正月休みも、サービス業にとっては「異世界」なんだ

 ここアスタリシア公国にも冬がやってきた。


 前回の報告から3か月が経過しただろうか。

 ご無沙汰している。日本から異世界に転移した優史郎だ。



 日本に居た頃は、ちょうどまさに書き入れ時。

 スーパーや百貨店もメリクリしてたと思ったら、途端に「春の海」が流れて一気に正月モードになる。

 その切り替えの早さとテンションについていけない感はあったが、この異世界も年の瀬はやはり大事なものだ。


 大晦日から年明けまでは「節光祭」と呼ばれて、人々は祈りと共に過ごす。このあたりは現実の海外でも異世界でも、宗教色の薄い日本には馴染みの無いものだ。

 しかし、歳末商戦はどの世界も一緒だな。

 小売の店も大半の連中は正月が休むし、日銭暮らしの冒険者と言えど、この年末にクエストに出る脳筋もさすがにほとんど居ない。


 俺は首都ギリフの商店街を歩きながら、左右の店に視線を送る。

「ひゃぁ、もう夜なのにどこもライトアップさ、されててまぶしいまんつこいだ」

 俺の隣を歩くのは、治癒術師ヒーラーであり、ギルドの中で強引に冒険者向けの怪しい治療院を開設したリルだ。

 くりくりとした瞳を大きく輝かせてあちこちの商店を見ている。

 むしろ俺から見ると、その無垢で素直な様子と若さが相変わらず眩しい奴だ。


 彼女は北の穀倉地帯コングリッド王国の出身。

 生まれが田舎なので都会の歳末の喧騒に感動しているだけなのだとも思うが、聖職者の家系だったから、こういう賑々しさとは無縁なのかもしれない。

 クリスチャンだって、讃美歌うたって祈るイメージしかないもんな。


「ユーローが居たニホンはどうだった? わたすの親もお姉ちゃんもお兄ちゃんもこの時期が一番忙しいだ。みんなお祈りさ、くるだはんで」

「日本なんかある意味、カネ儲けの時期だからな。どいつもこいつも正月休みで財布の紐が緩くなるから、一番活気があるっちゃあるな」

「正月休み?」

 俺の言うことを理解できなかったのか、リルは小首を傾げる。

「つまり節光祭の休みだよ。なんだ? この世界は正月ものんびりしないのか?」

「この賑やかさも今だけじゃ。年の瀬は静かに祈って家の中で過ごすだ。それで年が明けたらみんなでお祝いさして終わりじゃ」

「なんだか、欧米みたいだな。暮れはメリクリとハッピーニューイヤーが一緒になって長期休暇を取ってたと思ったら、正月なんか一月の二日とかから働き出すからな、あいつら」

「だはんで、ユーローも、年が明けた次の日からギルド開けねばなんねぇ。わたすの治療院も一緒に開店するだ」

「そういう意味では俺は日本人だった頃が良かったと思えるな。年が明けた正月こそが静謐で荘厳な雰囲気が出て最高の休暇になるんだろう。そこにレジャーだの仕事だの俺は考えられん」

「節光祭さ過ぎても休んでる人さ居たら、わたすの国では怠け者からぽねやみに見られるじゃ。ユーローもそれに合わせて働くだ」



 異世界で初めて迎える新年を前に、正月休みを決め込んでいた俺は肩を落とした。


 そりゃそうだ。節光祭だからってモンスターも空気を読んで休む訳じゃない。

 むしろライバルが休むそこが儲けのチャンスだと動く風来坊の冒険者も居る。

 今年の正月休みはせいぜい大晦日と元日と言ったところだろう。

 これじゃ日本でサラリーマンだった人事部の社畜時代よりもシフトが厳しいじゃないか。 


「俺の友人はサービス業でな、上司は親会社から出向してきたから暮れは三十日から三が日まで休むせいで、正月も関係なく五連勤させられた奴がいたんだよ。そのくせ正月の二日にいきなりトラブってな。報告書を書いて提出するために休みシフトだった一月四日もけっきょく出勤した奴を知ってるんだよ。サービス業なんて水ものだ。期待通りに休める訳ないだろ」

「いったい誰の話さしてんだ?」

「俺の良く知ってる奴とだけ言っておこう」

「んだば、ユーローの居たニホンは、そんなに正月さ休めるの?」


「いや、どうだろうな……いつの頃からかコンビニは開くわスーパーも百貨店も開くわ……今の時代でこそ働き方改革とか言われているが、それでも働いている連中はごまんと居るな」

