♯2:不可思議と不可視儀。


     †


「——トモダチから、なんか〝糸〟が出てるんです」


 今回の『レファレンス』相談の依頼者——㐂嵜きさき沙香さやかさんが、僕がバイトするカフェにやってきたのは、数日前のこと。


 ふだん僕は、レファレンス担当の先輩であり教育係でもあるおばさんの補助をしつつ、それ以外の時間は図書館併設のカフェ『時と木』で給仕している。


 そんなほぼカフェ店員である僕だけれど——ある特定の、ある特殊な、ある種の特異な相談『不可思議』な事象や現象に関する『レファレンス』の担当でもある。


 ヒバナいわく、《不可思議》とは、


不可視儀ふかしぎでもあるよね」


 つまり——肉眼で視るのが不可能なことがら。


 だそうで。


 㐂嵜さんの相談は、まさにそういった不可思議なレファレンスの依頼だった。

 もちろん担当の僕の出番ではあるが、


「ヒバナにもきてもらったほうがいいな」


 と僕は早々にカノジョに連絡をとった。


 不可思議なレファレンスの相談窓口は僕。

 でも実質、僕は不可思議な事象や現象に関して無力であり、無能そのもの。


 なので、ヒバナの協力が必要不可欠なのだった。


「——で、こんなところまであたしを呼びつけたのね?」


 とニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべて、ヒバナがやってきた。


「ご、ごめん。いつもみたくコーヒー飲みにくるついでかなって……つい、」


 まごついてしまう。


 たしかに目の見えないヒバナを呼びつけるようなことをしたのは、どうなのかと思い返す。


 ふだんカノジョはふらっと『時と木』にひとりでやってくる。

 それにレファレンスを手伝ってもらうのもこれがはじめてではなかった。


 なので、カノジョのいつものジョークだって分かってはいるものの、うっかり真に受けてしまった。

 やっぱり、カノジョのウィットに富すぎなジョークにはまだまだ慣れてない僕だった。


「ほんと、きみは素直で純真で素直で真面目だなあ。感心しちゃう」


 とヒバナに言われる始末。


「褒められてないよね?」

「いやいや、褒めてる褒めてる。あたしはきみのそういうところが好きだなー」

「あー、うんうん。はいはい、ありがとありがと」

「ぜんぜん信じてないじゃん」

「いやいや、信じてる信じてる」

「二回くり返すのあやしいぃぃ〜〜っ」


 言って、ヒバナは笑う。


「いえいえ。僕はヒバナの一切合切ぜんぶ信頼してるよ」


 まあ、それは嘘じゃない。

 ほんと。


 そんなことを言われたり言ったりしながら、お店の入り口からカウンター席までヒバナを案内ガイドしてきた。


 カウンター席なのは、カフェの営業中に店員(僕)とお客さん(レファレンスの依頼者やヒバナ)が話をしていてもあまり不自然ではないからだ。


 カフェはガラス張りで眺望がたいへんよい。

 なのでおすすめは窓側の席なのだが、雨と湿度によって結露してスモークガラスみたいに曇ってる。


 とにもかくにも、僕がヒバナをカウンターに連れていくと、


「……どうも、」


 カウンター席の先客が、ヒバナに頭を下げた。


 席に座っているのは今回の相談依頼者の㐂嵜きさきさんだ。


「あ、こっちか。いやいや、どうもー。はじめまして、ホームズの助手のワトスンでーっす」


 それ対してヒバナは、ひどくかるいノリで、初対面のひとにはたいへん分かりにくい自己紹介ボケを返した。


 見た目の上品さとはかけはなれたノリの軽さと意味不明な小ボケの連打に、きょをつかれた㐂嵜さんが檸檬でもかじったような顔になる。


 そしてさらに、カノジョが手にした白杖が目に入ったのか、ヒバナの小ボケのひとつを察して息を詰まらせた。


 ほんと悪趣味だと思う、そういうの……。


「えーっと、僕がホームズでカノジョがワトスンだって意味らしいです。もちろんジョークです。こういうひとなんであんまり気にしないでください。あと、顔をぜんぜん関係ないほうに向けてるのは、ただの目が見えてないアピールなんで気にしないでください」


 仕方なく僕はいろいろ補って一気にしゃべくった。


「ミサキ、あたしのボケを説明しないでよ」


 唇を尖らせながらヒバナは言った。


「じゃあ、説明しないと理解できないボケしないでよ」


 おなじく唇を尖らせ僕が言い返すと、すぐにヒバナは笑い出した。

 そして、ひとしきり笑うと何事もなかったように、


「はぁーぁ、オモロ。んじゃ、ミサキ。『本日のおすすめ』で、よろしく」


『店長の本日のおすすめコーヒー』をオーダーしてきた。


「よっこらしょ、っと」


 㐂嵜さんが無用に感じてる緊張とはミスマッチなかけ声を発しながら、ヒバナがカウンター席の椅子に座る。


「で。その——おトモダチの〝糸〟はいつから見えるようになったの?」


 で、いきなりこうだもの。

 ヒバナがとなりに腰かけ状況の把握に困ってる㐂嵜さんに話しかけた。


「——はっ、はい!?」


 ややあって、われに返った㐂嵜さんがビクッと肩を震わせた。


「すみませんっ、㐂嵜さん。こちらはレファレンスを手伝ってくれてる、」

「助手の者です」

「いいえ。躑躅母里つつじのもりさんです」


 あくまで小ボケと自分の立場スタンスを崩さないヒバナに代わって、僕がカノジョのことを紹介した。


 しかしヒバナを本名で呼ぶ機会がないので、慣れななすぎてカミそうになった。


「『つっつー』って呼んでくれていいんだよ?」


 キュートを持てあまし気味でめいっぱいニッコニコなヒバナが、㐂嵜さんに言う。

 圧がすごい。


『つっつー』なるあだ名は初耳だ。


「あっ、はい。……はい?」


 当然、㐂嵜さんは戸惑う。

 ただただ戸惑う。


「ヒバナ、きみの左に座ってるのが、相談にきた依頼者の㐂嵜沙香さん」

「㐂嵜です。よろしく、お願いします……」


 話が進まなくなるどころかややこしくなりそうだったので僕は言った。

 つづけて㐂嵜さんがヒバナに向かって頭を下げた。


 するとヒバナが何故か、カウンターのなかに立っている僕のほうに顔を向けてきた。


「ミサキは?」

「ん、僕? 僕がなに?」

「ミサキの自己紹介は?」

「え、僕もするの? さっきしたよ」

「相談の依頼主さんもあたしもしたし、ついでに」

「ついでに、って……うーん、まあ、そうか。じゃあ、」


 ゴネて尺を取ってしょうがないので、僕は「ごほん」と咳払いして、


「不可思議なレファレンスの担当の御前ミサキです。あらためましてよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 律儀に㐂嵜さんは僕にも頭を下げてきた。


「じゃあ、ミサキ。レファレンス開始といこうか」


「うん」


 ヒバナにうながされ、僕はおおきくうなずいた。


 いつのまにか立場が逆転している気がするが、気のせいなので、話を先に進めよう。

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