ゴブリンの騎士

らる鳥

短編


 ゴブリンは、その多くが人間の半分から三分の二程の背丈しかない、人型の魔物だ。

 分類としては小型と中型の、丁度境目辺りのサイズだろう。

 そして力も知能も、その身体の大きさに見合った程度、子供よりは少しマシな、非力だったり愚鈍な大人程度でしかない。

 但しその愚鈍な知能でも魔物の中では狡猾な部類に入り、武器や罠を使いこなす。

 更には稀な事ではあるけれども、魔術師のジョブを授かり、魔術を使いこなす個体も現れる。

 野良の一、二匹は雑魚に過ぎないが、その巣の攻略は時に熟練の冒険者ですら不覚を取る危険がある、弱くて厄介な魔物がゴブリンだった。


 またゴブリンは非常に人間を含む人族からは嫌われる魔物でもある。

 中途半端に人間に似たその姿が生理的な嫌悪感を催すし、更に非常に不衛生で匂いも臭いとくれば、嫌われない理由が一つもない。

 だがそれ以上に、ゴブリンには雌が存在せず、その繁殖には他種族の胎を借りる必要があるというその生態が、決して人族とは相容れないのだろう。


 実際には人族どころか、鹿辺りの獣が相手でもゴブリンは己の子を成せるが、人族の女から生まれた個体の方が強く賢く育ち、戦士や騎手、魔術師等のジョブを授かり易くなる。

 何よりもゴブリン自体が繁殖相手に人族を好む性質だから、尚更に人族はゴブリンを嫌っていた。


 俺はそれを、俺を生んだ母の悲鳴と罵声を聞きながら育ち、学んだ。

 母は恐らく、強い人間だった。

 何故なら俺が生まれて、幼体から成体近くに育つまで、心が壊れなかったのは母だけだったから。

 だからこそ母は他のゴブリンからとても人気で、多くの兄弟、いや、俺が母の最初の子だから、弟達を生まされていた。

 沢山、沢山、壊れる事なく。


 幼い頃から、俺はそんな母の傍に居るのが妙に好きだった。

 他のゴブリンがいる時はともかく、そうでなければ凡そ殆どの時間は、母の傍で過ごしてる。

 聞こえてくるのが罵声ばかりでも、その声を聞いていたかったのだ。 

 だけど俺が成体になったと判断され、次の襲撃には加わるようにと族長に命じられたその日、母は罵声以外の言葉を口にする。


「なぁ、お前。お前は私から一番最初に生まれた子だろ。だったらお前に頼みがある」

 俺はその言葉にとても驚く。

 母の口から出た言葉が罵声じゃなかったのもそうだが、何よりも彼女が俺を他のゴブリンと区別できていた事に。


「頼むから、私を殺してくれないか」

 だがその次に出た言葉に、俺は母への興味が急速に薄れていくのを感じた。

 あぁ、母もそろそろ壊れるのかと、そんな風に思ってしまって。


 けれどもその言葉を発した母の目は、欠片も強さを失っていなくて、

「お前が大きくなったって事は、他の子も大きくなったんだろう。そうすればその子らはゴブリンとして、無辜の民を襲う」

 言葉は何時も以上に憎悪に満ちている。

 生きる事を諦めて、光を失った目で死にたいと呟く女達とは、何かが違った。


「ゴブリンにそうするなと言っても無駄だろうが、騎士として、私から生まれた者が私の王国に刃を向ける事は何より辛い。私はこれ以上、人を襲うゴブリンを増やす事に加担したくはない」

