お笑い死人

葵 悠静

本編

 周りはすっかり夜の闇に包まれた深夜。

 街灯もなく車も走らないような草原の真ん中で突如淡く薄い光が現れる。


 それは夜の闇を照らすほどの強い光ではなく、むしろ夜に飲み込まれてしまいそうなほど弱弱しくも思える光だった。


 そして光が消えたかと思うと、一人の男が草原の中に立っていた。

 男は不思議そうに自分の手を、全身を見つめ、状況を理解したのか深く息を吐く。


「あれ、俺もしかせんくても死んだんか……?」


「ええ、それはもうあっさりぽっくりと」


「そうか……。最近無理しとったからなあ」


「直接の死因は過労死ではないですけどね」


 男が口に出した言葉は独り言のつもりだった。

 しかし今まさに男の独り言に返事が返ってきている。


 直感的にここには男一人しかいないと思っていたのに、会話が成立しているという事実に違和感を覚え男は声がした方へと顔を向ける。


「うわ! びっくりした!!」


 男の眼前にはいかにも胡散臭そうな笑みを浮かべ、趣味の悪い真っ赤なネクタイを付けたスーツ姿の男が立っていた。


「なんや、あんた! 俺が見えるんか!?」


「当然ですよ。ばっちり足のつま先まで見えてます」


「……なんや、俺死んでなかったんか。ただの勘違いか」


「いえいえあなた様は間違いなく死亡しています。今のあなたは俗にいう幽霊ですね」


「じゃあなんであんたには俺が見えるんや」


「私もあなたと同じだからですよ」


 スーツ姿の男は顔の表情を一切変えないまま話し続ける。

 その姿に異様さを覚え、男は一歩スーツの男から距離を取った。


「同類ってことは、あんたも死んでるんか?」


「……今日は空が青いですね」


「いきなりなんやねん。真っ暗やろ。今何時やと思てんねん」


 スーツの男は笑顔のまま空を見上げる。

 男もそれにつられて空を見上げるが、深夜の空は青色の要素はかけらもなく、ただ真っ暗な闇が広がっているだけだった。


「空なんて今どうでもええねん。それよりも俺が過労死じゃないってどういうことやねん」


 そもそもなぜ目の前の男が自分の死因を知っているのか。それ自体も疑問ではあるが、音も気配もなくすぐ背後まで近づいてくる得体の知れない存在だに対して、そんなことを気にしていても仕方がない。


「覚えていませんか? 死の直前の出来事を」


「えらいもったいぶるな。……ああ、何となく思い出してきた。そうか俺は彼女に刺されたんか……」


「違います」


「ああ? 違わんやろ。完全に思い出したわ。仕事帰りにくったくたで疲れて家に帰ったら、玄関で待ち構えてた同棲してた彼女に刺されたんや。それでぽっくりやろ」


「惜しいですね」


「惜しい?」


「死因は刺殺による出血死ではありません」


「ほな、なんやねん」


「ショック死です」


「……は?」


「聞こえませんでしたか? ショック死ですよ」


「ショック死てお前……」


 考えもしなかった死因に思わず絶句してしまう。


「でも俺は確かに刺されて……」


「あれはおもちゃです」


 いつの間にか目の前に立っていたスーツの男はポケットからナイフを取り出すと、笑顔のままそのナイフの刃先を自分の手に向かって突き刺した。


「お前何してんねん! あれ?」


 一瞬慌てた男だったが、目の前の男の手をナイフが貫かれることはなかった。


 男は何度もナイフをその手に突き刺しているが、その手に傷がつくことは一切なくシャカシャカと音を立てて、ナイフは柄の中に納まっていた。


「こういうことです」


「なんやねんそれ……」


 男は一気に脱力してしまい、その場に座り込んでしまう。


「俺の心臓はおもちゃのナイフで刺されただけで止まるくらいやわやったんか……」


「確かにあなたの直接的な死因はショック死ですが、副因的な要素はたくさんありますよ。連日18時間労働で肉体的にも精神的にも限界が来ていた。そんなときに心の支えであった彼女にいきなり理由もわからず、刺されてしまった。唯一の心の支えであった彼女にそんなことをされてあなたは心の支えを失った。そのショックで結果的にあなたの心臓は止まってしまったのです」


