第2話 初編 2

 学問をするには身のほどを知ることが肝要である。人の天然、生まれつきは繋がれず縛られず、一人前の男は男、女は女で自由自在なものである。しかし、ただ自由自在とのみ唱えるだけで身のほどを知らなければ、わがまま放蕩に陥ることが多い。つまり その身のほどを知る、ということは、天の道理、人の関係に従い、他人に迷惑をかけることなく自分の自由を確保する、ということだ。

 自由とわがままの差は、他人に迷惑をかけているかかけていないかにある。例えば、自分のお金を使ってすることなら、たとえ酒色にふけり、放蕩して遊びほうけるのも、自由なことのように見えるけれども、決してそうではない。一人の放蕩はみんなの手本になり、最後には世間の風俗を乱すことになる。

 これは、人の道徳などの教育の妨げになるから、使うお金がその本人のものだったとしても、これは罪になり、許していいことではない。

 また、自由で独立しているというのは、人ひとりのことではなく、国家にもあてはめることができる。わが日本はアジア大陸の東に位置するひとつの島国で、鎖国政策により、外国と交わりをもたず、自国で生産されたものを衣食にして、それが不足していると思うことはなかった。しかし、アメリカ人が渡来してから外国との交易が始まり、今日の有様になった。開港した後もいろいろと議論があり、鎖国、攘夷、などとやかましく言う者があるけれど、彼らの視野はとても狭く、文字通りことわざの「井の中の蛙」であって、その言はとるに足らない。日本も西洋諸国も同じ天地の間にあり、同じ太陽に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、人情を持つ同じ人間である。ならば、こちらに余っているものはあちらに渡し、あちらに余るものはこちらがもらい、お互いに助け合いながら、お互いに学びながら、恥じることなく威張ることなく、天の理に従って生きるべきだ。理に従い交わりを結び、アフリカの黒奴をも尊敬し、道理のためにはイギリス、アメリカの軍艦を恐れることなく、自国の恥となれば日本中の人間一人残らず命を捨てる覚悟で国の威光を落とさないようにすることこそ、一国の自由独立と言える。

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