 俺にはその言葉の意味が一つもわからなかったけれど、それは恐らく母にとってとても大切な事なのだろう。

 母が他の女のように壊れてしまわなかったのは、もしかするとそれが理由なのかもしれない。


「私は自害を禁じられている。だからお前に頼む。お前にしか頼めない。私を、殺してくれ」

 だったら俺がそれを断れば、きっと母は壊れてしまうのだ。

 そして俺は、母が死んで居なくなる事よりも、母が壊れてしまう姿を見るのが嫌だった。

 あぁ、だから母が壊れてしまうかもしれないと思った時に、興味を失いそうになったのだろう。

 その姿をどうしても見たくなくて。


 俺は頷き、母の首に手を掛ける。

 抵抗さえされなければ、人間の首を折る事くらいは俺にだって可能だ。

 何しろ俺は、強い人間から生まれた、将来は巣の中でも上位の存在となるだろうと噂される、優秀な個体だったから。


「ありがとう。望まない事をさせる。礼といってはなんだが、お前に名をやろう。ゴブリンに名と言ってもわからないかもしれないが、お前はゼファードだ。覚えておくといい」

 それは俺が初めて聞く、母の優しい声。

 もっと聞きたいと思ってしまったけれど、躊躇えば二度と聞けない声。


「ゼファード、お前は生きろ」

 一体何を思ったのか、母は最期にそう言って、俺に首を折られて息絶える。


 生きろ?

 生きろって?

 全く、なんて難しい話をするんだろうか。


 ぎゃいぎゃいと、後ろで騒ぐ声がする。

 母の声の余韻を消してしまう、実に不快な同類の声。

 他のゴブリンの声だった。


 まぁ騒ぐのは当然だ。

 巣の女は、全て族長の財産である。

 仲間の数を増やす為の行為も、立てた功績に対して許される褒美なのだから、母を殺した俺の行動は、族長への反逆に等しい。

 幾ら俺が強い人間から生まれた優秀な個体であり、また族長の子である可能性が高いからと言って、許される事はないだろう。


 もちろんその覚悟の上で、俺は母を殺したのだが……。

 しかし、生きろか。

 本当に、難しい事を言われてしまった。


 振り向きざまに、騒いでいた背後のゴブリンに飛び付き、押し倒し、拳を振り下ろして滅多打ちにして、殺す。

 叫び声が巣に響き渡り、それを聞き付けたゴブリン達も騒ぎ出した。


 どうやったら母が言い残した通りに生きられるだろうか?

 いや、どう考えても無理である。

 だが無理でも、それを目指して力を尽くさなければならない。

 力が足りないのは仕方がないが、諦める事は許されないのだ。

 誇り高き――として。


 ……なんだ?

 誇り高い?

 誰が、何がだ?


 自分の思考に、何かが混ざって、胸が熱くて、身体に不思議な力が湧いてくる。

 これは、まさか、今、この時にジョブを授かったというのだろうか。

 でもこのジョブは……、騎士?

