黄昏時に少女は陰る

みすたぁ・ゆー

黄昏時に少女は陰る

 十七歳の逢魔おうまサトリは都内の外縁区にある私立取岡とるおか高校で新聞部に所属している。


 部の主な活動は各月末に発行される『マンスリー取岡』を制作すること。同紙の体裁はタブロイド判の八面刷りで、印刷は学校の近所にある印刷所へ委託しているということもあって見栄えは良い。


 サトリはその新聞で『校内や地域のオカルトな物事』についての記事を担当している。


 この日もアポを取り、その関係で『第六感がある』と噂されている女子生徒を取材することになっていた。


「あっ、夕暮ゆうぐれさん! こっちだよーっ!」


 放課後、校門の門扉に体を寄りかからせていたサトリは待ち合わせをしていた一年生の夕暮ヨミを見つけると、彼女に向かって大きく手を振った。


 明朗闊達、花が咲いたような明るい笑顔。サラサラとした髪質のポニーテールが左右に揺れ、それが太陽の光を反射して黄金色に輝く。また、人懐っこそうな丸い瞳と女子の平均よりも高い身長がサトリの存在感をより周囲に印象づける。


 一方、ヨミはそれとは対照的に陰のあるような空気を漂わせ、周囲から目立たないように通路をゆるりと歩いている。


 ぱっつんボブに色白の肌、切れ長の目や落ち着きのある雰囲気にはミステリアスな魅力を感じさせる。


 ヨミはサトリを一瞥すると小さくため息をつき、わずかに早足になって校門へ歩を進めた。そしてサトリの目の前で立ち止まると、眉をしかめてポツリと言い放つ。


「……逢魔先輩、恥ずかしいので大声で私の名前を呼ぶのはやめてください」


「あははっ、ごめんごめん♪ 今日は取材させてもらうからよろしくね」


「……はい。こちらこそ」


「じゃ、駅前に行ってどこかのお店に入ろう。飲み物代は私が奢るから! って、実はひとつの記事につき五百円まで部費から補助が出るんだけどねっ♪」


「部費で自分も何か飲もうなんて、ちゃっかりしてますね……。まぁ、いいですけど……」


「じゃ、れっつごー!」


「…………」


 意気揚々と先を歩いていくサトリ。その背中をヨミは無言のままじっと眺めている。その無味無臭な表情からは感情や考えていることが掴めない。


 ただ、地面に映る彼女の陰はわずかに仄暗さを増したような感じなのは確かだった。





 サトリとヨミは徒歩で学校の最寄り駅まで辿り着いた。


 駅ビルも商業施設もロータリーに停まるバスやタクシーも、周囲の何もかもが茜色に染まっている。そして夕食の買い出しをする女性や帰宅途中の高校生や中学生、営業帰りのサラリーマンなどの姿も多く見られる。


「夕暮さん、どのお店に入ろっか? あそこのファーストフード店はどう? 道路に面した窓側の席が空いてるし」


「……そのお店はやめませんか? 嫌な予感がするんです」


 サトリの提案にヨミは眉を曇らせながら唇を噛んだ。


 まるで何かに怯えているような瞳と小刻みな肩の震え。まるで彼女の周りだけがこの空間から切り離され、黒く淀んだ空気に包み込まれているかのような気配さえする。


「もしかしてそれが噂の第六感ってやつ?」


「……第六感かどうかは分かりませんが、嫌な予感なのは確かです」




 ヨミには第六感がある――


 そんな噂が立ち始めたのは彼女が高校へ入学した直後のこと。偶然とは思えない危機回避を次々とやってのけたというのが理由としてあげられる。


 毎日のように利用している学食をその日に限って避けると、なんとそこでは食中毒が発生。通学ルートの列車内で死亡者や重傷者が何人も出た事件が起きた時も、別のルートで登校していたことでその危機を回避した。


 時には予言のようなことを何度もピンポイントで当てたということもあり、オカルト界隈ではちょっとした有名人にもなっている。


 さらに今ではそういった様々な話に尾ひれが付き、彼女に関わると不幸な目に遭うといったこともまことしやかに囁かれている。


 当然、その真意は定かではないが……。




「逢魔先輩、そのファーストフード店の隣にある純喫茶にしませんか? そちらだとむしろ良いことが起きそうな気配がします」


「分かった。その喫茶店にしようっ!」


「……では、行きましょうか。実は私の行きつけのお店なんですよ。ちなみにですけど、一番安いブレンドコーヒーでも価格は五百円を超えます……ふふ」


「んなっ!?」


 薄笑いを浮かべて喫茶店へと歩いていくヨミ。


 一方、高校生の懐事情にしては単価の高いお店へ行くことになり、サトリは呆然と立ち尽くしている。もちろん、今さら別の店にしようなど言えるはずもない。


 結局、サトリはある程度の自腹を覚悟し、そのあとを追うのだった。





 店内は落ち着いた雰囲気で、いくつかある各座席には革張りのソファーとスタイリッシュな丸テーブルが設置されている。客は身なりの整った老翁や高級スーツに身を包んだサラリーマンたちなどが中心。それぞれスマホを眺めたり商談をしたりして過ごしている。


