第27話 九編 2

 古から世の中にこれらの人物がいなければ、我々は今日生まれて今日世界中にある文明の恩恵を受けることができなかったろう。親の遺産を譲り受ければそれを形見と言うが、この遺物はわずかに土地や家財などだけで、それを一度失えば失った後には何も残らない。しかし世の文明はそうではない。世界中の古人を一体と見なして、この一体の古人から現在の世界中の人たち――つまり我々――に譲り渡された遺物である。その巨大さは土地や家財などの比ではない。とは言っても、今、誰に向かってこの恩を感謝すればいいのか、その相手が分からない。これを例えれば、人類に必要な日光や空気を得るのにお金がかからないのと同じことだ。その物は尊いと言っても、誰が所持しているわけではない。ただこれは、古人の陰徳、古人の恩賜と言えるだけであろう。

 開闢のはじめには、人智は開けていなかった。その様子を形容すれば、生まれたばかりの小児に知識がないのと似ている。例えば、麦を作ってそれを粉にするには、天然の石と石とでそれをつき砕かなければならない。その後ある人の工夫で、二つの石を丸く平たく作り、その中心に小さな穴をあけて、一つの石の穴に木か金属の棒をはめ、この石と石との間に麦を入れて上の石を回し、その石の重さを利用して麦を粉にする方法があみ出されたのである。これが挽碓(ひきうす)である。昔はこの挽碓を人力で回していたが、後世になってうすの形を次第に改良して、これを水車や風車にしかけ、あるいは蒸気の力を用いることになって、次第に便利になっている。

 何ごともこのようなもので、世の中の有様は次第に進み、昨日便利だったのものが今日には不便になり、去年の新工夫も今年は陳腐になる。西洋諸国の日進月歩の勢いを見れば、電信、蒸気、いろいろな方面の器械などは、新しい物が出ればそれが旧に代わり、日に月に新しくならないものはない。ただ、有形の器械だけが新しくなるのではなく、人智がどんどん開ければその交際もますます広くなり、交際がますます広くなれば、人情もますます和らぎ、国際法が権威を持つようになると、軽率に戦争を行わず、経済の議論も盛んになって、政治、商業のやり方も一変して、学校の制度、著書の体裁、政府の貿易、議院の政談などどんどん改め、どんどん高度になり、その至る所の限界はどこまでいくのか分からない。試みに西洋文明の歴史書を開き、開闢の時より紀元一六〇〇年代まで読んで本を閉じ、そこから二〇〇年をとばして急に一八〇〇年代を開いてそれを見れば、その進歩の速さに誰が驚かないでいられようか。同国の史記とはとても信じられないだろう。こうした進歩を遂げた理由のもとを調べれば、みんなこれは古人の遺物、先進の賜である。

 わが日本の文明もそのもとは中国、朝鮮から来て、それ以来わが国人の力で切磋琢磨し、それが近世の有様になり、西洋の話などは遠く昔の宝暦年間(一七五一~一七六三年)に始まった。最近、外国との交際が始まってから、西洋の説がやっと世上に現れ、洋学を教える者も洋書を訳す者も出てきた。天下の人心はさらに方向が変わり、そのため、政府をも改め、諸藩も廃して、今日のようになった。西洋を知ることにより、文明が進んだのは古人の遺物、先進の賜と言える。

 右の論のように、昔の時代から有力な人物は心身を労して、世のために事をなした者は少なくない。今、この人物の心を推察すると、どうして自分の衣食住が満ちただけで満足とするのか――というところであろう。人間社会の義務を重視して、その志すところは高遠にあるのだろう。今の学者はこの人物から文明の遺物を受けて、まさに進歩の先頭に立っている者だから、その目指すところに限界があってはいけない。今から何十年か経て、後の文明の世になれば、また後の人は今のわが輩らの恩恵を仰ぐこと、今、わが輩らが古人を拝むようにしなければならない。まとめてこれを言えば、わが輩らの職務は今日のこの世に住み、わが輩らの生きた痕跡を後に残して、遠く後世の子孫に伝えるという一事にある。その任務は重要である。

 どうしてわずか数巻の書を読み、商人や工業につき、小吏になり、一年間にわずかの金を得て妻子を養い、それを自らの満足とするのか。これはただ他人を害さないだけで、他人に益を与える者ではない。そして、事をなすのには、時に便不便がある。例を挙げて言うと、天の時を得なければ有為の人物もその力を発揮することはできない。古今、その例は少なくない。身近のことで言えば、わが旧里にも俊英の士君子がいるのはよくわが輩の知るところである。今の文明の目をもってこの士君子を評すると、その言行は時には方向を誤ることが多いと言っても、これは世論の方向性の問題であるから人の罪ではない。実際、その士君子は事をなそうとする気力を持っている。ただ不幸なことに、時代に報われず、空しく宝をふところにして、生涯を過ごし、あるいは死に、あるいは老い、ついに世上の人に大きな徳を与えられないのは遺憾と言うしかない。

 今ではすべてそうではない。前にも言ったように、西洋の説がようやく現れてきて、ついに旧政府を倒し、諸藩を廃したのは、ただ戦争だけの変革と見なすべきではない。文明の功能はわずか一度の戦争で変わるものではない。だからこの変革は戦争による変革ではなく、文明に促された人心の変化の現れなのだ。あの戦争の変革はすでに七年前に終わり、その跡はないと言っても、人心の変動は依然としてある。およそ物が動かなければ、それを導くことはできない。学問の道をまっさきに唱え、天下の人心を導き、さらにこれを高尚の域に進めるには、とくに今がチャンスで、この機会に逢う者が今の学者なのだから、学者は世のためにがんばらなくてはならない。――十編につづく。

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