スナイパーの1日は老婆と女の第六感で崩落する

龍神雲

スナイパーの1日は老婆と女の第六感で崩落する

毎朝同じ時刻に起床からの軽い伸びをし──、そこから何時も決まったルーチンで俺の1日が始まる。挽きたての珈琲豆を使いサイフォン式で珈琲を淹れた後、1枚の食パンを刃渡り21cmのステンレス製波刃パン切りナイフを使ってマス目状に寸分たがわず切り込み、15号の鋳鉄のフライパンに綺麗に敷き詰め、その上に自家製マヨネーズと自家製ケチャップ、少し多めのチーズを掛けて載せた後、魚焼きグリルに入れ──上は中火、下は弱火に調整して約7分程焼いてから淹れたての珈琲と共に食す──これが俺の朝の決まったルーチンで、たまに食パンの上に平飼いの卵を割って焼く事もあるが決まってそのどちらかを必ず選び朝食にしていた。毎朝決まった食事にするのは体調を崩さない為でもある。これ以外の食事をした際、急激な腹痛を起こした事があったからだ。戦地にいた頃は何を口にしようが、飲まず食わずでも平気だったがそこを抜けてからは身体がこの日常に順応というより受け付けなくなり、以来、この2つの朝食のどちらかを徹底していた。さて、何故此処までして朝食に拘るのか──それは俺の仕事に関係している。俺の仕事は常に静謐さと精密さが必須の一撃必殺なスナイパーだからだ。毎朝、仕留める相手の情報のシミュレーションを脳内で繰り返し行いながら朝食をするのも日課で、それが終われば身支度を整え、昨晩準備したライフルケースを抱え部屋を出て、そのタイミングで迎えに来た車の後部座席に乗り込むというのもその流れに組み込まれている。


「ブラッグ、今日もよろしく頼むよ」


「ああ、任せろ。長期間、中東で飲まず食わず熱砂と戦いながらゲリラ戦をしていた頃と比べれば此処は容易い──目を瞑ってでもできる」


軽口を叩きながら既に明日に控える任務の依頼内容も確認して会話をする内に指定のポイントへと到着した。今日は廃墟となったビルの一室を利用し、そこから2000ヤード(約1800メートル)離れた住宅街にて身を潜め暮らす敵国の諜報員を仕留めるのが任務で、一応、国の命運も掛かっているが容易いだろう。


「ブラッグ、幸運を祈るよ」


その言葉を聞きながら車を降りた時には既にスナイパーとしてのスイッチが入るが──


「ちょっとそこのお兄さん、寄ってきなよ!悪い様にはしないからさぁ」


それを遮る様に陽気に話し掛けてきたのは、今日狙撃する廃墟のビル付近で簡素なテーブルと椅子と水晶らしき物を持参し、商いという名の占いを勝手に始めていた老婆だった。前に下見した時にはこの老婆の姿も簡素なテーブルも椅子も無かったので大方流れ者だと分かるが、そこから立ち退くよう話を持ち掛けようとして間も無く、直感が告げた。関わるな──と。昔から直感だけは冴えていた、第六感ともいうべきか──とまれ、老婆の存在があろうと任務には差し障りはない、そのまま素通りを決め込むが腕を捕まれ「お兄さん、年は──……27のABだろ?」


「……」


口にはしなかったが老婆が告げた事は当たっていた。だが当てずっぽうで言った事が偶々当たっただけの可能性もある。一先ず老婆の手をそっと払い除けたが「お前さんは今日、良縁を得るよ。大事にしなさいな」とにこやかに笑った。良縁というのは、これから俺が殺す奴の事を指しているのだろうか?だとしたら外れだ、俺は確実にそいつの息の根を止めるのだから。老婆の話もそうだがこれ以上関わられるのは面倒で、100万の小切手を取り出し占い賃としてテーブルに置いた。


「ばあさん、占いをするなら余所でやるんだな」


そう告げれば老婆は目を丸くしたが小切手を手にし「そうするよ」と嬉しそうに片付け始めたが「お兄さん、さっきの話だけど……大事にするんだよ」と再び告げてきた。俺は愛想笑いで返しそこから立ち去り、廃墟のビルへと向かった。少しトラブルがあるも、時間通りに指定の位置に付き狙撃する準備も整えた。後はターゲットの男が狙ったポイントに姿を晒しそこを狙い打てば任務は終了だ、俺は静かに呼吸をし伏射プローン姿勢で現れるのをじっと待つ。それから程無く、ターゲットが狙い通りの位置に現れたので狙撃した、見事に的中、任務は呆気なく終了した。ライフルケースに愛銃、M88狙撃銃を仕舞い任務が終了した事と迎えの車を手配するよう連絡を入れ廃墟を出ようとしたその時、銃声音が木霊し左肩に衝撃が走った。堪らず呻き、左肩に視線を走らせれば撃ち抜かれ血が吹き出した。


情報が漏れていたのか、廃墟へ再び引き返し階段を駆け上がりながら持っていたガムテープで左肩の応急処置を施し取り敢えずの止血をしたが、此処に潜伏しているのがばれている今、危険地帯である事は変わらずまた撃たれる可能性もある。廃墟のビルから何処かへ移らなければ──そう巡らし、脳内でこの地図一帯を思い浮かべ最善且つ安全なルートを展開させた。そしてこのビルの北側に位置する場所に寂れた雑貨屋があるのを思い出し、その雑貨屋が見える方角へと走った。道路に面してない、尚且つ昇降可能な排水パイプも見付けたのでビルの窓から慎重にそのパイプへ移動し降りていくが、撃たれた左肩が災いし上手く力が入り切らず、あと僅かという所で落下し、降りようとしていた先の雑貨屋の店舗がある裏口の外壁に身体を思い切り打ち付けた。


