ねえ、笑ってよ

高村 樹

ねえ、笑ってよ

黒いマッシュルームカットに、カラフルな縁の眼鏡。小太りでサイズの合わない服装。

年がら年中、ネタ帳にネタを書き溜め、楽屋でも後輩やスタッフを笑かそうとする。

気遣いもできて、先輩ウケもいい。

元相方の磯村は生粋のお笑い芸人だった。


新人の頃は、磯村の作った渾身のネタを二人で面白がりながら、深夜まで練習した。

舞台で滑ろうが、ウケようが、漫才に対する情熱は強くなる一方だった。


磯村は俺とは違い、本当に笑いの天才だった。

漫才をするために生まれてきたような男だった。


コンビが売れて軌道に乗って来ると、俺の仕事はMC中心になった。

子供が小学校に上がる頃で、父親がコメディアンでは子供がいじめられるのではないかという妻の心配もあって、漫才や体を張ったバラエティ番組は回避していたのだ。

MCは俺に向いていたらしく、磯村と二人でする仕事がなくなり、ピンの仕事が増えた。

ネタ合わせや練習をすることもほとんど無くなった。


「お前、このままだとアカンぞ」


磯村は漫才やらないお笑い芸人に何の価値があるのかと俺を責めるようになり、俺は磯村を避けるようになった。

二人でする仕事をすべて断り、ピンの仕事だけするようになった。


「お前、ほんとに今の仕事楽しいんか。お前ちっとも笑わなくなったぞ。自分、気付いてるか」


不仲説が当然のように週刊誌に出るようになっても、磯村はしつこく俺を誘い続けた。


うんざりだった。


俺はもう人様から指をさされて笑われる芸人に戻りたくなかった。


MC一本でのし上がりたい決意をマネージャーを通して磯村に伝え、お笑いコンビ「いそべえもち」は解散した。

会えば、必ず引き留めようとするのは目に見えていたので、磯村とは電話すらせずに、一方的に解散した。


解散から二年、俺は磯村を避け続けた。

テレビ局で見かけても、気付かれないように遠ざかったり、同じ時間帯の収録を入れないようにマネージャーに徹底させた。共演も当然NGをだした。


磯村は漫才以外の仕事をやりたくないらしく、次第に露出は減っていった。


磯村の存在が脳裏から消えかけてきたある日の夜。

収録が終わって、番組の皆で打ち上げすることになった。

俺は少し飲み過ぎたので、タクシーで帰ることにした。


マネージャーにタクシーを呼ばせ、自分だけタクシーに乗り込んだ。


「お客さん、どちらまで」


かなり年配のドライバーだった。薄くなり地肌が見えそうな白髪の上にタク帽が乗っている。


俺はマンションの住所をドライバーに告げ、目を閉じた。

瞼が重たく感じ、ソファに深く寄りかかる。

完全に飲み過ぎだった。

睡魔が襲ってきて、俺は自分の頭の重さを支えることができなくなっていた。


どうやら俺は寝てしまっていたらしい。

タクシーはまだ走り続けていて、家にはまだついていないようだ。


それにしても遅い。まだ家に着かないのか。

タクシーの窓から景色を覗くと、見たことのない風景だった。


「おい、運ちゃん。どこ走っとるんか」


頭にきて、タクシーの運転手に文句を言う。


ここで奇妙なことに気が付いたタクシーの運転手の後頭部が黒いマッシュルームカットになっていたのだ。


「お前、磯村。なんで?」


年配のタクシー運転手はいつの間にか、タクシー運転手の格好をした磯村に代わっていたのだ。これは一体、何のコントだ。夢を見ているのか。


「北原、もっと笑えよ。笑ってくれよ」


磯村は、歯並びの悪い口中を見せつけるようにして顔を近づけてきた。

ヤニで黄ばんだ歯が妙にリアルだった。


「おい、前を見ろ。馬鹿野郎、運転中だろ!」


俺は必死になって磯村の顔を正面に向けようと顔を掴み、力を入れる。

磯村の顔が、キノコか何かの様な手ごたえのなさで引きちぎれた。


その瞬間、強い衝撃と衝突音で目が覚めた。

俺は夢を見ていたのだ。


「お客さん、すいません。年のせいか居眠り運転してました。お客さんの叫び声が無かったら大変なことになってました」


年配のドライバーは額を切ったらしく、流血していた。


タクシーのフロントガラスは割れ、エアバッグが出ていた。


幸いドアの開閉は故障していなかったようで、タクシーの運転手にドアを開けさせ、やっとのことで車外に出た。


俺は愕然とした。

タクシーは電信柱に衝突したらしく、柱は折れ、車体の左前と右後方部分が大きくひしゃげていた。

反対車線の車もブロック塀に擦り傷を残しており、どうやら正面衝突寸前だったようだ。


茫然としている俺を現実に引き戻したのは、たらこマヨネーズのCMソングで登録していた着信音だった。


誰からの着信か見ると、マネージャーだった。


「北原さん、大変です。磯村さんが首つって自殺したって、今、警察から」


俺はその先の会話を覚えていない。

何も脳の中に入ってこなかった。


磯村が、なんで。


全身から力が抜けていくのを感じ、生温いアスファルトにへたり込んでしまった。


「なんて日だ」

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