第13話 五編 1

『学問のすすめ』ははじめ、民間の読本か学校の教科書のひとつにしようとしていたものだから、初編から二編三編とできるだけ簡単な言葉を用い、読みやすい文章にしようとしていた。が、四編は少し文体を変え、時に難しい文字言葉を用いたこともあった。またこの五編も、明治七年一月一日の社中会合(慶応義塾の会合)の時に述べた言葉を文章にしたものだから、この文も四編とそう変わらず難しい文字言葉になっている。だから分かりにくい文になる、という恐れがないわけではない。結局、四編五編の二編は、学者を相手にして論を立てたものだから、難しい文字言葉を用いることになった。

 世の学者はだいたいみんな腰抜けで、その気力は不充分だけれど、文字を見る眼はなかなかのもので、どんな難文にも困ることはないから、この二冊も遠慮なく難しい文章を書く。そう書くと文の意味も自然に高尚になる。これのために、民間や学校の教科書としての『学問のすすめ』のねらいから外れるのは、初学の人にはとても気の毒だが、六編からはまたもとに戻し、分かりやすさを旨として初学の人でも分かりやすいよう、難文を用いないようにする。だからこの二編で全体の難易を評さないでほしい。


 明治七年一月一日の言葉


 わが輩、今日、慶應義塾にあって、明治七年一月一日を迎えることができた。この年号はわが国独立の年号である。この塾はわが社中独立の塾である。独立の塾にいて、独立の新年を迎えることができるというのは喜ばしいことだ。思うに、これを得て喜ばしいものは、これを失えば悲しみを感じるものだ。だから、今日、喜んでいる時でも、他日、悲しむ日が来るということを忘れてはならない。

 古来わが国は治乱の推移によって、政府はしばしば変わったが、今日に至るまで国の独立を失うことはなかった。その理由は、人が鎖国の風習に満足していて、わが国の治乱勃興に外国が関わらなかったからである。外国と関係がなければ、治世も一国の治世だし、乱世も一国の乱世である。またこの治乱を経て、失っていない独立も、ただ一国の独立であり、未だ外国と武器を交えての争いではない。これを例えて言えば、子供の頃から家の中だけで育てられて、一度も外の人と接していない人のようだ。その薄弱さを知るべきである。

 今や、外国との交わりは急速に増え、国内の事務は一つとして外国や外交に関係しないものはない。事々物々すべて外国と比較して処置しないといけないような勢いにまでなっている。古来、わが国の国民の力でわずかに発展した文明の有様をもって西洋諸国の有様と比べれば、ただ恐れて遠慮するだけでなく、西洋にならおうとして西洋に憧れることだろう。その時、わが国の独立が薄弱なことを自覚できるだろう。

 国の文明は、形だけを見て評価してはいけない。学校といい工業といい、陸軍といい海軍といっても、みんなこれは文明の形である。この形を作るのは難しいことではない。ただ、金銭で買えばいいだけだからだ。しかし、ここにまた無形の一物がある。この一物というのは、目で見ることができず、耳で聞くことができず、売買することもできず、貸し借りすることもできず、すべての国人の間にあるものだ。この一物の影響と作用はとても強く、この物がなければ前述した学校や工業なども実用をなさない。この一物は、文明の精神と言えるとても重要なものである。さて、その一物とは何か。言おう。人民の独立の気力、がそれである。

 最近のわが政府はしきりに学校を建て、工業を勧め、陸海軍の制度などを大いに改めるなどして、文明の形はほぼできあがったけれども、人民は自国の独立を強固にして外国とつき合おうとする者はいない。そうしないだけでなく、たまたまあの事情(文明は形だけではだめだということ)を知る機会を得た人でも、未だそれを公の場で話さず、それを恐れるだけだ。外国に対してすでに恐怖心を抱いている時は、たとえ自国に少々いいところがあっても、それを他国に対して示すことはできない。結局、人民に独立の気力がなければ、文明の形もついには無用の長物になってしまう。

 さて、わが国の人民に独立の気力がない原因を考えると、数百数千の昔から全国の権柄(けんぺい)を政府が一手に握っていたことにある。武備、文学から工業商業に至るまで、人間の些細な事務も政府に関わらないものはなく、人民はただ政府が指すところに向かって奔走するだけだった。あたかも、国は政府の私物のようで人民は国の食客のようだ。すでに無宿の食客となり、この国に寄食するようになると、国を見ること旅人が宿屋を見るようで、一度も心を配ることなく、またその気力を顕わす機会も得ず、ついに今のような気風を養うようになった。

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