第2話 英恵

 私の寿命がまさか残り20年と5日だったなんて。

 明日金曜日に駿と会う予定だったのに。起きた時から頭痛がして異変を感じていたが、体が硬直して息苦しくなり、床に倒れた。

 この世の最後にはアプリ画面の端の「Distorted by ヒデ」の文字がふと頭に浮かんだ。


 駿の結婚式から一週間後の土曜日、貴洋君に小学校以来の英会話のレッスンをした。

 結婚式で久しぶりに会った貴洋君は、海外のスポンサーとも仕事があるから、改めて英会話を習いたいと言ってきた。

 元々貴洋君の家と我が家は近所で、私は女手一つで駿を育てるために自宅で英会話のレッスンとパートを兼務していたから、よく貴洋君の家で駿を見てもらっていた。

 貴洋君のお父様の二階山俊貴さんは元々サラリーマンだったけど、10年ほど前に独立してセキュリティソフト会社を立ち上げて、会社も大きくなってとても成功していた。私もソフトの説明書の英語翻訳のお仕事を頂き、本当に貴洋君の家には母子ともどもお世話になっていた。

 小学校の頃とは違い、広告代理店でバリバリ働く貴洋君は、当たり前だけど英会話を教えていても吸収が早かった。貴洋君の声は少し特徴があって、大人の男性からしたら少し高くてかわいい声だった。

 そんな貴洋君に一つだけ気になったことがあって、小学校の頃は文字がとても綺麗だったけど、自分の名前も筆記体のメモも読めないほど汚くなっていた。さすがに気になって尋ねたら、妙な事を言い出した。

 急に文字が下手になって、急いでペン習字を習いだしたと笑っていた。

 そして私に、直したいコンプレックスがあるか聞いてきた。いっぱいあるわよ、顔にたくさんあるシミとか、駿を育てるのに必死で自分のことは二の次だったからね。でも、一番はこの低い声かな、貴洋君みたいな綺麗な声に憧れるわと話したら、貴洋君の顔つきが一瞬変わった。    

 そして、貴洋君が面白いアプリあるよと紹介してきた。

 コンプレックスを交換することが出来るって。お互いの声を交換して駿を驚かそうと言ってきた。今日一晩寝たら、声が入れ替わるよと貴洋君が結構な温度でいうから私もノリでそのアプリを貴洋君に手伝ってもらい会員登録した。声を入れ替えるために寿命と交換と言われて、今や平均寿命女性が90歳を超えてきたから、あと40年は生きるのはしんどいから20年かしらと言って笑って入力した。貴洋君は私が出品した直後にすぐに落札したと満面の笑みだったわ。これで一晩寝たら声が入れ替わりますよ、って。この時の貴洋君は小学生の頃の貴洋君に戻っているように感じた。


 その後も貴洋君に英会話のレッスンをした。貴洋君が帰った後一人で夕飯を食べながらいつも土曜の夜に見るテレビ「世界ふしぎ探検」をつけた。駿とさくらが今新婚旅行に行っているペルーのマチュピチュを特集していた。私がおすすめした南米に行ってくれた二人、帰国は明後日の月曜か、そんなことを考えて、午後11時頃に貴洋君のアプリのことはすっかり忘れて眠りについた。

 翌日曜日の英会話の午後からの最初の生徒の前で耳を疑った。一人で生活しているから、家で声を出すことはそれまでなかったからびっくりしたわ、可愛い声に変わっていた。生徒にももちろん驚かれたわ、そしてその声がとても似合っていると。

 とりあえず平静を装ってその日のレッスンを終えて貴洋君に連絡した。仕事かしら、来週のレッスンの前に一度話したいなと思ったけどその日は電話が繋がらなかった。さすがに気のせいと思い早く寝て、翌日帰国直後の駿に電話した。駿の第一声で確信した。

「貴洋、帰国早々に母親の携帯から電話してきてくれてありがとうな、今英会話レッスン再開中?」

 貴洋君とアプリで声が入れ替わったと話したが、全く信用されなかった。とりあえず金曜の夜に会うことにした。でも、駿は最後まで貴洋君のいたずらと思っていた。早く駿に会って声がどれくらい似ているか確認したい。

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