第22話
☆☆☆
大西さんとキスをした人間はみんな虫を大切にするようになっている。
ただ虫が好きとか、そんなレベルじゃない。
人間と虫は同等であり、虫を殺せば殺人罪と同じだけの罪があると考えているのだ。
あたしは唖然としながら先生の話を聞いていた。
「虫の中にも悪いヤツはいる。でも、だからって殺してはいけない。それは虫の世界に人間が無理矢理入り込んで、生態系を壊すのと同じことだ」
教卓の前に立ち、熱心に話す先生。
今まで先生が虫について話をしたことなんてなかったし、虫好きだと聞いたこともなかった。
大半の生徒たちが先生の話を怪訝そうに聞く中、熱心に耳を傾けている生ともいた。
大西さんと、男子生徒2人だ。
3人だけは先生の話に頷き、わからないところがあれば手をあげて質問をする。
そのためか、他の生徒たちもなんとなく先生の話を止める事ができないままでいた。
先生の虫の話は止まることを知らず、気が付けばチャイムが鳴って休憩時間になっていた。
それでも話が止まらなくて、さすがにひとりの女子生徒が手を上げていた。
「あの先生。もう時間が過ぎています」
教卓の後ろの時計を指さして言う。
しかし、先生はその女子生徒を睨み付けたのだ。
「休憩がなんだって? 今大事な話をしてるんだ!」
バンッ! と両手で教卓を叩いて目を吊り上げて怒る。
その権幕に教室のあちこちから小さな悲鳴が上がった。
「お前ら人間には虫の人生がわからないんだろう!」
その発言はまるで自分が虫であるかのような言い回しだった。
「先生。今日はここまでにしておきませんか?」
鈴の音がそう言った。
振り向くと大西さんがぷっくりとした桃色の唇を上げて先生に微笑みかけている。
「あぁ……そうか? 大西がそう言うなら、今日はここまでにしておこうか」
そう言いながらも先生はまだ話足りなさそうな顔をしている。
「とにかく虫を大切にして、殺さないように!」
今朝蜂に殺虫スプレーをかけようとしていた先生はそう言い、大股で教室を出て行ったのだった。
☆☆☆
その後は放課後まで教室内は異様な雰囲気に包まれていた。
急変した先生のことも気になったし、凶行に及んだ男子生徒たちが教室に戻ってきたことで妙な緊張感があったのだ。
「やっと終わったね」
どうにか一日を終えてホッとしていたところにヒナが声をかけてきた。
「そうだね……」
今日一日で色々なことがあって、どっと疲れが押し寄せてきた。
それでも問題はひとつも解決していない。
先生は大西さんにキスされていたし、その時に麻薬を入れられていたとしたら、先生まで大西さんの言いなりになっていることになる。
いや、実際にその可能性が高いのだ。
このままだとA組は崩壊してしまうかもしれない。
そうなる前に、大山君の尿検査の結果が出ればいいけれど……。
もし薬物だと判明すれば、クラス全員を検査してもらうことができるかもしれない。
大西さんがなにを考えているのかわからないけれど、これ以上被害者を増やす事は食い止めることができるのだ。
道の途中でヒナと別れ、あたしはまた柊真と2人で帰路を歩いていた。
こうして肩を並べて歩けることが幸せなはずなのに、今のあたしの心は重たく沈んでいた。
「大山君、大丈夫かな……」
つい、そんな不安が口をついて出て来てしまう。
「わからないな。あの様子じゃ元に戻るまで時間がかかりそうだ」
「そうだよね……」
暗い気分になったとき、前方を歩く制服姿の女子生徒を見つけた。
それは大西さんに声をかけていた3人組の、奏という子だとすぐにわかった。
「あの子なにしてるんだろう?」
奏は横断歩道の前に立ち、青信号になるのを待っている。
だけどその体は前のめりになっていて地面にある何かを凝視しているのだ。
疑問に感じていると、すぐに追いついて隣に立つ事になった。
ギャルとの接点なんてほとんどないけれど、気になって奏の視線の先を追い掛けた。
そこにあったのは白線の上を渡る蟻の行列だった。
きっと、誰かが車から食べ終えたお菓子の袋を投げ捨てたのだろう。
チョコレートと書かれた袋へ向けて歩いて行くのがわかった。
「あんなところにゴミを捨てるなんて、嫌だね」
なんとなく、奏へ向けて声をかけていた。
ここで立ちどまってなにも話さないのも悪いかと思ったのだ。
奏は一瞬こちらへ視線を向け、無言で再び蟻の行列を凝視し始めた。
なんだろう、感じ悪いな……。
そう思った時だった。
一台のトラックが走って来た。
「そんなに身を乗り出してたら危ないよ?」
今にも歩道に出てしまいそうな奏に声をかける。
奏が一瞬トラックへ視線を向けた……次の瞬間だった。
奏は一歩前で踏み出し、蟻の行列へ向けて走ったのだ。
「え!?」
咄嗟のことで手を伸ばすことができなかった。
「危ない!」
柊真が叫ぶ。
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