第20話

そして甘ったるい匂いはそこから漂ってきているのだ。



「蟻の観察をしてるのかな……」



ヒナが異様なものを見る目で水槽を見つめ、そう呟いた。



「確か、蟻を観察するキットも売ってるよね。でもこれはちょっと……」



あたしはそこまで言って口を閉じた。



階段を上がって来る足音が聞こえてきたのだ。



「お待たせ。あれ、適当に座ってくれればいいのに」



お盆にお茶の入ったコップを乗せて大山君が部屋に入って来た。



部屋の中央にある小さなテーブルの上に3人分のお茶を置くと、自分は水槽の前に胡坐をかいて座った。



そしてせわしなく動き回っている蟻をいとおしそうに見つめる。



あたしたちはそろそろとその場に腰を下ろし、大山君の様子を伺った。



「お前、そんなに蟻が好きだったのか?」



柊真の質問に、大山君は笑顔を向けた。



「もちろん、大好きだよ!」



「でも、そんな話聞いたことがないぞ?」



「好きになったのは結構最近だよ。大西さんが転校して来てからだ」



大西さんの名前が出たことに驚き、あたしは半分腰を浮かせてしまった。



「大西さんがキッカケになったの?」



「そうだよ。彼女が虫の素晴らしさを教えてくれたんだ!」



大山君は目を輝かせて答える。



「それでも、クラスメートに暴力を振るってまで守るのは違うと思うけど……」



ヒナの言葉に大山君が鋭い視線を向けた。



ヒナはひるみ大山君から視線を逸らせた。



「人間は簡単に虫を殺す。それなのに、クラスメートが気絶した程度で騒ぎ立てるなんて、どうかしてる」



「そんな……」



ヒナは大山君の説明にどう返事をしていいかわからないようだ。



人間と虫は違う。



そんな単純なことが大山君の中では崩壊してしまっているようだ。



「話を変えようか。お前はまだ大西さんと付き合ってるのか?」



柊真からの質問に大山君は瞳を輝かせた。



「付き合う? そんな単純な話じゃないんだ、僕たちの関係は」



「どういう意味だよ?」



「彼女は女王様だ。誰のものでもなくて、誰のものでもある」



『女王様』その言葉には聞き覚えがあった。



あの男子たちが入っていた言葉だ。



「女王様の言う事は絶対なんだ」



大山君は目を輝かせて言葉を続けた。



「絶対って……それじゃ大西さんの奴隷みたいじゃん」



ヒナの言葉に大山君は大きく頷く。



「その考え方は間違えていないと思うよ? だけど僕らは喜んで命令を聞いているだけだ」



「命令って、例えば?」



あたしは顔をしかめて聞いた。



「『虫を大切に』それ以外のことは何も言われていないよ」



「虫を大切に……?」



あたしは首を傾げて聞き返した。



ここまで従順な男子生徒がいるのに、そんな妙な命令をすることは異様だった。



「そうだよ。僕もその通りだと思う」



「でも、それでクラスメートを暴行して謹慎処分になったんだよ? おかしいと思わないの?」



「おかしいって、なにが?」



大山君は首を傾げて聞いてくる。



ダメだ。



本当に自分のやっていることが異常なのだと気が付いていないみたいだ。



これは本当に薬物が関係しているのかもしれない。



「なぁ、少し俺たちに付き合ってくれないか?」



柊真が耐え切れなくなったようにそう言った。



「え?」



「少しでいい。お前が今どんな状態なのか知りたいんだ……」

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