「なんで働くだ?」

「そりゃ客が来るからだろ?」

「それは客が悪いだ。休ませない空気さ作ってるのは客じゃ」

「でもその従業員たちも仕事がオフなら客になる可能性もある。やっぱり開いてる店があると助かるだろ?」

「それが間違いじゃ。どこも休むから静謐として荘厳な雰囲気じゃねが? 節光祭で一軒だけ大声で客引きさしてる店があったら、やっぱり変じゃ」


 なるほど。

 正月休みという空気を醸成するのは、企業でも社長でも顧客でもなく、世間。

 世間という無言の同調圧力が、いつの間にかそうやって商売に駆り立てるのだな。


「ここアスタリア公国も、わたすのコングリッド王国も、暮れに働く者は居ないだ。それが当たり前だからじゃ。もちろん両親みたいな聖職者とか、兵隊さんとか少しはお仕事の人さ居るが、むしろ世間が休む時に仕事さしてる皆は尊敬されるだ。そういう空気がニホンとかにもあってえぇんでねが?」


 よもや、十六歳の娘の意見に感心されられるとは。

 俺も呆気にとられてしまった。

 田舎から出てきた猫かぶりの怪しい娘は、やはり聖職者の家系で治癒術師ヒーラーなのだ。


「確かに……店が開いてないとか商品が欠品してるとクレームだの文句だの、少し気に食わない事があったりサービスが行き届いてなかったりすると、今の日本人は受益者になった途端に天狗で強気になるからな。根は内気で外面ばかり気にするくせに、匿名だと強弁になるし、集団でも偉そうになる。どうしようもない連中だよ」

「んだ。そういう想いが世の中さ良くするだ」



 すっかりリルの意見に同調していた俺だが、そこでふと思い出した。

「そういえばお前、俺に元日の次の日からギルドを開けろと言ってたな? どっちなんだ? 俺に働かせたいのか? それとも休めって言ってるのか? 営業を強要するような空気を醸成させる客側や世間が悪いってお前が言ったばかりだろうが」

「顧客志向さうたえばえぇんでねが?」

「その顧客志向ってのは聞こえは良いが、それを行き過ぎて正月も元日に開けているスーパーや百貨店をいくつか知ってるが、従業員はきっと疲弊してるぞ」


 おっと、どうりで寒いと思ったら雪が降ってきた。

 ホワイトクリスマスか。

 異世界だからクリスマスじゃないけどな。

 年の瀬が迫る異世界で雪。

 俺の居た街じゃ暮れに雪の予報なんて無かったから、これはこれでアリだな。


「なかなかお洒落じゃないか」

 ふと言葉について出た俺の発言に、リルは目をぱちくりさせている。

「雪が?」

 そうだった。こいつは北部の出身だったな。

 なんだって間の悪い発言をしたんだ、俺は……。



 いや、待て待て。



 せっかく俺は異世界に来れたってのに、チートもハーレムもステータスオープンもスローライフも、やれやれもざまぁも追放からの逆転も復讐も無いし、悪役王子だのゲームですぐ死ぬモブだから運命回避だのヒロインNTったりNTRれたり、テンプレらしいテンプレしてないぞ。

 単なるギルドの受付ってこれじゃ日本に居た頃のサラリーマンと一緒じゃねぇか。


 前任の受付嬢ナーシャは退職して、既に故郷の恋人と結ばれた。

 ドジな女盗賊マリーは実業家になって、すっかり縁が無くなった。

 他にもやってくる冒険者やジョブ紹介の女性はいるが、なかなかどうして距離感を縮めることができない。


 今、俺の隣に居るのはリル……うぅむ、年齢が少し若過ぎて日本だったら犯罪になるところだったが、ここは異世界。

 このままでは俺は異世界転移・転生史の中で埋没してしまう!


 田舎出身で素直なリルなら万が一にもチャンスがあるかもしれん――。

 俺が一気に著名な異世界モノ主人公に躍り出るチャンスだ!