「……そうか」


「理解していただけましたか?」


「なんとなくな。まあでも、彼女に嫌われてたわけじゃないっていうなら満足やわ」


 今までずっとしかめ面をしていた男は緊張が解けたかのようにふっと笑みをこぼす。


「本当に?」


 対してこれまでずっと笑顔だったスーツの男は、突然目を細めて男の目をまっすぐに見つめる。


 そんな男の冷たい視線を受けて、笑顔になっていた男も冷や汗を流しつばを飲み込む。


「なんやねん、急に怖い顔して……」


「本当にあなたはそれだけで笑って成仏できますか?」


「……ま、まあ強いていうなら最後にもう一回くらい彼女に会って話したかったけどな」


 死人が生者に会うことはできない。

 それくらいは男も理解していた。

 だからそれは叶わぬ願いだということは分かっていた。


「ああ、それなら……」


 スーツの男は再び顔に貼り付けたような笑みへと戻り、男の背後を指さす。

 それにつられるように男は、指さされた方角へと体を向ける。


 視線の先では弱弱しく夜の闇に呑まれてしまいそうな光を放っている何かが浮かんでいた。

 それは男が現れる前に発していた光とまったく同じだった。

 そしてその光はだんだんと人の形を為していく。


「おいおい、まさか……」


 すべてが明らかにならなくてもわかる。なぜなら毎日毎日愛おしいと思いながら、見つめていた姿だったから。

 その場から光が消え、代わりに一人の女性が現れる。


「真由美!? 何してんねん!」


「え、うそ……圭吾? 本当に圭吾なの?」


 自分の姿が見えている。自分の声が彼女に届いている。

 それはあってはならないことだ。

 なぜなら死者の声は生者に届かないはずだから。


 それが今会話ができている、目が合っているということは……。


 男はそこまで思考を広げて背後に立っているスーツの男へと視線を向ける。


「お前がなんかしたんか?」


「いえいえ、まさか。私が表の世界に干渉できることなんて何もありませんよ」


「じゃあなんで……」


 混乱する男の元に女が飛び込んでくる。


「ごめんね。ごめんね。私ドッキリのつもりで……軽い気持ちでやっただけなの……。それなのにまさか死んじゃうなんて……」


 涙声で男にしがみつきながら釈明をする女。


「どうなってるんや……」


「そうですねえ、いうなればショックショック死でしょうか」


「ショックショック死?」


「ショック死したあなたを見て、彼女もショック死してしまった。簡単に言うとそんなところです」


「そんなあほな……」


「事実は小説より奇なりとはまさにこのこと。まあ似た者同士お似合いということでいいんじゃないでしょうか」


「死因が一緒で似た者同士って。そんなん喜べるか! 死んでもうてるしな!」


「圭吾、この人は?」


「いや、俺もよう知らへんねん。気づいたらここにおって、こいつも一緒におった。みたいな感じや。俺らの死因を知っとるし、どういう生活しとったかもしっとるみたいけど、いったい何者やねん」


「……今日は空が青いですね」


「だから真っ暗や言うてるやろ。それおもろいと思って言ってんのか? そうやとしたらセンスないで」


 男がそういい放った瞬間、笑顔で空を見上げていた男の表情が驚きへと変わりそしてそのまま、膝をついてうなだれてしまった。


「そんなショック受けるか? そんな自信作やったんかいな。それはすまんかったな」


「いえいえ、お優しい指摘として受け止めます。それで本当に私の渾身のギャグはその……」


「ああそれははっきり言うとくわ。つまらんで」


「ぐっ!!」


「……ふふ」


 男のやり取りを見ていた女が彼の腕に抱きついたまま、笑っていた。


「どないしたんや」


「だって二人で漫才してるみたいだもん。なんかおかしくって」


「そうか?」


「それにこんなに元気な圭吾を見たのも初めてだったから。死んだ後の方が元気っておかしいけどね」


 女は笑い、男はそんな彼女の様子を見ながら照れくさそうに頭をかいていた。


「しかし言うてみるもんやな。まさか願いが叶うとは思わんかった」


「願い?」


「成仏する前に真由美と話せたらええなと思ってたんや。まさか真由美まで死んでまうとは思わんかったけどな」


「圭吾は……圭吾は私を恨んでないの?」


「なんで恨まなあかんねん」


「だって私のせいで……」


「俺が死んだんは真由美のせいやない。俺の心臓がちょっとばかし弱かっただけや。だから誰のせいでも恨むわけないやろ」


 男が笑いながら彼女に語り掛けながらも、女の表情は暗いままだった。


「ええか真由美。俺は死んでもなおお前のことを愛しとる。だから今こうして一緒にいることを喜ぶことはあれど、恨むことは絶対あらへん」


 男の強く言い切った言葉に彼女はようやく表情を明るくし、満面の笑みを浮かべる。

 そして同時に女と男の身体が淡く光り始めた。


 その光は二人が現れていた時の光の何倍も強く、夜の闇を照らしていた。

 この世との別れの時間が差し迫っていることは、直感的に二人とも察していた。


「誰か知らんけどありがとな。あんたのおかげで笑って成仏できそうやわ」


「いいえ、私は何も。偶然が重なりその結果あなたが笑顔になれただけですから」


 胡散臭いと感じていた笑みも今見直すと優しく感じるような気もする。


「いや、それはないな。あんたの笑顔はやっぱり胡散臭いわ」


「はは、なかなかに手厳しい」


 二人を包む光はどんどんと増していき、次第に人の形ですらなくなっていく。


「ほなな」


「ええ、良き死の旅を」


 男が貼り付けたような笑みではなく自然な笑みを二人へと向ける。


 その直後光輝いていた明かりが一瞬で消え、辺り一帯が再び夜の闇に包まれた。




「さてさて次はどなたを笑顔にしましょうか」


 お笑い死人。

 生涯をお笑いに捧げ、死してなお人を笑わせることに己の魂すらかける男。


 少しでも笑顔で成仏してほしいから。


その為なら生者を死者にすることも厭わない。


 男は死人すらも笑わせようと夜の闇を駆け回る。

 その顔に胡散臭い笑みを貼り付けて。

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お笑い死人 葵 悠静 @goryu36

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