アリストテレスを笑わせたい

わら けんたろう

第1話

 いまオレの目の前に正座をしたヒゲもじゃのオッサンが、じっと瑠璃色の双眸をこちらに向けている。


 どうやら、このオッサン、古代ギリシャの哲学者アリストテレス(自称)らしい。年齢は不詳だ。

 亜麻色の短い頭髪に揉み上げから顎全体に広がる豊かな茶色の髯。彫の深い無表情な顔立ち。ウールの一枚布を体に巻きつけ、ピンを使って着付けている。


「リュウトは、『お笑い芸人』とやらになりたいのですか?」


 なぜ古代ギリシャ人(自称)のオッサンが日本語を話しているのかは、オレにも分からない。話が本当ならば、異世界転移するさいに何らかのスキルでも得たのだと思う。知らんケド。

 とりあえず、怪しさは満載だ。


「ん? ああ、そうだけど」


 オレはリュウト。東京のとある街でひとり暮らしをする大学生だ。周りには内緒で、お笑い芸人を目指している。近いうちに、オーデションかアマチュアでも参加できるお笑いのコンテストに応募してみようかと考えている。


 小学生のころから、他人を笑わせることが好きだった。他人の笑顔を見ると、なんだか自分も嬉しくなる。高校2年生の頃から、漠然とお笑い芸人になりたいと思うようになった。


 今日は、休日で講義もない。六畳一間の部屋でゴロゴロして平穏な休日を過すはずだった。しかし事態は急転。ナゾの日と化した。


 部屋の片隅に置いてある机がガタゴト鳴りだしたかと思ったら、引き出しからこのオッサンが現れた。名前や服装などから推察するに、22世紀の未来からやって来たロボでないことは明らかだ。もちろん、その辺を歩いているオッサンでもないだろう。


「ふむ。なんにせよ、あなたの選択は素晴らしい。人間は目標を追い求める動物です。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなるのです」


 なんか、それっぽい事も言っているし、とりあえず本人というコトにしておこう。


 だが本人だとすると、オレはほんの少し気に入らねぇ。


『喜劇は、さきに述べたように、比較的劣っている人たちを再現するものである。しかし、この人たちが劣っているというのは、あらゆる劣悪さにおいてではなく、滑稽なものはみにくいものの一部であるという点においてである。なぜなら、滑稽とは、苦痛もあたえず、危害も加えない一種の欠陥であり、みにくさであるから』(アリストテレース/ホラーティウス『詩学・詩編』〔松本仁助・岡道男 訳〕(岩波書店、1997年)32頁)


 大学の哲学だったか文学の講義で聞いた話だ。アリストテレスの『詩学』は、全部で2巻存在したと言われている。このうち第2巻は、散逸してしまっているらしい。

 このため彼の喜劇に対する評価は、はっきりしない。

 だが、こいつは「お笑い」をナメている。オレはそう感じた。


 お笑いは「滑稽」の再現なんかじゃねぇ。


「では、リュウト。その『お笑い』とやらを私に見せてください」


 アリストテレスは、表情の見えない顔でいきなり笑わせろと振ってきた。


「おお。いいだろう。見せてやる」


 そう言ってオレは頷いて見せた。


 いい機会だ。お笑いが何か教えてやるっ!


 とはいったものの、やはり他人を前にすると緊張する。しかも、オレの前に真顔で座っているのは、古代ギリシャ人のオッサンだ。状況が異常すぎる。

 だが、ここで引くワケにはいかない。絶対にこのオッサンを笑わせてやる。腹が痛くなるほど笑わせてやる。


 オレが得意とするのは、「ひとりボケ・ひとりツッコミ」だ。たんに相方がいないので、一人でするしかないのだケド。


 オレは、ひとつ深呼吸をした。


 そして、


「えー、毎度つまらない小噺をひとつ。坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いたっ! ……それは、早口言葉だろー!」 バシーッ!


 オレとアリストテレスの目が合う。


 ……。


 ……。


 アリストテレスはニヤッともせず、しばらく固まっていた。やがて呪文が解けたかのように瞬きし始め、真顔でオレに尋ねてきた。


「リュウト、ボーズとは何でしょう?」


 くっ……、そこからか。

 しかも笑わせるつもりが、氷結魔法または石化魔法の詠唱をしてしまったようだ。


 肩を落として、オレはがっくりと項垂れる。

 アリストテレスは顎髭をいじりながら、しばらくオレの様子を覗っているようだった。


「今のが『お笑い』ですか。やはり、難しいモノですね」


 そう言って、彼は首を振ってため息をついた。


 話しを聞けば、彼は喜劇を観ても笑ったことがないという。

 アテナイなどでも、笑えると評判の喜劇を度々観に行ったそうだ。しかし、それらの喜劇のなにが面白いのか、観客がなぜ笑っているのか、全く分からなかったらしい。


「笑ったことがない!?」


 オレは目を見開いて、思わずそう尋ねた。


「そうですね。記憶にありません」


 こいつは、なかなかの難敵だ。このテの賢すぎる客は、ほんの少しでも疑念を持つと笑ってくれない。せいぜい愛想笑いをするか、苦笑いを浮かべるだけだ。


 むーん。ならば、つぎはどのネタにしようか? 