「なぁ、リル。俺の居た日本の年末はクリスマスって言うんだ」

「さっき言ってたやつ?」

「そうだ。それはそれは俺達、国民の間では大切な時期でな」


 重ねて思う事だが、日本は宗教色が薄い。クリスマスなんて単なる企業の金儲けの動機付けでしかないが、そこで大衆の財布の紐が緩むのも事実だ。


「と言うのもな。何が大切かって、つまり大切な人に贈り物をする風習があるんだ」

「へぇ。それは友達に贈り物さするんだべか?」

「もちろんだ。それは会社の同僚とか上司とかもな」


 クリスマスプレゼントと歳暮とお年玉をひっくるめたような、ていの良い嘘だったがリルは信じたようだ。

「それはえぇ風習じゃ。だば、わたすもユーローになんか贈り物した方がえぇべな」

 するとリルは俺の脚先から首元までをじっと見て回す。

「したっきゃ、わたすはユーローにマフラーさプレゼントするだ。首元さ冷えで、風邪をひいうじゃめいたら、いぐね」

「おぉ? そうか? それは嬉しいな」


 ここまでは計算通り。


 やがて商店街の中にある一軒の洋服屋で、リルはマフラーを購入した。

「これが、ぁの『クリスマスプレゼント』じゃ」

「なんか物欲しがりな感じで悪かったな。じゃあ俺もリルにプレゼントするか」

「こんな風習、なんかテンション上がるべな」

「あぁ。お前が好きなものを選んだらいいさ」


 いったい何を買って貰おうか。

 リルはせわしなく商店街の左右の店を覗いては、あちこちの商品を見て回る。


 これも計算通り。


 ここでサプライズ感のある品物を購入すればいいのだ。


 そう思っているうちに、リルは一軒の魔法道具屋マジックショップのショーウィンドウの前で足を止めた。

 トランペットが欲しい黒人の少年よろしくリルが見ているのは加護が施された魔法石がついた白魔導士用のネックレスだ。

「この石があればマナさ大気中から集めて魔力に還元しなくても魔法が使えるじゃ。体力さ消耗しなくて疲れねぇし治療院には最適じゃねぇべか」

 白魔導士専用スタートキットに全身を包んだリルには、まだ手の届かない高級品。俺も後方からその値段を見て驚いたが、ここはさらなる作戦への種蒔き。すなわちコストは投資でもある。


「店の中でじっくり見せて貰えよ?」

「でもぁ、買うお金さ無いだ」

「いいんだよ。見るだけならタダだろ?」


 魔法道具屋に入ったリルは、店員から大きな赤い石がついたネックレスを着けさせて貰ってる。

 そこを狙って俺はベタだが、どストレートな作戦で行くことにした。


 鏡の前でリルは惚れっぽい眼で胸元のネックレスを見ている。

「よし、じゃあいくぞ。リル」

 俺の声で慌てて魔法石のネックレスを外そうとするリルを制止して、そのまま店の外へと誘導する。

「まだこれをお店に返してねぇべ」

「それはお前の物だろ?」

「えっ?」

「俺からのプレゼントだ」

「だってこれ、4千リレンもするじゃ」

「だから言ったろ? これが俺の『クリスマスプレゼント』だ」


 驚きのあまり言葉も無いが、大きな瞳を揺らしながら慌てて後をついてくるリル。


 ここまでは全て作戦通り。

 さすがは俺だ。伊達に異世界に来て9か月も経ってない。

 そして、まさにこれから俺のチート列伝が始まるのだ。


「ねぇ、ユーロー。さすがにこれは高価な……」

「どうだ? 帰る前に飯でも食ってくか?」


 リルの言葉を遮るように俺は食事の提案をした。

 すると、黙ってうなずくリル。


 これはいよいよ来たな。

 4千リレン――すなわち日本円で四十万は使った甲斐があった。


 これで日本でも異世界に来てもパッとしなかった俺のチート伝説が始まる。

 優史郎の優は『優勝目前』の優!

 優史郎の史は『史上空前』の史!

 ついに俺の時代が来た!



 と、その時だ。


「あれ、リルじゃね?」

「あっ、アルスじゃねが! なんでここに居るだ?」


 突然現れたガキ――もとい冒険者の新人っぽい男がリルに声を掛ける。


「ユーロー。こっちはわたすと同じコングリッド王国で同じ地元の学校さ通ってだアルスだ」

 

 おい、ここに来て幼馴染で同級生だと?

 しかも俺の存在を意に介さず、訝しがらず、ライバル心剥き出しでもない同い年で幼馴染という余裕の笑みで素直に頭まで下げて、律儀な奴じゃないか。


「ところでリル、おめぇまだずいぶん訛ってんな。こっちさ来で長ぐねぇんだべ?」

ぁは来だばっかじゃ。おめぇこそぁにつられて、訛ってるじゃ」

「そんなことねぇよ。俺だって都会に慣れたってんだよ」

「私だって別にそれくらいできるもんね!」


 おいおい、しかも追加料金無しに治癒オプションの標準語リルだと?

 どういうことだ。


「そだ。ねぇ、アルス。ユーローがご飯さ行くがて言ってくれてんだ。せっかくだから、おめぇもどだ?」

「マジっすか、ユーローさん? じゃあ一緒でもいいっすか?」

「……あぁ、構わない」


 優勝目前どころか。

 史上空前どころか。

 果ては、一族『郎』党を読んで披露宴……。

 どころではない。



 俺、優史郎の『郎』は所詮、下郎の郎だったんだな。


 ヒロイン候補第三号の幼馴染で同級生というチート属性最強の少年と飯を食ってる間もまったく酔えなかった俺は、強めの酒を買って家に帰った。

 結局は日本に居た頃と同じ歳末商戦に乗っかっただけの消費者じゃねぇか。


 俺の2022年が暮れようとしている。

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異世界転生した元社畜で人事部のオレ、冒険者ギルドも『ブラック求人あるある』だらけで困るんだが 邑楽 じゅん @heinrich1077

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