「っぐ!!」


思い切り打ち当たった為に左肩に再び激痛が走るが、取り敢えず死にはせず生きている。そして落ちた時に雑誌の束が置いてあったのでそれも幾らかクッション代わりになり衝撃を防いでくれた様だが、それでもこれ以上は動けそうもなかった。一先ず撃たれた事と今居る場所の連絡をしようと携帯を探るが、肝心の携帯がなくなっていた、何処かに落としてしまったらしい。


──糞、この生活に慣れすぎて感覚が鈍ったな……


そう巡らし外壁に背を預け呼吸を整えていたその時だった。


『ガシャン!』という大きな落下音が近くで聞こえ、咄嗟に腰にある拳銃を後ろ手で掴み音がした方角に視線を向ければ──割れた植木鉢の欠片と花が地面に散乱し、一人の女が目を見開いたまま此方を見て立ち尽くしていた。雰囲気からして一般の女で年齢も俺と同じか少し下ぐらいだろうか、兎角、俺を凝視したまま一言も言葉を発しなかった。それもそうだ、左肩からは流血し明らかにライフルケースと分かるものがその女の視界にあるのだから驚くのは無理もないが──、さてどうすべきか……


『良縁を得るよ。大事にしなさいな』


ふと、老婆と出会った際に言われた言葉が脳裏を掠めた。完全に当てずっぽうだろうが、取り敢えずこの怪我を見て手当てしないにしてもそれが可能な物を渡してくれれば助かるのだが。女に視線を合わせれば、女ははっとし俺に近付き屈んだ。どうやら手当てをしてくれそうだ、そう安堵し束の間──


「……ないわよ……」


「──?」


ぼそりと何かを呟いたが聞き取れず疑問が浮かんだ直後、女は俺を睨み「ふざけんじゃないわよ!!」と外壁に寄り掛かる俺を地面に思いきり突き飛ばし、次いで、今し方まで俺が寄り掛かっていた外壁に女は両手をそっと押し当て「なんて事!大事な……大事なガルバリウム鋼鈑の外壁に凹みが……ああっ!?しかも私の大事な、今日発売のお取り寄せした推しの雑誌にも皺と血が……嘘、嘘よね……!?嘘って言って……」


女は独り言ち項垂れ静かになったが、再び俺をきっと見遣りつかつかと近付いて早々、胸倉を掴んで激しく揺さぶってきた。


「何処の誰かは存じませんけど大事な店舗の外壁を凹ました上、今日発売の私の推しの雑誌まで血で汚して……どう落とし前付ける気でいやがるんですかねぇ、お聞かせ願いますかねぇ?」


怒気を孕んだその声に、怪我の手当てが見込めないのを悟り、何が良縁だと、何が大事にしなさいだと、先程の老婆の占い──否、戯言に対し、その逆じゃないかと嘆息したが一先ず、この目の前の女の怒りを鎮め少しの間だけでも匿ってもらいたい旨と序でに通信手段を確保する為の交渉を開始した。


「済まなかった……凹ませた店舗の外壁と雑誌の修理は後で必ずする。それと無理を承知でお願いするが、どうか一時の間だけでいい、俺を匿って貰えると助かるんだが……」


「は?何ふざけた事言ってるの?あのね、推しの雑誌を傷付けた罪は重いですよ?重罪ですよ重罪!弁償すれば許されるとか、ふざけないで!この雑誌はね、画面越しでリモートした上で厳重梱包して貰って小さな島国から此処に取り寄せた貴重で大事な雑誌なのよ?貴方みたいなガチ勢でも何でも無い人がただ単に選んでも意味ない……って、貴方……え、ちょっと待って……」


女は急激に声のトーンと威勢を落とし俺の顔をまじまじと見詰めた後──


「えー!嘘!凄い、似てるじゃない!一国の王子を救って王子と恋仲になった孤高のスナイパーのキャラに!ねぇ貴方『王子、俺は貴方と出会い貴方の心を射貫く為に──スナイパーという道を選んだのかもしれません……』っていう名台詞があるんだけど、ちょっと言ってみてくれない?」


撃たれた左肩からは再び血が吹き出していた。落ちた衝撃と先程、この女が乱暴に突き飛ばしたのが原因で更に悪化していた。出来れば早く手当てをしたい所だが、女が求める台詞を言えば好転する兆しが見えたので痛みを堪えながら懇切丁寧にその台詞を言えば、女は恍惚とした表情で頷き携帯を出した。これで連絡手段の確保が漸くできたかと安堵するが、


「ねぇ、今の台詞もう一回言ってくれる?録音してTik Tok用で動画製作したいから。あとコスプレも後でよろ♪あ、でも血を止めてから着てね?汚れたら困るし!」


予想の斜め上を行くこの女の発言に落胆し、何処か大事な思考回路が欠落しねじ切れ焼き切れているのはよく分かった。──何が良縁だ、とんだ悪縁だと巡らすも後に、この女に惚れ今後末長く付き合う事になるとは夢にも思わなかった──


【完】

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