第2話 小説家になりたい

 ―――7月上旬


 誰もいない放課後の教室、一人残っていた純はスマホの画面とにらめっこしていた。


 (来い、来い、来い、来い……)


 指先を動かすのと同時に胸の鼓動が早くなっていく中、スマホの画面をゆっくりとスクロールしていく。何度も経験していることだが未だに慣れることはない。


(はぁ~、ダメだったか……)


 今回応募していたものはとても自信があったものだ。だからこそ、落選と分かった時の落ち込み具合と言ったら言葉にできないものだ。急に体から力が抜けて机にもたれかかり、そのまま眠ってしまった。


 つい先日、期末試験が行われた。純は今回も首位を防衛するために徹夜で勉強をしていた。高校生になってから純は誰にも首位を譲ることはなかった。どうしても首位を取らなければならない理由が純にはあった。


 この高校では定期考査が5回行われるため、学年で1位を取るたびに年間の学費の5分の1が返金される。つまり、1年間首位を維持すれば学費は実質無償というわけだ。


 純は母親を亡くしているため、父親に負担をかけないように勉学に励んでいた。首位を取ることは簡単なことではないため、試験後にはいつも疲れが溜まっていた。その疲れもあったせいか純は少しの間眠っていた。


 純が眠ってから10分程度経った頃、教室のドアがガラガラと開く。そして、教室に入ってきた人物は寝ている純の後ろから「先輩?」と声を掛けた。


 幼さを感じさせるその声と、肩をトントンとつつかれたことで純は目を覚ました。若干寝ぼけた様子で目を擦りながら振り返ると、誰もいなかったはずの教室に、短い茶色髪の女の子が純の後ろに立っていた。


「……柳井さん?」

「そうですけど、どうかしましたか?」


 彼女の名前は柳井夢花やないゆめは。純の一つ下の後輩であると同時に読書友達でもある。普段から図書室で一緒に本を読んだり、時々、ライトノベルや漫画が原作の映画を見に行ったりしているぐらい仲が良い女の子だ。


「今日何か約束してたっけ?」


 純が寝ていた教室は2年D組。1年生の夢花が2年生の教室に訪ねてくることはめったにない。待ち合わせをするにしても校門の前か図書室だけであった。だから、こうして純の教室に現れるのは初めてのことだった。


「いえ、来月のシフトについて少し相談したいことがありまして」


 どうやら約束をすっぽかしたというわけではないらしい。


「あ~そういうことだったのね」


 純がアルバイトをしているのは学校から歩いて10分程度で着く柳井書店というところ。そこは夢花の家であり、店長は夢花の父親だ。夢花は父親の手伝いという形で純たちと一緒にその書店で働いている。


 夢花と親しい純は店長からではなく、今回のようにアルバイトのシフトなどは夢花から伝えられることが多い。ほとんど毎日会っている間柄なので、店長がわざわざ電話することなく、夢花から伝えられるからだ。


「私、来月から少しお仕事の手伝いができる時間が少なくなるので、先輩たちに多めに入ってもらえるかどうかを相談したくて」

「来月は夏休みに入ってるし、することなんていったら小説書くぐらいだから、全然大丈夫だよ」

「本当ですか、ありがとうございます」


 柳井書店は常に人手不足。なぜなら、従業員は、夢花と純、それと純の3つ年上の紗弥加さやかの3人だけだからである。だから今回のように3人のうち誰かが忙しくなると残りの2人に負担が増える。


 夢花の母である美枝みえも手伝いに来てくれることもあるのだが、基本的には月々売上計算などの経理をしていることが多いため、表の方の仕事をすることはほとんどない。


 こうなるぐらいなら、もっとアルバイトを雇えば良いのでは? と一度店長に純は相談したことがあったのだが、夢花の父親である和彦かずひこは自分が気に入った人しか雇おうとしない。さらに言えば、最近ではアルバイトの募集すら行っていない。


 人手不足であるのに募集をかけない。その理由は、決して財政がきつくアルバイトを新たに雇えないといったものではなく、ただ単に店長が娘を溺愛していることが原因だった。


 娘に男を寄せ付けたくない。それが店長が募集を掛けない最大の要因だった。1年前ぐらい前までは普通にアルバイト募集をしていた。ところが、その募集でやってきたのは全員男性だったらしく、その際1人を除いて他全員を不採用にしたらしい。


