第44話 六道銭・2



「渡し賃なんて、本当に必要なのでしょうか」

「さぁな。行った事が無いからわからねぇが……」

 土方は煙管を銜えて視線を落としたまま静かに笑った。「少しの銭だって、旅先でなんかの足しになんだろうが」

「旅先……ですか」

「ま、六文っつう額に意味があるんだろうけどな」

 寂しそうに笑う土方は、自分が今どんな顔をしているのかわかっているのだろうか。


「貴方一人が償わねばならない理由など、どこにもないだろう」


「別に、償おうなんざ思っちゃいねぇさ。俺の気持ちの問題だ」

 カン、と火鉢の縁で煙管を叩き、刻みを灰に落とす。赤い漆の模様のついた派手な煙管は、地味な紺色の着物によく映えている。土方らしい、そう思いながら、冷たくなってしまった茶を飲み干した。

「貴方が死んだ時は、俺が六道銭を入れて差し上げる」

「お、なんだ。俺が死んだ時の話か」

「縁起の悪い話ですので、一度きりしか言いません。六道銭は、俺が必ず」


「いらねぇよ。余計な事すんな」


 涼しい顔で言ってのける土方を凝視した。お前、なんてぇ顔をしてんだ、と、笑っている。

「だって、信じているのでしょう。三途の川の渡し賃を」

「さぁな、と言っただろうが。それに、死んでから棺おけに入るようなタマかね。俺が」

「黙って入ってはくれなそうですね」

「戦で命を落としたら、死骸なんざどこへ行っちまうかわからねぇさ。六道銭なんて言ってらんねぇや」

「それでも俺はあんたに必ず」

「無理だ」

「無理ではない」

「知恵比べか? 勝っても負けても、俺ぁ死んでるわけだ。つまらねぇな」

 そう言った土方は、少しもつまらなそうではなかった。確かに、畳の上で死に、棺に入るような人物には見えなかった。そうかと言って、敵に捕らわれて無残な死に方をするようにも見えない。普段の態度を見ていると、黙って腹を斬るようにも見えないし……と、何時の間にか土方の最期の時をあれこれと考えこんでいた。

 想像の中の主役であった土方は、こちらに背を向けてしまっている。文机に向かって、書き物を始めていた。

「土方さん、まだ話の途中だ」

「その話の途中で考え事を始めちまった奴が何を言いやがる」

「とにかく、俺はあんたの棺に六道銭を入れる。そのつもりだ」

 ふん、と土方が鼻をならし、この話はそこまでとなった。





 会津で行動を別にする事が決まった時、土方は可笑しそうに笑った。

「そういやぁ、俺の勝ちだな」

「何が」

「知恵比べさ。離れ離れじゃあ、六道銭など無理だろう?」

「…………さぁ、どうですかね」

「負け惜しみを言いやがる」

 土方が散切り頭をかきあげる。サラサラと柔らかそうな髪が指から零れていった。

「出来れば、相棒として、貴方の最期を見届けたかったですよ」

「……そいつぁ無理だな」

「そのようです」


「ざまぁみろ」


 子供のように笑う。こちらが困ったような顔をすると、途端に嬉しそうになる。そういう意地の悪いところは昔から変わらなかった。

 ヒラ、馬に跨る。武運を祈ると言いながら、こちらを振り返りもせずに行ってしまったわけは、泣いている顔を見せたくないからなのだろうか。涙が見えたわけではないが、何故か土方が泣いているような気がしてならなかった。


「ざまぁみろ、は、こちらの台詞ですよ」





 土方が死んだ事を聞いたのは、謹慎生活から釈放された頃だった。もっと取り乱すかと思ったが、意外に冷静に、相棒の死を受け止めている自分がいた。

 馬上で銃弾を浴び、遺体はどこにあるのかわからないらしい。やはり土方の死は、謎のままだった。

 そんな事もあろうかと、棺に入れるべき六道銭は、すでに身に付けさせていた。足を撃たれ、ブーツを駄目にした土方に、新しいブーツを用意したのは他でもないこの自分だった。その底に、片足に三両ずつ……合計六両を密かに隠しておいたのだ。


(あの人が三途の川を渡るところを、見たかったなぁ……)


 なにかのきっかけで自分が六両持っている事を悟った彼は、きっと大笑いしたことだろう。少しだけ本気で悔しがりその後は、さっぱりとそれを受け入れる。俺の知っている土方という男は、そういう男だった。

 三途の川に着いた時、ブーツの底から六両を取り出すと、きっとこう言ったに違いない。


『一人の渡し賃が六文なんだから、六両持っている俺は、銭を持ってなくて渡れそうにない奴等五十九人分もまとめて払えるってわけだ。そうだろ?』


 そう簡単に認められはしないだろうが、きっとそれを無理に通してしまう。あの男に口で勝てる者はいないのだ。そしてその願いが叶った後は、現世を少し振り返り、ニヤリとふてぶてしい顔で笑う事だろう。


(知恵比べは、俺の勝ちですよ)


『だけどてめぇは、実際六道銭が役にたったかどうかなんてわからねぇだろ? ざまぁみろ、だ』


 どこかからそんな声が聞こえてきたようで、耳を穿る。

 辺りを窺う。誰の気配もしない事を確認すると、俺は黙って肩を竦めてみせた。

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淡々忠勇 香月しを @osiokackey

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