【KAC20224】 野田家の人々:お笑い/コメディ

江田 吏来

第4話 お笑い/コメディ

 俺は見てしまった。

 押し入れの奥に隠された古いアルバムを。


「これは、オトンのアルバムか?」


 ページをめくると、俺の知らないオトンの姿が映っている。

 特に目を引いたのは、髪がフサフサなことだった。

 年々、髪がヤバくなっていくオトンとは別人のように若々しい。

 さらに驚く姿も発見する。


 ド派手な青いスーツにキラキラの赤いちょうネクタイ姿のオトンだ。

 どこかのステージの上で、中央に置かれたセンターマイクを基準に、知らない男と並んでいる。

 なにやら話をしている姿は、まるでボケとツッコミ。


「オトンはお笑い芸人だったのか?」


 んー、とうなって首をかしげた。

 オトンは毎朝七時に起きて、会社に行く。帰宅は二十時頃で、俺たちとあまり会話をしない。

 休日は昼まで寝て、あとはこたつに入ってゴロゴロするか、スマホをポチポチしている。

 今はテレビをつけたままウトウトしていた。


 やかましい野田家の中で寡黙というか、空気のような存在。それがオトンだ。

 ギャグや冗談など聞いたことがない。

 そもそもオトンがどんな声をしているのか。それさえよく思い出せない。


「なあ、オカン。オトンは漫才師かお笑い芸人やったんか?」

「はあ? そんな話、聞いたことないで。もしお笑い芸人やったとしても、あれじゃ話にならんわ」


 洗い物をしていたオカンは手を止めて、てくてくとオトンに近づいた。


「お父さん、さっきふとんが吹っ飛んだわよ」

「なに? ふとんがふっ……ぐふッ」


 ふはははははは、ぎゃはははは、あひゃひゃひゃ、ぼへぼへと、腹を抱えて笑いはじめた。

 ふとんが吹っ飛んだ。これは昔からよくある典型的なダジャレの代表格。今時はやらないベタな言葉なのに、いつもでもおかしそうに笑っている。


「ふとんが吹っ飛んだ」


 俺もオカンのマネをして、呪文のようにとなえてみると、


「おいおい、おまえまで……ぶほッ」


 ぶはははは、とさらに激しく笑いはじめる。まさか「ふとんが吹っ飛んだ」だけで大爆笑する人間がいるとは。

 さすがの俺もドン引きだった。


「ね、お父さんは笑いの沸点が低いの。漫才なんてムリよ」

「でもこの写真」


 俺は古いアルバムを突きつけた。


「おお、懐かしいな」


 笑いすぎて涙目のオトンがアルバムをのぞき込んだ。


「笑いの効果に男女差があるのか、大学で研究していたときの写真だな」

「オトンが漫才して笑われたのか?」

「あほう、本物のお笑い芸人さんと実証実験をしたんや。これはただ衣装を借りて、記念に撮っただけや」

「へえ、実験の結果は?」

「おもろいことにな、男は笑うことで緊張や不安を和らげるけど、女は混乱する感情が抑えられたんや。他にもな、男は怒りや敵意が改善されたのに、女は大きく改善されんかったんや」


 それがどういうことなのか、サッパリわからない。

 男と女で笑いのツボが違うということか?


「いやー、それにしても懐かしい写真やな。どこで見つけたんや?」

「押し入れの中」

「そうか、そうか」


 オトンはとても嬉しそうな顔をして、アルバムを眺めていたが、オカンの視線はアルバムのオトンと、現在のオトンを行った来たり。

 そして一言。


「お父さん、髪……多かったのね」


 オトンから笑顔が消えた。


「オトン、ふとんが吹っ飛んだ!」

「お、お父さん。ほら見て、アルミ缶の上にある、ミカン!」

「コーディネートはこーでねいとッ! これでどうだッ」


 ありったけのダジャレを並べてみたが、オトンは薄くなった頭をなでながら、覇気のない顔でかすかに笑うだけだった。

 俺はまた、余計なことをしてしまったようだ。


 古いアルバムを勝手に持ち出して悪かった。

 オトン、早く元気出してな。






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【KAC20224】 野田家の人々:お笑い/コメディ 江田 吏来 @dariku

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