第4話 大学祭

5「大学祭前」


 夏合宿が終わり、そのまま軽音楽部は大学後期が始まるまで、開店休業となった。


 大学の後期が始まるのは10月だが、その前の9月を目一杯使っての前期期末試験が行われるので、この時期だけは勉強に専念せねばならない。

 更に伊藤は試験後、妹と共にアパートに引っ越さねばならないのもあって、落ち着かない日々を過ごしていた。


 最も野球等のスポーツ推薦で特待生扱いの極一部の学生は、試験は免除されているので、それだけは伊藤は悔しかった。


 軽音楽部の活動も一時休止となり、サックスが吹けないのもストレスだったが、何時の間にか伊藤の中に、石橋咲江という女の子が入り込み、しばらく咲江に会えないのもストレスなんだ…と気が付いた。


 ユネッサンで見た、天真爛漫な咲江の弾けるような笑顔と、中高時代スポーツに打ち込んで引き締まった体に似合う、白地にブルーストライプのビキニ姿は、伊藤の試験勉強を大いに邪魔する思い出になった。


(俺、完全にサキちゃんのこと、好きになってる…)


 ユネッサンで偶然手が胸やお尻に当たった時も、狙って触ったんじゃないからいいですよ!と明るく返してくれた。


 どちらかと言うとマイナスな状態から始まった、伊藤の高校2年の時の、バレー部の先輩との付き合いは、付き合っていても先輩が大学受験を控えていたため、あまり心から楽しいという時間は少なかった。


 翻って今の石橋咲江は、全力でサックスに立ち向かい、初の本番でミスこそしたものの、根は前向きで明るく、むしろ伊藤が引っ張られる場面も生まれつつあるくらいの女の子だ。

 伊藤は咲江のことを思い、試験勉強が滞ることが多々あり、早く試験が終わって後期が始まらないかと悶々としていた。


 一方で石橋咲江も、ユネッサンで過ごした伊藤との時間が忘れられずにいた。

 偶然だったが、伊藤の手がビキニ越しに胸やお尻に触れた時には、全身に電気が走った。その電気の正体に気付くのに時間は掛かったが。


(先輩…伊藤先輩…。アタシ、本気で先輩のこと、好きになりました。アタシが告白に踏み切る時、断らないで下さいね…)


 お互いに両思いになったのだが、ここからなかなか進まないのが、2人の特徴でもあった。


 ***********************


 その内前期期末試験も終わり、10月に入って後期が始まった。


 伊藤のアパート生活も始まり、親元を離れて大学に通うのは、慣れるまで大変だな…と実感していた。

 更に女子水泳部で主将を務める妹、由美の保護者という側面も加わったので、親がいなくなった等と泣き言を言う暇も無い忙しい日々が始まったのだった。


 一方、サークル活動も全面再開で、11月3日~5日に行われる大学祭に向け、各サークルは模擬店の準備を始め、音楽系サークルは大学祭の中の1日が音楽の日と決められているので、その日に向けて練習に励むことになる。

 ちなみに他の日は、スポーツの日と文化の日になっていて、文化系サークルの活躍する日は祝日当日だった。


 伊藤は軽音楽の活動と言うよりは、咲江に早く会いたい一心で、後期最初の日、4限の講義後にサークル室へ直行した。

 まだ後期再開直後とあってか、サークル室に来ている部員は少なかったが、既に聴いたことのあるサックスの音色が伊藤の耳に聞こえてきた。


「サキちゃん!早いね~、先越されたよ」


「エヘヘ、今日はアタシ、3限までだったんです。だから、伊藤先輩より早く来ちゃいました。先輩、ユネッサン以来ですね!アタシのこと、忘れてませんか?」


 咲江は変わらぬ明るさで、伊藤を出迎えてくれた。


「サキちゃん、正式にはユネッサンの後、小田急で帰ってきて、駅で解散して以来だよ」


「んもー、伊藤先輩の意地悪!せっかくムード作ってみたのに!」


「アハハッ、ごめんね。でも前期の試験、初めてだったでしょ?上手く出来た?」


「あ、そこは学部も一緒のチエちゃんに助けてもらってなんとか…」


「なら良かったね。他に何かしてた?」


「あっ、ユネッサンで先輩に太ももの日焼け跡を指摘されたから、合宿後は毎日日焼けしてました」


「日焼け?どうして?」


「だって、ビキニのパンツを穿いてるのに、その下側の肌に日焼けしてない白い部分と日焼けした黒い部分があるのは変じゃないですか!だから毎日、高校時代のブルマーを穿いて、ベランダで太股…と言いますか、あの、えーっと…足の付根を日焼けさせてたんです。そしたら、なんとか短パンの時の太股一直線の日焼け跡じゃなくなりましたよ!」