 騎士とはいったい何なのか。

 そんなジョブ、巣の誰も授かってたりはしなかった。


 なのに不思議とその言葉には聞き覚えが、あぁ、そうだ。

 母がさっき言っていたのだ。

『騎士として、私から生まれた者が私の王国に刃を向ける事は何より辛い』

 ……と。

 だったらきっとこれが、母が壊れてしまわなかった、母の大切な物なのか。


 それはなんて皮肉なのだろう。

 母の大切にしてた物を、よりにもよってゴブリンである俺が授かるなんて。

 まるで呪いじゃないか。


 湧き上がる力のままにやって来たゴブリンの一匹を殴り殺し、手に持っていた粗末な槍を奪った。

 槍を持つのなんて初めてだけれど、それは実に手に馴染んだ。

 欲を言えば、盾と剣が欲しいなんて、思ってしまう。

 盾も剣も、他のゴブリンが戦利品として持ってるのを見ただけで、やっぱり触った事すらないのに。


 だがこれなら、逃げられるし、生きられる。

 巣のゴブリンは、まだ何が起きてるのかわかっていない。

 ジョブ持ちの個体が動き出せば厳しいが、並みのゴブリンなら、騎士のジョブを授かった今の俺なら蹴散らせる。

 巣の構造は、もちろん俺だってこの巣の一員だったのだから、頭の中に入ってた。


 しかし俺が目指したのは、巣の外じゃなくて、戦利品が纏めておかれてる宝物庫。

 逃げて状況が落ち着けば、この巣のゴブリンは俺を敵だと認識するだろう。

 だからあそこに入れるのは、今、このタイミングしかない。


 幸いであり、厄介な事に、少しずつ俺の身体は大きく成長し始めた。

 授かったジョブ、騎士の力が、弱い身体を強く変質させているのだ。

 ジョブ持ちの個体、特に戦士のジョブを授かったゴブリンファイターは、並のゴブリンより体躯が大きい。

 更に上位の、例えば領主のジョブを授かった個体である族長、ゴブリンロードは、人間である母よりもずっと大きかった。


 恐らく俺も、族長程とは言わずとも、ゴブリンファイター並みには身体が大きくなるのだろう。

 身体の大きさは即ち強さで、強さを得られるのはありがたい話だが、今はその大きさが目立ってしまって、他のゴブリンに紛れ難くなる。

 少しでも早く目的を果たし、この巣から出なければならない。


 俺は他のゴブリンとすれ違う度に何も知らないフリをしたり、握った槍で喉を突いて殺したりして、宝物庫へと辿り着く。

 同類を殺す感覚は、酷く嫌な物だけれど、それを嫌悪する時間も今は惜しくて。

 騒ぎを尻目に、俺は宝物庫を漁った。

 母が騎士だったというのなら、騎士のジョブで扱うべき武具が、何か一つはこの宝物庫に眠ってる。


 箱や袋を片っ端から開いて、価値の良くわからないガラクタをひっくり返して、俺が見付け出したのは、剣でも鎧でもなく、兜が一つ。

 剣は族長か、或いは他のジョブ持ちの誰かが自分の物にしてしまって、鎧は母が捕まった際に壊れたのかもしれない。

 兜は、普通のゴブリンよりも大きくなり始めた俺の頭でも、すっぽりと入った。


 これが限度だ。

 これ以上ここに留まれば、母の残した生きろって言葉を果たせなくなる。

 もっと探したい。

 他にも何かあるんじゃないかって気持ちに封をして、俺は宝物庫から、そして巣からも逃げ出した。

 兜一つを頭に被って。


 だけどこれから、俺は一体どうすればいいんだろうか。

 もう、巣のゴブリンは俺を敵と見做して、遭遇すれば殺しに掛かって来るだろう。

 他の巣のゴブリンであっても、それは同じだ。

 そもそも他所の巣のゴブリンなんて、複数の巣を纏め上げる王、ゴブリンキングでも現れない限りは殺し合う敵である。


 でも母と同じ人間のところにだって、当たり前だがいける筈もない。

 バイザーをおろせば、兜は俺の顔を隠してくれるが、それだけでゴブリンである事を誤魔化せるとは思えなかった。


 もう俺に、行く当てなんてどこにもないのだ。

 一人で生きるにしても、どのように生きるべきなのだろうか。

 ゴブリンらしく生きるなら、自分の巣を構えて他種族の女を攫い、産ませた子を配下とする。


 あぁ、それは間違いなくゴブリンらしい生き方だけれど……、どうやら俺にはできそうにない。

 それは騎士ではないと、俺が授かったジョブが、或いは母の呪いが、耳元でそう囁いていた。

 騎士、騎士、騎士とはいったい何なのだ?


 戦士であるゴブリンファイターでも、狼に乗る騎手であるゴブリンライダーでも、魔術を操るゴブリンマジシャンでもない。

 戦う力を与えるだけじゃなく、生き方を縛るジョブなんて、俺は知らない。

 だけど俺は、間違いなく騎士だった。

 それが何なのかもわからぬままに、そう在れとされた、騎士である。


 とにかく、生きよう。

 母の言葉の通りに生きて、そして騎士とは何かを知ろう。

 俺にそれを教えてくれる誰かなんていないだろうから、俺は自分の中のジョブと対話し、それを知る必要がある。

 そんな事、できるのかどうかもわからないけれど、この騎士のジョブが俺の生き方を縛ろうとするなら、何時かは理解ができる筈。



 あてもなく、彷徨い続ける哀れなゴブリンの騎士ゼファード。

 その旅路は、宿りし騎士の在り方に導かれるままに。 

 母がくれた呪いと共に。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゴブリンの騎士 らる鳥 @rarutori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