 そんなことを考えていると、今度は押入れがガタゴト鳴りだした。

 急な物音に、オレ達はほぼ同時に押入れの方に顔を向けた。


 バリッ、バギッ、バギバギバギ……。ズガーン!


 部屋のなかに埃が舞い、パラパラと何かが落ちてくるなか、現れたのは立派な鎧姿の男だった。どこかで見たような顔だ。

 肩にかからない長さのこげ茶色の頭髪、彫の深い整った顔立ちに涼やかな黒い瞳の男性。年齢は、アリストテレスよりも若そうだ。


「先生、こんなところで何をしておられます」


「おお、大王。来てくれたのですか?」


 ……まさか、今度は、あ、アレクサンダー大王!? 確か、アリストテレスはアレクサンダー大王の家庭教師だったとか。しかし、なぜ、こいつまで日本語で話してやがる!?


「『来てくれたのですか』ではありません。あれほど、洞窟には入らないようにと言ったではありませんか」


「しかし、そう言われると、ますます入りたくなるのが人情……」


 ふたりの会話から推測するに、アリストテレスはマケドニアのとある山に存在するという洞窟からオレの部屋へ転移したようだ。部屋といっても、オレの机の引き出しだが。


「で、こちらは?」


「リュウトという方で、お笑い芸人を目指しているそうです」


「お笑い芸人? 喜劇俳優のようなものですか?」


「ええ。おそらくは。それで、彼は私を笑わせようと寸劇を披露して下さったのです。本日は、調子が悪かったようですね」


 アリストテレスの言葉聞いたアレクサンダーは、顎に手を当てながらオレの方を見た。


「ふ、わが師を笑わせたいのか? ならば、よく見ておけ」


 するとアレクサンダーは窓を開けて、部屋に置いてあったオレのストーブを外にぶん投げた。

 突然のことで、オレは声も出なかった。ストーブは空の彼方へ消えていった✨


 アレクサンダーは目を閉じて俯き加減に


「……ストーブが」


 と言うと、カッと目を見開いてオレ達を見る。


 そして――


「すっ飛ぶ!」


 ……。


 大王が、渾身のおやじギャグだと!? 

 

 つーか、なんで紀元前の人間がストーブを知ってんだよ! 

 

「ふ、ぷ、ぶはははははっ」


 声のする方を見ると、そこには腹を抱えて笑い転げるアリストテレスの姿があった。


(ど、どいうことだ!? あれこそ氷結魔法の典型じゃねーか!)


 ちなみに、


 ストーブがすっ飛ぶ→氷結魔法

 布団が吹っ飛んだ→石化魔法

 電話に出んわ→氷結魔法


 である。

 なぜ属性に違いが生じるのかは、現代の科学をもってしても解明できていない。


 そして視線を移すと、ドヤ顔の大王が腕を組んでオレを見下ろしていた。


「見たか。これが、大帝国を築き上げた私の実力だ」


「大帝国かんけーねーだろ!」


 アレクサンダーはオレのツッコミを受け流して、さらに続けてこう言った。


「他人を笑わせたければ、一歩踏み込む勇気を持て。こんなことするのは恥ずかしい、笑ってくれなかったらどうしよう、などという恐れを捨てることだ」


「……」


 それは、解っているつもりだった。けれども、彼の言葉を否定できない自分がいる。オレは俯いて自分の足の先を見つめた。


「では先生、行きましょう。我々が、こちらの世界に長居してはなりません」


「そうですね」


 アレクサンダーが押入れの方へ歩いて行く。アリストテレスも立ち上がって彼の後に続いた。

 オレは彼らを言葉もなく見送る。


 すると押入れの前で、ふと何かを思い出したようにアリストテレスは立ち止まった。

 そして彼は、宙を見るようにして顎を上げ視線をオレに向けた。


「垣根は相手がつくっているのではなく、自分がつくっているのです」


「オレが?」


 笑みを浮かべてアリストテレスが頷く。さらに彼は言葉を続けた。


「私にとって、喜劇ほど興味深い題材はありません。私も未だに考えがまとまらないのです。では、御達者で」


 そう言うと、ふたりは押入れの闇の中に消えていった。


 オレはボー然とその姿を眺める。

 辺りには、無残に破壊された襖、押し入れに入ってた様々なモノ(主にエロ本とエロDVD)が散乱している。


 今更ながら、オレはそれに気が付いた。


「お、オレの部屋が……」



 数か月後――


 オレは、応募した「ニューカマーおわらいグランプリ」の予選を勝ち抜いて、決勝の舞台に立つことになった。


 そして、ついにオレの出番がやって来た。

 観客席たちがざわざわしているなか、オレは舞台の袖からセンターマイクへ向けて歩き出す。


 落ち着け、落ち着け、とココロのなかで唱えながら。


 ライトが熱くて眩しい。

 観客席の方に向かって、オレは深々とお辞儀する。


 顔を上げると、客席の一番奥の扉が開いて二人の男性が入って来るのが見えた。


 アリストテレスとアレクサンダーだ。


「あ、あいつら……」


 ふたりは空いている席に並んで腰かけた。


 その様子を見てオレは、笑みを浮かべる。どうやって、今日の事を知ったのか分からないが、今、そんなことはどうでもいい。


 ――今日こそ、笑わせてやるからな。アリストテレス。

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