「えっ、ええっ?」


 伊藤は突飛も無い咲江の行動に驚いていた。逆に、軽い気持ちで日焼け跡のことを指摘しただけで、こんなに咲江が一生懸命にそのギャップを埋めようとしたことにも驚いていた。


「だから次に先輩とプールとかに行っても、綺麗な日焼け跡の太腿をお見せできますよ!」


 咲江は自信満々に、スカートをまくって日焼けの成果を見せようとしたので、いやいやそこまでは…と、伊藤が慌てて止めた。


「大丈夫ですよ、先輩。今日アタシ、高校時代のブルマー穿いてきてますから」


「いやっ、そのっ、そう言う意味じゃなくって、あのさっ、俺が恥ずかしいんだよね」


「そうですか?せっかくビキニ着ても大丈夫になった日焼け跡、先輩に見てもらおうと思ったのにな」


 咲江の突飛かつ天然な行動に、伊藤は心拍数が上がるのを抑えられなかった。


「と、とりあえず俺も楽器出してくるから。サキちゃん、音出し続けてて」


「はーい!」


 伊藤はとりあえず後期初日から全力全開モードの咲江にドキドキさせられながら、楽器庫へ行き、呼吸を落ち着かせた。

 そこへグリーンズのリーダー、大谷がやって来た。


「伊藤くん、サキちゃんにやられっぱなしだったね」


「先輩、見てました?どうしたら良いですかね?サキちゃんが天然過ぎて、スカートまで自分でまくろうとするから、どうしたらいいのか分からなくなっちゃいました」


「アハハッ。それだけ伊藤くんが、サキちゃんに気に入られてるってことだよね。伊藤くんの気持ちはどうなの?」


「うーん…。先輩、秘密にしといて下さいね」


「勿論!」


「俺も、サキちゃんのことは、好きです。ただその好きが、後輩として可愛いから好きなのか、純粋に女性として恋愛の対象なのか、よく分からないんです」


「そっかー。アタシが見ている限りでは、伊藤くんは女性としてサキちゃんのことを好きなんじゃないかと思ったけどな」


「え?そうですか?」


「うん。ユネッサンでの2人を見てても、天真爛漫な彼女をちょっと大人の彼氏が大切に見守ってる、そんな感じだったよ」


「確かに…。俺、あんまり恋愛経験が無いもんですから、とにかくユネッサンではサキちゃんと遊ぶと言うより、変なことが起きないように見守る気持ちが強かったです」


「それよ、それ。その伊藤くんの気持ちって、既に可愛い後輩って位置付けから、ワンランク上がった状態だと思うよ。大切な恋人として見守ってるってことよ。まだ告白し合ってないのが不思議なくらいよ」


「そうですか…。自分じゃ分からないことも、先輩に指摘してもらえると客観的な意見をお聞きできて、助かります」


「だから告白するタイミングとかは2人のタイミングもあると思うから、アタシはそこまでは干渉しないけど、もういつ告白し合っても、素敵なカップルになれると思うよ。出来たらさ、アタシが卒業するまでにカップルになってよ」


「えっ、なんでそんな〆切りがあるんですか?」


「やっぱりアタシがリーダー務めたバンドから、1つでも多く恋人が生まれて欲しいもん。そしてアタシが結婚式挙げる時には、グリーンズのみんなに来てもらって、1曲演奏頼みたいし」


