♯3:イト的なモノ。


     †


 㐂嵜さんと僕は同じ大学の三年と一年だけど、その日まで面識はなかった。


「——最初に、トモダチから〝糸〟が出てるのに気がついたのは、一ヶ月くらい前で、」


 㐂嵜さんが不可思議なレファレンスを頼ることになった理由ワケを——相談の詳細を話してくれている。


 不可思議なレファレンスの相談依頼をされたときに一度、概要は聞いていた。

 その内容のあらましもヒバナにメッセージで送ってあった。


 ならどうして、もう一度話してもらうのか?


 すでに話した内容をもう一度すことで、伝えきれなかった細かい部分や忘れている部分を思い出してもらおうという意図だ。


 やはり二度目なので、最初はとっ散らかっていた内容も二度目ではだいぶ整理されていた。

 聞き手が僕からヒバナに代わるだけでも、視点が変わってあたらしい気づきもあるかと思う。

 それに僕よりもヒバナのほうが『不可思議』な事象や現象に明るい。


 なので僕はというと、

 本日のおすすめコーヒーを淹れながら、㐂嵜さんの話に耳をかたむけている。


 ヒバナは、初対面さっきみたいにジョークやボケをカマすことなく、いまのところちゃんと話を聞いている。


 㐂嵜さんからは不安や緊張感が伝わってくる。

 落ち着きなく、アッシュ系に染められたウルフカットの襟足をしききりに手で指でいじったり。

 左腕の腕時計チープカシオに何度も目を落としたり、ベルトを留める穴を変えたりしている。


 たぶん、さっきヒバナはこの緊張をほぐそうとボケ倒したんだろうけど、むしろヘンな緊張感が逆に生まれた気がする……。


 㐂嵜さんが、ヒバナがくる前に注文したアイスコーヒーはもう飲み終わってグラスが空になっていた。


 だから、


「おかわりいかがですか? カフェオレとかおすすめです」


 二杯目はあったかくてあまい飲み物がいいのではと、提案してみた。


「じゃあ、ホットのカフェオレ、お願いします」


 すぐに㐂嵜さんからオーダーが返ってきた。


 店内のエアコンは涼しいが寒くはない。

 平均的な温度設定。

 しかし不安も緊張も重なってか、㐂嵜さんは肩をかすかに震わせていた。

 半袖だがオーバーサイズのセットアップが肌寒そうに見えた。


 それでも話が途切れることはなかった。


「ふんふん」


「はいはい」


「それでそれで」


 とかヒバナが㐂嵜さんの間に合わせ、かつテンポよくあいづちを打っている。

 よどみなく話が流れていく。


 そして、できあがったカフェオレをカップに注いでいたところ。

 㐂嵜さんが思い出したように、ある〝都市伝説〟の話をはじめた。


「子供のころ『耳から伸びる白い糸の話』ってあったでしょ——?」


「白い糸の話、なんだっけ?」


 あいまいな僕に、


「ああ。耳たぶから生えてた糸を引っぱったり、抜いたりすると失明するっていう——都市伝説なやつね」


 ヒバナが補足して教えてくれた。


 お恥ずかしい話なのだが、

 僕は不可思議なレファレンス担当をしてるくせに、都市伝説等の民間伝承的なはなしに詳しいワケじゃなかった。

