カレーライス修理工 角田拓三

ポテろんぐ

その1

 環境破壊が囁かれて久しい。

 人間は文明を発展させて行くのと引き換えに、多くの自然を破壊してきた。そのやり過ぎた行動を反省し、自然を戻そうとする者もいる。それもまた人間だから面白い。


 カレー修理工 角田拓三さんもその一人だ。


「人間の料理の発展によって犠牲になったカレーライスを少しでも自然に近い形に戻してあげたい。それだけです」


 私は彼の屈託のない笑顔から発せられた言葉にハッとした。

 カレーライス。

 美味しい。

 しかし、あの料理を作る為に、どれだけの自然を犠牲にしているのか?

 その犠牲に見合うだけの行いを我々人間は……インド人は行っているのだろうか?

「カレー美味しいよ。日本人も食べなよ」とインド人は何も考えずカレーライスを日本に伝来させ、取り返しのつかないところまで広めてしまったのだ。ああ、今はあのインド人たちが憎い。


 角田さんの作業は街中を歩き回る事から始まる。


「夕飯にカレーを作る家庭は多いですから、鼻に全神経を集中させカレーの匂いを嗅ぎ分けるんです」


 そう言って、角田さんは各家庭の排気ダクトに鼻を近づけては、蒸せては帰って来るを繰り返した。


「親方、窓から見えますよ」


 そう角田さんにアドバイスしたのは、見習い工の竹内君。竹内君は窓からコンロで鍋をかけているお母さんを指差して、角田さんにパスを出した。しかし、


「馬鹿野郎!」


 角田さんは竹内君の頭を叩いた。


「そんな事したら、覗きだろ! 馬鹿野郎!」

「すいません」


 角田さんは、竹内君を叱りつけて、脚立に登り、排気ダクトに鼻を近づける。

 覗きじゃないけど、角田さんの方が不審者に私は見えた。


「この家、怪しいな」


 すると角田さんがついにカレーが夕飯の家庭を文字通り嗅ぎつけた!


「タケ、玄関に回れ!」

「へい!」


 角田さんの指示で竹内君が玄関に回る。そしてインターホンを押した。


 角田さんは窓から料理をしているお母さんが玄関に向かうのを今か遅しと睨んでいる。結局、窓から見てるではないか。


「はーい」


 竹内君の呼び鈴に反応したお母さんがキッチンを後にした。

 そして、角田さんがなんかの角で窓を小さく割り、窓の鍵を開け、中に入って行った。

 行動が完全に泥棒だ。


「あ、靴は脱いでください」


 一緒に着いて行こうとした私に、角田さんがそう言った。


「靴のまま上がったら失礼ですから。アメリカじゃないんだから」


 角田さんはそーっと窓を開け、中へと向かう。この人のモラルの基準が分からないと思った。


 角田さんは周りの物には目もくれず、一直線にコンロの鍋へ向かう。鍋の火は消えているが、蓋がしてある。


「匂いますね」


 匂うも何も、ゴミ箱には空になったカレールーが捨ててある。ビンゴだ。


「カレー。ビンゴです!」


 蓋を開け、カレーを見て角田さんが言った。初見の私よりも遅い。


 角田さんはゴミ箱に捨ててあったルーの箱と、流しの三角コーナーを鍋の上に乗せた。


「行きましょう!」


 と、角田さんはカレーの鍋ごとを持って、来た窓から外に出た。

 遅れて私が外に出ると、角田さんは窓を閉め、さっき自分が開けた穴から窓の鍵を閉め直した。


「なんで閉めるんですか?」

「だって礼儀じゃないですか」


 閉めた所で、簡単に開けられるんだから意味がないと思うが、角田さんなりの礼儀なのだろう。

 角田さんは鍋を持ったまた、人気のない場所まで走った。道中、シチューを作っている家庭を竹内君が見つけたが「シチューなんかどうでも良いだろうが!」と角田さんが怒鳴り声を上げ、烈火の如く怒った。具は全く同じなのに、基準がよく分からない。


