第11話 四編 3

 試みにその実例を挙げて言おう。現在の世の洋学者たちは多くの人が官途につき、私的に事をなす者はほんの数人である。おそらく、その官にあるのは、ただ利をむさぼるだけでなく、政府を踏み台にして長年の出世願望を満たそうとしているのだろう。また、世の名高い大家先生といえども、これと似たようなものである。その行いは卑しいものであるが、深くとがめることはできない。思うに、これは悪なのではなく、ただ世の気風に酔っていることに気づいていないだけである。名高い士君子といえどもこんなものだ。天下の人が、どうしてそれに習わなければならないのか。

 青年書生はわずか数巻の書を読めば、すぐ官途を志し、有志の町人はわずか数百の資本金があれば官の名を借りて商売をしようとし、学校も官許、説教も官許、放牧も官許、養蚕も官許、事業のうち一〇に七、八は官が関わっている。これにより世の人心はますますその風になびき、官を慕い官をたのみ、官を恐れ官にへつらい、少しも独立の心を持つ者もなく、その醜態などは見ていられない。例えば、最近出版されている新聞やあちこちの上書き建白書の類もその一例である。出版の条件が非常に厳しいこともあるが、新聞紙を見れば、政府に都合の悪いことなどはまったく載せず、官にほんの少しの美事があれば、むやみやたらにそれを誉め称え、実際を過剰に美化し、あたかも娼妓が客に媚びているようである。また、その上書き建白書を見ると、その文は常に賤劣を極め、むやみやたらに政府を尊崇し、政府に対するのに鬼神と対するように接し、自分を罪人のように卑しめている。平等の人間世界では使わない虚文を用いても、それを少しも気にかけないで恥じる者はいない。このような人が書いた文を読んで、その人を想像したならば、わが輩の眼前には狂人の姿が浮かぶ。しかし今、こんな新聞を出版し、また政府に建白したりする者は、だいたいが世の洋学者たちなのである。彼らの私生活を見れば、必ずしも娼妓や罪人のようではない。

 ところで、その不誠実がこんなとんでもない状態にまでになったのは、未だに世間に民権を唱える者がなく、ただ、あの卑屈の気風に流されて国民が自由に本色を現せないからである。これを一般的に言い換えれば、日本にはただ政府があるだけで、未だ国民がいない、と言うこともできる。だからあえて言おう。人民に浸透している気風を一洗して、世の文明を進歩させるには、今の世の洋学者たちにもまた頼ってはいけない。

 前に書いた論説が正しいのならば、わが国の文明を進歩させてその独立を維持するには、政府ひとりでは十分に行うことはできない。また現在の洋学者たちは頼るに値せず、これは必ずわが輩の任務であろうと考える。まずわが輩から事の端を開いて、愚民の先頭に立とう。愚民の先頭に立つだけでなく、あの洋学者たちのために先駆して彼らの目標を示さなければならない。今、わが輩の身分を考えてみると、学識は賤劣とは言え、かなり前から洋学を志し、この国にあっては中人以上の地位にある。最近の世の改革も、もしわが輩が主として始めたことでなければ、かげからそれを助けよう。また、みんなの助成する力がなくても、その改革はわが輩の望むことだから、世の人もわが輩を改革家として見るだろう。すでに改革家の名があって、またその身は中人以上の地位にあり、世の人はあるいはわが輩と同じ行動をする者もあるだろう。それなら、今、人の先頭に立って事をなすことがまさに、わが輩の任と言うべきであろう。

 そもそも事をなすには人を動かさなければならない。人を動かすには、諭すしかない。諭すには、自分が実例を示すしかない。政府はただ命令する権力を持っているだけで、人を諭して実例を示すのは民衆の私事である。ならばわが輩はまず私立の地位を固め、時には学術を講じ、時には商売をし、法律を議し、書を著し、新聞を出版するなどして、国民の分限内のだいたいのことは忌み嫌われることもかまわず行い、固く法を守り、正しく物事を処理して、政府が法を実行しないために国民が不当に害を受けることがあれば、わが地位にかけてこれを論じ、政府に警告し、旧弊を除いて民権を回復することは、現在の急務である。

 言うまでもないことだが、私立の事業は複雑多岐で、かつこれらを行う人にもそれぞれ長所や意見があるものだから、わずか数人の学者がすべてその私立の事業を実行しなければならないわけではない。が、わが目的は事を巧みに行うのを示すのではなく、ただ天下の人に私立というものがあるということを知らせたいだけである。一〇〇回説明をするより、一回の実例を示す方が、実際わかりやすい。今、わが輩が私立独立の実例を示し、「人間の事業は政府ひとりの任務ではない。学者は学者の任務を行い、町人は町人の果たすべき任務を果たさなければならない。政府も日本の政府。人民も日本の人民。政府は恐れるものではなく、近づくべきもの。疑うべきものではなく、親しむべきもの」ということを教えてやれば、人民はようやく向かうべき目標を持ち、上下に浸透するおのおのの気風も次第に消滅する。そしてはじめて、真の日本国民が生まれ、政府のおもちゃではなく政府の感覚神経となり得るだろう。学術、法律、商業なども、自然とその本道に戻り、国民の力と政府の力とは互いに均衡するから、これをもって国の独立を維持するべきである。

 以上、論じてきたことをひっくるめれば、今の学者がこの国の独立を助けるにあたって、政府に就いて官として事を起こすのと、人民の中にいて私立に事を起こすのとがある。その両者を利害損失で考えて、本論は私立をよしとしたものである。世のすべての事物を詳しく論じれば、利がないものは必ず害があり、得がないものは必ず失がある。利害得失で、利得がゼロ、害失もゼロ、となるものはない。わが輩は、ある特別の目的があって私立を主張しているのではない。ただ、日頃考えていたことを示して、論じただけである。世の人々がもし、確証をかかげてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述べる者があれば、余輩は喜んでそれに従い、天下に害をなすことをやめよう。

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