 だがらこそ、ヒバナがここにいるんだけど。


「すみません、勉強不足で話の腰を折ってしまって」


 話のリズムを悪くしたこともふくめて謝罪する。


 すると、


「——す、すみません……!」


 なぜか㐂嵜さんも頭を下げてきた。

 しかし、僕に対してではない。


 理由はすぐに思いついた。


「白い糸を抜くと〝失明〟する」


 ヒバナがそんなふうに言った部分だ。


 白い糸の都市伝説を僕に教えてくれたのだが、ヒバナにその二文字を言わせてしまったと㐂嵜さんは考えたのだろう。

 不可抗力だが、配慮をかいていたと自分を恥じたに違いない。


 でも㐂嵜さんはまるで悪くない。

 というより誰も悪くない。

 しいて言うなら、無知な僕だろう。


 㐂嵜さんはもちろん、ヒバナにも申し訳ない気持ちになった。

 話の腰を折っておいて、相談の依頼者に気をつかわせて……。

 でも、ヒバナはそんなこと気にもとめないだろう。


「そんなの気にしないで」


 やっぱり、ヒバナは左右に首を振った。


「こんなの、むかーしむかし、子供にピアスをさせたり興味を持たないようにするためとか。どっかの誰かが作ったホラ話が都市伝説化しただけでしょ。だいたい、そんなので失明してたら世界中あたしみたいなのばっかりになっちゃうじゃん」


 そして、あっけらかんと軽い調子で言って笑った。


「じゃ、つづきつづき、」


 としかしそれでも㐂嵜さんと僕が沈んだ空気感を醸し出してるので、ヒバナがなかば強制的に話のつづきをはじめた。


「んで、その友人さんは自分の〝糸〟に気づいてるの?」


 ヒバナが質問する。


「あ、はいっ。た、たぶん藍那も、あ、トモダチも気づいてないと……」


 㐂嵜さんもうながされて、話に戻る。


「それが、あの、」


 話しにくそうに㐂嵜さんが言いよどんだ。


「いいよ、言ってみて」


 ヒバナは㐂嵜さんが何故、口ごもったのか予測できてるのか、安心して話をしていいと背中を押す。


「は、はい。はじめは、ただの服のほつれとか、髪の毛かと思って。取ってあげようかなって、なんとなしに手を伸ばして指で引っ張ったら、」


 そう話す㐂嵜さんの表情には、そのとき身体を駆けめぐった理解不能な不可思議な感覚がそのまま再現されていた。


「引っ張っても引っ張っても、引っ張れば引っ張るほど、〝糸〟がどんどん伸びていって……」


 その〝糸〟は、抜けることも切れることもなかったという。


「びっくりして思わず『アッ』て声が出ちゃって。トモダチが振り返ってわたしの顔をマジマジと見てた。『どうしたの?』ってなんにも気づいてなくて、ほかの誰も〝糸〟を見てなかった……わたしだけに、それが見えてた……。それが怖くって、それに、」


 自分にしか見えない友人の〝糸〟は、


「気がついたら、指から〝糸〟がなくなってて。消えてたんです。やっぱり服のほつれかなんかだったのかと、ホッとしたんだけど……違和感みたいなのがどうしてもあって、——その瞬間、頭に思い浮かんだの、」