「なんでシチューは修理しないんですか?」

「簡単です。カレーじゃないからです」

「でも、具は一緒ですよ」

「じゃあ、聞きますけど。日本の医者がアメリカに住んでる人の命を救いますか? 救える命を救う。そうでしょう?」


 私の減らず口に角田さんの極論が飛んだ。話はそこでシャットダウンされた。

 二人は車で作業場まで移動する。これからカレー修理工の腕の見せ所だ。


 まず、鍋の中から具材を取り出す。

 人参、ジャガイモ、玉ねぎ、肉。

 この家庭のカレーの具材はオーソドックスだ。


「まずは具材の修理からです」


 具材の修理。


 角田さんと竹内君はそれから、カレーの鍋に入っている具材を一つ一つ、人参、じゃがいも、玉ねぎと種類づつに分けて行った。


 一時間後。


 全ての具材を分け終えると、それを水で洗いカレーを流して行く。


 そして、それからは気の遠くなるような作業が待っている。


「一度切った食材を元の姿に戻していきます」


 角田さんと竹内君は種類別に分けた野菜をジグソーパズルのように元の人参の形へと戻して行く。


「少しでも人参の姿に戻して、自然に返してあげたいんです」


 そう言って、角田さんは切り目が合った人参同士をボンドでくっ付け、元の人参の形へと復元していった。

 まさにカレー修理工。この気の遠くなる作業に職人の目を見た。


 作業は深夜になっても終わらず、二人は一旦休憩を取るため、散歩がてら近所のコンビニへ向かった。


「作業は明け方までかかりそうですから、体力がつくものを食べたいですね」


 そう言って角田さんはコンビニ弁当のカレーを手に取った。


「カレー食べるんですか?」

「ここのカレー美味しいですよ」


 そう言って、なんの疑問も持たず角田さんも竹内君もカレーを買って作業場に戻った。


 修理しているカレーのそばで二人は黙々と買ってきたカレーを食べている。


「カレー、食べて良いんですか?」

「美味しいですよ、これ」

「いや、そうじゃなくて……」


 カレーを修理している人が、カレーを食べることには抵抗はない。何か矛盾している気がする。


「それを言ったら、葬儀屋は子供を産んじゃいけない事になる。屁理屈を言っちゃダメですよ」


 意見を言うと角田さんはむしろ私の方を責めてきた。たまに見せる空間を無理やり捻じ曲げるような超極論はなんなんだ?


「世の中、持ちつ持たれつです。重箱の隅を叩く奴が一番の悪者なんです。カレーを食べたって、私が修理しているカレーの意味がなくなるわけじゃないんです」


 そう言って、角田さんは真っ直ぐな瞳で私を見た。

 一見、説得力のある言葉だが、そのカレーを盗まれて、今晩の夕飯を失ったあの家族を思うと居た堪れない気持ちになるのも確かである。


 カレーを食い終わり、二人はまた作業に取り掛かる。


 にんじんもじゃがいもも元の形を取り戻しつつあった。そして、全部の野菜を復元し終わり、三角コーナーにあった皮までもを人参に貼り付ける。


 そして、ヤスリをかけ、どこからどう見ても人参にしか見えない人参が復元された。


「こんな顔をしてたんですね」


 角田さんは自分が復元した人参を掌で転がしながら、涙を流した。


「こうやって人参が復元されると、これを育てた農家の人の気持ちが伝わって来るんです。宮大工をしている人たちも、こう言う気分なんでしょうね」


 角田さんはそう言って、笑顔をのぞかせた。

 農家の人は美味しく食べて欲しかったのではないか? と私は疑問に思った。


「それで、復元した野菜はどうするんですか?」

「もちろん土に帰します。自然に返すんです」


 その晩、角田さんと竹内君は一日かけて復元した人参、じゃがいも、玉ねぎを近くの農家の畑に戻した。


「コイツらはここで暮らすのが幸せなんです」


 ただ、復元した野菜を土に差して帰ってきた二人。これが野菜の幸せなのか。


 しかし疑問はここからだ、肉はどうするのだ?

 野菜のように復元するわけにはいかないはずだ。


「もちろん。食べます」

「え?」

「食べて、我々の血となり肉となって貰うんです」


 二人は食べた。


 そして残ったカレーのルー。

 これはまず天日干しにしてカピカピに水分を飛ばす。そして、残ったルーを元の打っていた方に戻し、箱に詰め直す。


 まる二日かけ、カレーになってしまったカレーを元通りに復元した。


「完成です」


 カレーのパッケージに包まれ、ボンドで固められたカレールーがそこにあった。


「おい、これを元の場所に戻して来い。俺は疲れたから寝る」

「へい!」


 竹内君は角田さんから支持を貰い、意気揚々と車で出て行った。


「元の場所とは?」

「スーパーに決まっています。そこに置いておけば、返品されて元のメーカーに戻るはずです」


 なるほど。

 ただ、あんな売り物にならないルーを受け取って、メーカーはどうすればいいんだろうか?


「人間でもなんでも、生まれ育った場所で暮らすのが、幸せに決まってるんです」


 角田さんはそう言って、遠い目で笑った。悔しいくらいに良い笑顔をしていた。

 多分、スーパーで捨てられると思うが。


 しかし、ここで問題が起こった。

 角田さんが眠っていたところに動物園から電話がかかって来たのだ。


 なんと、竹内君がインド象の肛門にさっきのカレールーを突っ込んで飼育員の人に捕まってしまったのだ。


「馬鹿野郎!」


 角田さんは車がないので、電車で動物園に向かい、竹内さんの代わりに頭を下げた。


「馬鹿な奴です。カレーをウンコだと本気で思っていたなんて」


 そう、竹内君はカレーはうんこに似てるから、象のお尻に返そうとしたのだ。


「馬鹿な奴です」


 角田さんはそう言って、フッと笑った。

 きっとそんな事を言いながら、竹内君のことが可愛くて仕方がないのだろう。


「馬鹿な奴です」


 角田さんはタバコを蒸しながら、三度言った。


 その後、カレーは角田さんが近くのスーパーに返しに行った。そこで、角田さんは万引きGメンに捕まり、近所の空き巣の捜査をしていた警察に引き取られ、無事に逮捕された。
















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カレーライス修理工 角田拓三 ポテろんぐ @gahatan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説