第9話

そう思いながら体育館の隣のグラウンドへ視線を向ける。



途端に「なにしてんだよ!」という怒号が聞こえて来た。



男子生徒の1人がグラウンドの真ん中にしゃがみ込んでいるが、そこにいられるとサッカーができないので怒っているようだ。



もっとしっかり確認してみると、しゃがみ込んでいるのは大山君だということがわかった。



「なにしてんのあれ」



あたしは瞬きをしていう。



「あそこに蟻の行列がいるんだって。踏まれるから守ってるみたい」



女子の1人がそう教えてくれた。



あたしとヒナは目を見交わし、そして眉間にシワを寄せた。



蟻の行列を守っている……?



大山君のその思考は全く理解できなくて、困惑するばかりだ。



ただ、当の大山君は本気のようで、一歩もその場から動こうとしない。



「これじゃ授業も始められないだろ!」



大山君の奇行に腹が立ったのか男子の一人が隣ながら近づいて行く。



しかし、大山君はどけようとしない。



「どけろよ!!」



男子生徒は怒鳴りつけ、大山君の体を両手で押した。



しかし、大山君はビクともしない。



まるでその場に接着剤で張り付いているかのように動かない。



「サッカーできないだろ!」



男子生徒はまた怒鳴り、今度はしゃがみ込んでいる大山君の横腹に蹴りを入れた。



大山君は一瞬うめき声を上げるが、そこからどける気はなさそうだ。



「なにあれ。あそこまでだとちょっと気味が悪いんだけど」



ヒナがそっと耳打ちをしていたので、あたしは頷いた。



確かに、大山君の行動は異常だ。



クラスメートを怒らせ、蹴られてもまだ蟻の行列を守ろうとしている。



「いい加減にしろよ!」



男子生徒はついに怒りだし、右足を地面に叩きつけた。



そこはおそらく、蟻の行列がいる場所だ。



「なにすんだよ!」



途端に大山君が悲鳴のような叫び声を上げる。



その声に反応して大西さんがこちらへ顔を向けるのがわかった。



男子生徒は叩きつけた足をグリグリと動かして下にいる蟻を踏みつぶす。



それを見ている大山君の顔色はどんどん青く変化していった。



「やめろ!!」



怒鳴り、勢いよく立ち上がったかと思うと男子生徒の体を突き飛ばす。



男子生徒はよろけてその場に尻餅をついてしまった。



大山君は倒れ込んだ男子生徒に馬乗りになり、その頬を思いっきり殴りつけたのだ。



「キャア!」



その光景をまともに見てしまった女子生徒数人から悲鳴が上がった。



気が付けば大西さんがあたしのすぐ横に立ってグラウンドの光景を見つめている。



「誰か、止めて!」



大山君は人が変わったように何度も何度も繰り返し男子生徒の頬を殴りつけていて、その顔からは鼻血が噴き出していた。



大山君は目を血走らせ口の端からヨダレを垂らしている。



今の状況は全く理解できていなさそうなその顔に、背筋がゾッと寒くなった。



「止めないと……!」



あたしは咄嗟にそう呟き、体育館シューズのまま駆け出していた。



「大山君、もうやめて!」



叫び声を上げて近づき、大山君の背中にしがみ付いた。



それを見た男子生徒たちがようやく我に返って駆けつけてきた。



大山君が暴行した生徒は、すでに意識を失っていたのだった……。


☆☆☆


その日の体育の授業は男女共に中止となってしまった。



意識を失った生徒がいるため救急車が呼ばれ、大山君は職員室に呼ばれたまま戻ってこない。



とても静かで、重苦しい空気が漂う教室内での自習となってしまった。



あたしは後ろから聞こえて来るペンを走らせる音に耳を寄せる。



大西さんは今何を考えているんだろう?



自分の彼氏が傷害罪で捕まってしまうかもしれないのに、教室まで戻って来る間も無表情を貫いていた。



苦しく、張りつめた空気をまとった自習時間から、チャイムと同時に解放されてあたしは大きく息を吐きだした。



普段ならすぐに大西さんに近づいてくる女子生徒たちだけれど、今はさすがに遠慮しているようで誰も近づいてこない。



あたしは胸ポケットから手鏡を取り出して後ろの様子を確認した。



大西さんは文庫本を取り出して静かに読み始めた。



さっきの出来事で少しは動揺しているのかと思ったが、そんな素振りは見せていない。



やっぱり変わった子だ……。



そう思った時、鏡越しに彼女が読んでいる文庫のタイトルが見えた。



《女王蟻の過ごし方》



なにあの本……。



偶然だろうか?



今日は蟻についてよく目にする日だった。

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