「わあ、女性ならではの夢ですね」


「でしょ?だから伊藤くんは、しっかりサキちゃんを彼女にして、出来れば結婚までいって欲しいんだ」


「結婚!まだ早いですよ、先輩」


「何言ってんの、もう伊藤くんは二十歳でしょ?サキちゃんだって来年は二十歳なんだし、もう親の承諾なしに結婚できる年齢になるんだよ」


「いやっ、でも…」


「まあこれはアタシの願望が強すぎかもしれないけど、2人はお似合いのカップル、夫婦になると思うんだ。だから、もう将来の人生設計を描いても良いと思うよ」


「いやそれ以前に、就職活動もまだですから、俺は…」


「就職はなんとかなるわよ。この軽音部のOBを頼っても良いんだし。実際にアタシも、軽音部の先輩に助けてもらったしね」


「そ、そうなんですね…」


 ここで咲江から、伊藤センパーイ、まだですかー!と言う声が聞こえてきた。


「ほら、未来の奥さんが呼んでるよ。サックス準備して、行ってあげて。みんな揃ったら、アタシと山本くんから大学祭について説明するから」


「はい、分かりました」


 伊藤は慌ててサックスを準備して、咲江の元へと戻った。


***********************


6「アフター大学祭」


 大学祭は11月の3日~5日の3日間行われ、音楽の日は最終日の5日に行われた。

 各音楽系サークルの順番は例年決まっていて、軽音楽部はトリの交響楽団の1つ前、セミファイナルの位置だ。


 各バンドがこの日ばかりは全員結集して、3曲ほどジャズを演奏する事になっている。

 この年に幹部メンバーが選んだジャズ曲は、「スペイン」「シング・シング・シング」「スター・ウォーズ」の3曲だった。


 咲江は「スター・ウォーズ」はジャズなのかどうなのかよく分からなかったが、ノリは完全にジャズのノリということで、選ばれたようだ。

 どの曲もサックスの目立つ部分があり、咲江は戸惑っていたが、サックスソロは伊藤が完璧に吹き、咲江は真横で華麗にサックスを吹きこなす伊藤に、恋い焦がれる乙女になっていた。


(伊藤先輩、かっこ良すぎだよぉ…。)


 そして3日間の大学祭が終わり、最終日は後夜祭が行われる。

 どの大学でも行われるような、キャンプファイヤーが焚かれてその周りに三々五々学生が集まってくるパターンだが、咲江はこれが大学祭なんだと、感激していた。


「伊藤先輩!後夜祭に出ますよね?」


 伊藤はソロを吹いた疲れで、後夜祭はサークル室で寝てようかと思っていたが、目をキラキラさせた咲江が誘いに来たので、後夜祭の会場へと赴いた。


「サキちゃん、本番の演奏も良かったよ」


 伊藤は、夏合宿より格段に成長した咲江のサックスを、まずは褒めた。


「えっ、そうですか?エヘッ、もう先輩に恥ずかしい所を見せたくなかったですもん、一生懸命頑張りました!でも、先輩のソロは凄かったです!アタシも先輩みたいに吹きたいな…」


「サキちゃんならすぐだよ。来年は抜かされてるかもね」


「そんなことないですよ、センパイ♪」


 咲江は後夜祭のキャンプファイヤーが盛大に燃えさかるのを見てテンションが上がっているのか、自然と伊藤の手を引っ張り、キャンプファイヤーの周りへと連れて行った。


 2人は自然と手を繋いだまま、広場の一角に腰を下ろした。


「先輩!」


「ん?なに、サキちゃん」


「アタシ、サックス少しは上手くなりましたか?」


「勿論。さっきも褒めたじゃん」


「いやっ。先輩、もっと褒めて!」


「ハハッ、サキちゃんは元気だな。サキちゃん、本当にこの半年で、未経験者とは思えないほど、上達したと思うよ。これは間違いないよ。だから…これからもよろしくね」


「ハイ。アタシ、伊藤先輩に出会えて、本当に良かったです…。嬉しい…」


 咲江ははしゃいでいたのが嘘のように、疲れが出たのか、スーッと眠りに落ち、自然に伊藤の肩へ顔を乗せてスヤスヤと寝息を立て始めた。


 そんな咲江を見ながら、伊藤は


(こんな元気な女の子、俺が好きになって良いのかな。もっと別の男の方が良いんじゃ無いか?)


 と、ふと思ってしまった。


 だが、手を繋いだまま、自然と肩に頭を乗せ、安心して眠りに落ちていった咲江を見ていると、他の男に取られるなんてことは想像もしたくなかった。


(サキちゃん、やっぱり好きだよ)


 伊藤はそう心でつぶやきながら、そっと肩に乗っている咲江の髪の毛を撫でた。

 その時、ふと咲江は寝言なのか、


「エヘヘッ、伊藤先輩、それアタシのパンツですよ!」


 と声を上げた。

 伊藤はビックリしたが、咲江の顔を見ると、スヤスヤ寝ていたので、夢の中の出来事なのだろうと思った。

 だが、一体咲江は俺を絡ませて、どんな夢を見ているのか気になった。


 そのまま後夜祭は終了した。

 咲江はすっかり眠り込んでしまったので、伊藤は咲江をおんぶしてサークル室へと戻った。


「おっ、伊藤くん、やるねー」


 軽音楽部の女子の先輩達に冷やかされてしまった。


「違いますよ、完全にサキちゃん、眠り込んじゃったんで、おんぶするしかなかったんです」


 確かにおんぶした際には、咲江のお尻を抱えたし、咲江の胸が伊藤の背中に当たったが、そんなことは気にしていられなかった。

 サークル室の畳部屋に咲江を寝かせて、毛布を掛けてやり、伊藤はその横で咲江の寝顔を見ていた。


(この寝顔、俺だけのモノにしたいな…)


 そんな感情を伊藤が思うと、不思議とその思いに呼応するように、咲江も寝ながら笑顔になるのだ。


(サキちゃん、好きだよ…)


 そのまま、大学祭最後の夜は更けていった。


<次回へ続く>


※次回、最終回です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る