「白い糸の都市伝説ね」


 ヒバナがつぶやく。


「そう、です。そうしたらどうしようもなく怖くなって。もしかしたら藍那に、トモダチになにかあるかもしれない……」


 㐂嵜さんがちいさくうなずき、声を振るわせた。


 都市伝説は耳からで、その友人は首のうしろから〝糸〟が出ていた。

 糸が出ている場所は違うが、㐂嵜さんにとっては抜いてはいけない〝糸〟かもしれない——友人に良くないことが起こるかもしれない——と連想をしたのだ。


 僕にはそのときの㐂嵜の恐怖は分からないが、想像や共感するくらいはできる。


 しかしいっぽうヒバナは、


「ねえ、〝糸〟は消えたの? それとも抜けたの?」


 そんなを質問した。

 べつの部分が気になったらしい。


「え? うん、抜けた……と思う。いえ、消えたのかも……?」


 㐂嵜さんは正確に思い出せなかった。


 分かる。

 だってそのとき㐂嵜さんはとても動揺していたはずなのだから。


「消えた? 抜けた? そこ、けっこー重要じゃない?」


 それでも念押しするようにヒバナは問う。

 あえて強調して惑わせているようにも、煽っているようにすら聞こえた。


 ——消えた。


 ——抜けた。


 僕にはどちらが重要なのか、それがどう重要なのかは分からなかった。


 が、ヒバナがそう言うのだから、きっとそうなんだろうとも思った。


 ヒバナは自分のことをよく、

「あたし空気読めないから。だって、ひとの顔なんて見えないんだもん」

 とか笑っている。


 でも自嘲ではないはずだ。

 だって、僕が知る限り、ヒバナはトップクラスに空気の読めるひとだった。


 声のトーンや言葉尻、そのひとの動く音などから感情を読み取り、機微を感じ取る。

 顔など見なくても分かる。

 敏感に過敏に、まさしく空気を読むのにたけているのだ。


 そのカノジョが、


 「で? どうなの? 消えた? 抜けた? どっちどっち?」


 㐂嵜さんにせっついているんだから、きっと——あえて、なんだろう。

 と思う。

 だぶん。

 そのはず……。


 執拗に訊ねられ、㐂嵜さんは眉間に皺を寄せながら「うーん」と低くうなっている。


 店内に流れる軽快なジャズBGMがおおきく聴こえるくらい沈黙がつづた。


「消えるように抜けたのかも」


 ようやく、㐂嵜さんがつぶやいた。

 出涸らしの檸檬をしぼるように。


「もしくは、抜けるように消えた。のかも」


 が、すぐに言い換えた。


 しかしそれこそどちらでもいいような。


 答えてるようで答えてない。


「へぇー、なるほどっ。おっけー、分かった!」


 としかしヒバナは納得したふうに手のひらを打った。


 曖昧な答えだったのに、いいの?


 そう思うけど。

 ヒバナにとっては『答え』はさほど重要ではなかったのかもだ。

 けど、カノジョの《意図あえて》はいまのところ僕には分からなかった。


 ただ、㐂嵜さんの心情はすこしは分かるつもりだ。

 こんな不可思議な話、他人にしてもバカにされるか、信じてもらえないか、気味悪がられる。

 友人にも言えずにいたのだ。


 僕としてできること言えば、


「どうぞ。熱いので気をつけてください」


 彼女の前にあったかいカフェオレを差し出すことくらいだった。


「ありがとうございます」


 そう言って㐂嵜さんは、カップに手をのばす。


「甘さ足りなかったら、遠慮なく砂糖ドバドバ入れてくださいね」


 カウンターに置かれた砂糖が入ったポットを指さす。


「大丈夫。十分あまくてとってもおいしい、です」


 㐂嵜さんはカフェオレをひと口して、すこしだけ微笑んでくれた。

 カフェオレの温度が㐂嵜さんを包みくれるといい。

 ミルクのあまさが身体に沁み渡って、いまだけすこしだけでも不安や戸惑いを軽くしてくれるといい。

 そう思った。


 㐂嵜さんは、カフェオレを飲んで、


「ほっ」


 と息を吐いた。


 カフェに訪ねてきたときよりもいくぶんかはスッキリとした表情になった気がする。


 もちろん、これで終わりではない。

 誰にも言えなかった悩みを吐露して「はいおしまい」ではない。

 ヒバナも僕もカウンセラーではないんだから。


 㐂嵜さんの話には、まだつづきがある。


 友人の首に〝糸〟を見つけ、触れて、それが消えて(抜けて)なくなってから、一週間ほどたった。


 その一週間、友人の平埜藍那さんと㐂嵜さんは、いつものように日々を過ごしたそうだ。

 だがしかし、


「もう、大丈夫。なにもなかった。そうやって安心したら、——二日前、また藍那から〝糸〟が出ているのを見つけちゃった……」


 そう。

〝糸〟が再び出現したのだ。


「もうどうしたいいか分からなくて……っ。でもわたしだけ、わたしだけにしか見えてないっぽくて誰にも相談できないし……。怖くて怖くて……そしたら——図書館なら、レファレンスってところなら《不可思議》なことにも答えてくれるかもしれない。そんなウワサを聞いたから、ここに」