 『そうするぐらいなら初めから女性だけを募集しちゃえばいいんじゃないですか?』と一度純が店長に聞いてみたところ、『そうすると今の世の中、男女差別だ~ってすぐ批判されちゃうから嫌なんだよね』と軽い感じで言われたのを覚えている。


 そんなこんながあって、今ではアルバイトを募集しないという選択をとった少し変わった人だ。純がこの書店に応募したのは1年前、つまり、多くの男性が落とされた中、1人採用されたのが純だったというわけだ。


 当然、純自身も何故自分だけが採用されたのかは今でもよく分かってはいない。和彦に聞いてみても「君なら良いかなって思ったからだよ」と詳しいことを話してはくれなかった。美枝に聞いてもニコニコ笑うだけで教えてもらえなかった。


 ただ、夢花の両親も優しく接してくれているので居心地は悪くないものだった。夢花とも良好な関係を築けているのでこの書店での仕事は気に入っていた。


 (それに紗弥加さんとも……)


 先日の出来事を思い出し、純は横に首を大きく振った。


「それより先輩はどうして1人で教室に残ってたのですか?」


 純の行動パターンはいつも同じである。授業が終わると、バイトに行くか、図書室に行くかのどちらか。家には帰ろうとはせず、そのどちらかの場所で時間をつぶしている。


「一人で落ち着いて見たかったんだよね」


 先ほどまで純がスマホの画面で見ていたものを夢花に見せた。


「やっぱり、そう簡単なことではないんですね、小説家を目指すっていうのは……」


 純がスマホで見ていたのは、ライトノベル新人賞のHPホームページ。今日はその一次審査の結果が出る日。応募者は700人ほどで一次審査を通過した人は名前と作品名が掲載される。しかし、いくら探しても純の名前はどこにも見つかることはなかった。


「分かっていたことだけど、僕には小説の才能はないみたい……」


 応募し続けて現在10連敗中。この1年間、様々な新人賞に作品を送り続けた純だったが、どの作品も一次審査を通過することはなかった。


「でも、諦めないんですよね、先輩は」

「もちろん、何年かかってでも掴み取るよ」


 夢花は純がそう答えるだろうと分かっていたかのようにフフッと笑った。


「じゃあ、先輩。もらってもよろしいでしょうか?」

「何度も言うけど一次すら落ちてる作品だよ」

「構いません。ただ私が読みたいだけなんですから」


 夢花は毎回、純が書いた作品を読むために小説のデータをもらっている。


(いくら本好きとはいえ、一次落ちの作品を読みたいものなんだろうか?)


「だって先輩がこれを応募したのは自信があると思ったからなんですよね?」

「もちろん、じゃなきゃ送らないよ」


 いくら時間がなくとも中途半端な出来なもの、純自身が納得できない作品は送ることはしなかった。しっかり納得した上で送らなければ入賞なんてできるはずがないと思っていたからだ。


「なら私はそれで満足ですから」


 そういうことならと、夢花の言葉に納得した純はデータを夢花のスマホに送った。


「届きました。ありがとうございます」


 本のことなると夢花は笑顔になることが多い。その笑顔が純は好きであり、何度その顔の見たさにオススメの本を紹介したかは数えきれない。


(こんなことバレたら柳井さんのお父さんはもちろん、紗弥加さんにも怒られそうだ。)


 誤解がないように言っておくが、純は夢花を異性として好きだとは思ったことはない。あくまでも友達として好きという感情しか持ってはいない。ただ、夢花も女の子ではあるので、時々見惚れてしまうことがないわけではない。


 邪念を振り払うように、純は勢いよく席を立った。


「先輩帰るんですか?」

「うん、そろそろ帰らないと帰ってきちゃいそうだし」

「まだお父さんに話してないんですか?」

「うん」


 純は小説家になりたいことを父親には言っていない。というのも勤勉な父親にバレれば絶対に何か言ってくるのが目に見えているからだった。


 純が小説家を目指していることを知っている人は4人だけであり、夢花もそのうちの1人。それ以外の人には未だに隠し続けている。


「前回の評価シートがそろそろ返ってきそうだから、今日はもう帰るね」

「はい、先輩また明日」


 夢花と別れ父親が帰ってくる前に自宅に向かった。

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