森の中へ迷い込んだ人間がその小屋を偶然にでも見つけたなら、きっと「不気味だ」と思うことでしょう。


 では、そんな小屋の中には一体誰が住んでいるのでしょう。罪を犯し逃亡中の悪人でしょうか? 怪しげな実験を行う科学者でしょうか? ……いいえ、どちらも違います。



 ――その正体は、



「助手くん、助手くーん! ご飯はまだかね? 私はお腹が空いたのだが」

「師匠、残念ながらもう食料がありません。お金もありません。詰みです」

「……え、うそ」

「ほんとです」



 食料とお金の不足に悩む魔女でした――



 魔女ロースが森の中に建つ小屋へ(勝手に)住み始めてから、はや2年の歳月が経とうとしていました。その間、ロースがとった目立った行動としては助手を一人雇ったことくらいでしょうか。


 それはひどい嵐が吹き荒れる夜のことでした。ロースは小屋全体に魔法をかけて雨風をしのいでいましたが、風が扉や窓を叩く音とは別にドンドンと強く扉が叩かれたのです。


「む、セールスの押し売りかね? それとも宗教勧誘? ……居留守だな」


 ロースの持つ感性は捻りきれているため、しばらくの間、扉が開かれることはありませんでした。


 しかし、30分の時が流れても扉を叩く音が静まることはありません。しびれを切らせたロースが扉を開いたところ、外から一人の少年が小屋の中へと転がり込んできたのです。


 雨と泥に塗れた少年は、震えの止まらない右腕をロースの靴に向かって伸ばし、こう言いました。


「魔女様……指示されたことなら……何でもします。僕の体を……人体実験にでも使ってもらっても……構いません。お金も何も要り……ません。その代わりに……僕のことを……ここに置いて……いただけないでしょうか? …………助けて、ください」


 ロースはその少年を助手として雇いました。“助手”と呼んではいますが、少年に与えられる仕事のほとんどはロースの身の回りのお世話ばかりです。食事だって同じ時間に、同じ場所で取るくらいなのですから、扱いとしては同居人と何ら変わりはありません。


 そんな奇妙な関係が続き、今に至ります。そう、お金と食料が尽きてしまった今です。


 ロースは両手で頭を抱え込み、ひどく深刻な声色で呟きました。


「マズい」

「ひと月ほど前から僕、師匠に言ってたじゃないですか。そろそろお金が尽きてしまいますよ、と」

「そうだったかな?」

「そうですよ。“僕が酒場で稼ぐ賃金だけだとまかないきれませんよ”と確かに言いましたね」


 助手は自身の腰に手を当てて、細い目でロースのことをジトと見ます。ロースは露骨に視線をそらせました。


「な、何にせよ起きてしまったものは仕方ない。解決策を考えようではないか」

「それなら簡単な方法がありますよ。少しだけ手間はかかりますが、確実な方法です」

「妙案があるのか? ふふふ、さすが私の助手くんだ。 ……してその方法とは?」


 ロースがゴマをする仕草をしながら尋ねると、助手は淡々とした口調でこう述べました。


「師匠の魔法を薬に込めて売ることにしましょう。僕が街の人々に宣伝をしますよ。需要は間違いなくあります」

「なるほど。無理だ」


 助手の妙案は、飛ぶ鳥を落とす勢いで却下されました。


「では次の案です。師匠が定期的に取り寄せている希少価値が高い本類を全て売り飛ばしましょう」

「なるほど。論外だ」


 第二の矢は的外れの方向に飛んでいきました。


 提示した二つの案が即刻で紙くずにされたことに、さすがの助手もハァと大きなため息を吐きました。


「いいかね助手くん。私は何が何でも働きたくないのだよ。果てまで続く大空よりも寛大な心を持つ私が、世界で唯一ゆいいつ嫌いな言葉とは“労働”なのだよ」

「ピーマンはいいんですか?」

「世界で唯二ゆいふたつ嫌いな言葉とは“労働”と“ピーマン”なのだよ」

「…………」


 助手は呆れてもう何も言えません。


「そしてもう一つ言いたいことがある。はるか上空より獲物を狙う鷹の目よりも鋭い観察眼を持つ私が、愛してやまないモノこそが“本”なのだよ」

「観察眼と好きなモノに因果関係があるのですか?」

「……常にロジックを求める男はモテやしないぞ? 助手くん」

「別にいいですよモテなくても。 ……つまり、働く気も本を売る気もないということですね?」

「うん」


 コクリと頷いたロースを見ながら助手が思い返したのは、ロースの普段の過ごし方です。


 ロースはひどく出不精でぶしょうな魔女です。1日の大半を自室に引きこもっては、方々ほうぼうから取り寄せた様々な本をむさぼり読む日々を送っています。


 活版が出回るようになった今となっても、本は安い代物しろものではありません。それなのに、少なくとも助手がロースの元へと転がり込んでからの2年間、お金に困ったことはありませんでした。その資金はどこから湧き出ているのだろうか? と助手は何度も気にはなったものですが、今までにロースへ問うたことはありませんでした。 ……それは、ロースが助手の身の上話について1度も尋ねたことがなかったからです。


 しかし、ついにその資金源すらも枯れてしまったようです。ロースは再び大きくため息をこぼしました。


「どうしましょうか。森に生えているキノコや木の実だけでは、厳しい冬の寒さを越すことは難しいでしょうしね」

「むむむむむ」


 苦虫を噛んだような表情を浮かべながらロースはうなります。しばらくその状態が続いた後、ロースは一言「アレをするか」と呟いたのでした。


 それからのロースの行動はいたって迅速でした。自室に入ったかと思うと、ロースはすぐに出てきました。その手に握られていたのは1枚の大金貨です。


 これには助手も目を丸くしました。


「お金、まだあるじゃないですか!」

「これはいざというときに残した私のへそくりだよ。この1枚以外にもう金貨はないから、切り詰めて生活をしたとしても1週間が限界だろう」

「……それなら、根本的な解決には」

「そこで、助手くんには1つ頼まれてほしいことがあるのだよ」


 2人しか居ないにもかかわらず、ロースはわざわざ助手に耳打ちをしました。助手はロースの長い黒髪が頬に触れて、妙なくすぐったさに襲われました。


 しかし。ロースが指示した内容というのはそんな髪の感触を打ち消すほどに素っ頓狂なものでした。助手は再び目を丸くします。


「そんなことをして、一体どんな意味が?」

「まあまあ後で分かるよ。さぁ、動いてくれたまえ」


 パンパンと手を叩いたロースを前に、助手は首を傾げながらも指示の内容を始めました。小屋の中にある大きなカゴとシャベルを手に取ります。


「では、すぐに行ってきますね」


 机の上で頬杖をつくロースに声をかけると、助手は小屋の玄関扉を開きました。


「ああ待て助手くん。一つだけ言い忘れたことがある。 ――唯一、魔法を使っても叶うことのない事象というのがある。それは……永遠を創り出すことだ」

「……? なぜ今そんなことを」

「一応言っておく必要があると思ったのだよ。呼び止めてすまないね、行ってくれたまえ」


 ロースは口元に不適な笑みを浮かべました。助手はそれを見て「いかにも森に住む魔女らしい」と、このとき初めて感じたのでした。


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