「はいはい、なるほ。ウワサねウワサ」


 ふぅん、とヒバナが鼻を鳴らした。

 その噂とやらの出どころが何処なのか、検討はもうついているのだ。

 おなじく、僕にも心当たりがある。


 あのひとだろう。


 僕ら共通の知人に、困ってるひとを見つける能力がひいでた世話焼きでお節介好きな人物がいる。

 そのひとがくだんの噂の出どころに違いなかった。


 ヒバナと僕が同一人物の顔を頭に浮かべていると、


「——話を聞いてくれて、ありがとう」


 あらためて㐂嵜さんがぽつり吐露した。


「こんな話、誰にも話せなかったし。話しても信じてもらえるとも思えなくて……」


 カフェオレの湯気が㐂嵜さんの吐く息でゆらゆらと揺れる。


「いえ、話をするだけでもすごく勇気のいることだったと思います。こちらこそ話をしてくれてありがとうございます」


 僕は言った。

 気をつかったりなぐさめじゃなく、正直な気持ちを伝えたつもりだ。


 㐂嵜さんはわずかに微笑み返してくれた。

 しかしそれは苦笑いのようにも見えた。


 不可思議な現象や事象を前にして、自分が『無力だ』と感じる気持ちはよく分かる。


 不可思議な事象や現象に対して、僕らはあまりにも無知で無力なのだ。


 それでも、ほんのわずかにでも希望を持ってここへやってきたはず。


 もしかすると、〝糸〟はこのまま何事もなく、㐂嵜さんの不安感や行動は徒労に終わるかも。


 だけど。


 このレファレンスを通じて、㐂嵜さんがその不安を取りのぞく方法を見つけられたらいいと思う。


 そして、㐂嵜さんがそう願っているだろう——友人の平埜藍那さんという方にも安心が訪れてほしいと思う。


 僕らはそのサポートをするのだ。


 僕というか、


 まあ


 主に、ヒバナのチカラが必要なんだけれども……。


 そんな気持ちになって、無意識にヒバナへ視線を向けていた。


 目は合わないが、僕と目が合ったようなタイミングで、


「んじゃあ、」


 ヒバナがなにか思いつた顔をした。


「——たしかめにいってみようよ」


「たしかめる……。なにを?」


 首をかしげ㐂嵜さんがヒバナを見やった。


「そりゃあ、決まってるよね。あなたのお友達トモダチの〝糸〟だよ。見に行ってみようよっ!」


 ヒバナが言う。

 そんなことカンタンに言うが、いったいどうやって?


「え? え、でも!?」


 㐂嵜さんも困惑して当惑している。

 友人になにか起こるかもしれないとナーバスでデリケートな状態である㐂嵜さん。


 それなのに、ひどく軽快に、近所に新しくできたカフェに誘うぐらい軽々しく提案してきた。


 対する㐂嵜さんの戸惑い投げかける視線など、まったく意に返すはずもなく。

 ヒバナはニパーッと頬笑む。


「だって、百聞は一見にしかず。ってゆうじゃない」


「それは、そう、だけど……」


 㐂嵜さんはさらに戸惑う。

 だって、くだんの〝糸〟が見えたのは現状、㐂嵜さんだけなのだ。


 それに、だ。

 㐂嵜さんは、こう思っているに違いない。


 見る見ない。

 見える見えない。


 それ以前に、ヒバナの目は——


「見に行ってみよう、って? でも、あなた——目が……?」


 視線が交わらない薄紫色のサングラスの奥にある瞳を見つめながら、㐂嵜さんは思わずつぶやいた。


 しかし㐂嵜さんの戸惑いの言葉を受けて、ヒバナが「ひっひっひっひ」と子どもみたく笑い出した。


 また、意地悪い顔をしているヒバナに代わって、


「たしかにヒバナの目は見えてないです」


 僕はあらためて、それを伝える。


「でも——目には見えないモノを〝視る〟ことができるんです」


 と、そのことを。

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