 また、カウンターにはコーヒー豆やミル、サイフォンなどが置かれていて、コーヒーの良い香りが空間を支配している。


 そしてそのカウンターの向こう側にいた初老のマスターはヨミの姿を見ると、柔和な表情になる。


「いらっしゃい、夕暮さん」


「こんにちは、マスター」


「ちょうど良かった。夕暮さん、羊羹って好きかい? 実は取引先からいただいたんだけど、私は甘い物が苦手でね。良ければ食べるかい? もちろん、お代はいらないよ」


「……嬉しいです。羊羹は好物です」


「じゃ、あとで注文の品物と一緒に出すよ」


 マスターがサムズアップをすると、それに対してヨミはコクッと小さく頷いた。そして彼女はサトリを連れて店の一番奥まった場所にある席へ移動し、そこへ腰掛ける。


「夕暮さん、すごい……。このお店を選んだら本当に良いことがあった……」


「……たまたまですよ」


 目を丸くするサトリを尻目に、ヨミは淡々と答えたのだった。





 その後、運ばれてきたコーヒーや羊羹を味わいつつ、サトリとヨミは二時間ほど会話をした。


 第六感は直近の危機しか察知できないということ、危機がいくつか迫っている場合は両方を回避することが不可能だということ、世界規模のような範囲の広い危機には反応しないということ――などがエピソードを交えてヨミから語られた。


 もちろん、サトリはそれらの事柄をメモ帳へ詳細に記録済みだ。


「夕暮さん、今日は取材に協力してくれてアリガトね。おかげで良い記事が書けそうだよ」


「……私こそコーヒーをご馳走になり、ありがとうございます」


「う、うん……ははは……」


 薄笑いを浮かべるサトリ。自分の飲み物代を含め、自腹の額が思いのほか大きくなったことに顔が少し引きつっている。






 ――その時だった。


 突然、店の外から伝わってくる何かが爆発したような轟音と振動。また、窓の向こう側では何人もの通行人が驚愕したり狼狽えたりしている。


「何があったのっ!?」


「……逢魔先輩、外に出てみましょう」


 会計を済ませ、ふたりは店の外に出た。するとそこに広がっていた惨状にサトリは思わず息を呑む。


 なんと隣のファーストフード店にタクシーが突っ込んでいた。それも車体の全てが店にめり込むほどの勢い。当然、道路に面した窓側の席は完全に破壊され、ガラスや壁、テーブル、椅子などの瓦礫が散乱している。


 そしてその場所で食事をしていたと思われる何人かの女子高生が手足から血を流していて、うめき声も響いている。もっとも、不幸中の幸いか、命に別状はない程度の怪我のようだが。


 もちろん、道路から見えない位置に重傷を負っている誰かがいないとも限らないが……。


「……嫌な予感が……当たりましたね……」


 事故現場の様子を見てもヨミは眉ひとつ動かさず、淡々と呟いた。その冷ややかな瞳の奥にどんな感情があるのか、そこから窺い知ることは出来ない……。





 しばらくして駅前のロータリーに戻ったふたりは、立ち止まって別れの挨拶を交わしていた。


 サトリはバス通学、ヨミは電車通学なのでここで帰り道が別となる。ちなみに喫茶店でその話題が出ているのでお互いにそのことを知っている。


「夕暮さん、またね」


「……逢魔先輩が利用しているバス、乗り場に停まってるみたいですよ。……乗り遅れないよう、急いだ方が良いです」


「そうだね。じゃ、また話を聞かせてね」


「……はい……機会があれば」


 ヨミはサトリに向かって小さく手を振った。もちろん、表情は相変わらずクールなまま。何を考え、どんな感情でいるのかは掴めない。


 それを見てサトリは苦笑いを浮かべつつも、手を大きく振り返してすぐに乗り場へと駆けていく。そして発車間際で車内が混雑しているバスに乗り込む。


 ヨミはその様子を見届けると、背を向けて駅舎の方へゆらりと歩き始める。


「……サヨウナラ……逢魔先輩……」


 冷徹さと蔑みに満ちた声。振り返ろうという気配は微塵もない。足を止めようとする意識もない。淡々と駅の雑踏の中に溶け込んでいく。





 バスに乗り込んだ直後、サトリはヨミへの取材で使ったメモ帳をカバンから取り出そうとした。内容を確認して、ある程度は記事の構成を考えておくつもりなのだ。


 もちろん、いつもは面倒くさがってそんなことはしない。それどころか原稿締切の間際になって、四苦八苦しながら作業する始末。だが、この日はそれを簡単にでもやっておこうという気になったのだ。


 そしてその時、彼女は小さな違和感に気付く。


「……メモ帳に差してあるはずのペンがない」


 カバンの中を見回してみても、ペンはどこにもなかった。おそらく喫茶店に忘れてきたのだろう。


「すみません! 忘れ物を取りに行きたいので降ろしてもらえますか?」


 サトリは慌てて運転手に声をかけ、発車直前だったそのバスを降りて喫茶店へと引き返した。ペンを取りに行くのは翌日でも良かったのだが、どうしても気になって落ち着かなかったのだ。






 ――その数十分後、サトリが降りたバスは国道で100km/hほどのスピードが出ていた大型トラックに正面衝突されるという事故に巻き込まれた。



〈了〉

 

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