カンブリア・キッチン

タカば

Cambria kitchen

「あっれ~……おっかしいなあ」


 スマホ片手に歩いていたツレが立ち止まったので、俺も立ち止まった。


「何が?」


 人通りの多い繁華街のど真ん中で、スマホ画面とにらめっこしている彼女をさりげなく道の端に誘導する。そろそろ夕食時。こんなところにいたら、会社帰りのサラリーマンやOLの邪魔だ。


「お店が見つからない……地図アプリの表示、あってるよね?」


 ほら、とスマホ画面を見せてくる彼女の名前は、小此木茉莉。会社の同期だ。

 一か月の合同新人研修のあと別々の部署に配属された俺たちは、一年たった今でも連絡をとりあっては、こうして会社帰りに出かけている。

 理由は、お互いに共通の趣味があるから。


「この間みたいに、もう閉店してるんじゃないだろうな? 隠れた名店でも、隠れすぎてるとさすがに客が来ないし」

「今回は大丈夫ですー! 昨日予約確認したら、ちゃんとシェフが出たもん!」


 隠れた名店探し。

 それが俺たちの共通点だ。

 といっても、ただのお店じゃつまらない。他の店では食べられない、一風変わった料理を出す店を探しては、お互いに紹介しあっていた。


「大原くんが連れてってくれた、ワニ肉のお店を越える名店を紹介したくて、めちゃくちゃ調べたんだから!」

「あー、あそこ美味かったよな」

「鶏っぽいのに、ぷりぷりでおいしかった……あれは10年に一度の逸材……じゃなくて! 今日行くお店は、そこより絶対、珍しくておいしいから!」

「まあ、それでも見つからないんじゃしょうがないけどな」

「だから、ちゃんと店はあるって」


 小此木の見せるスマホ画面を覗き込む。

 確かに、店は今立っている場所のすぐ近くにあるようだ。


 小此木と一緒になって、俺も辺りを見回してみる。ふと、ビルとビルの間の隙間に、小さな看板が掲げられているのが見えた。


「Cambria kitchen……?」


 古ぼけた地味な看板にはそれしか書いてない。

 だが、キッチンと名付けるからには、料理関係の店だろう。

 看板に近寄ると、その隣にビルの隙間の奥に隠れるようにして、地下への入り口があった。

 薄暗い螺旋階段の先にバーらしき店の扉がある。


「なあ、これじゃないのか?」

「あ、それだ! さすが大原くん!」


 小此木は看板の文字を確認すると、ぱあっと顔を輝かせた。


「すっごい料理が出てくるお店なんだよ~! 行こう」


 彼女はウキウキで階段を降り始めた。俺も慌ててその後に続く。

 ただ細い階段を降りていくだけなのに、一歩降りるごとに繁華街の喧騒が遠くなる。まるで、深い海の底へと潜っていくようだ。


「いらっしゃいませ」


 藍色のドアを開けると、白いシェフコートを着た青年が俺たちを出迎えた。他のスタッフの姿はない。恐らく彼ひとりで切り盛りしている少人数制の店なのだろう。


「予約の小此木です」

「お待ちしておりました、カウンター席にお座りください」


 シェフにコートを預けながら、俺は辺りを見回した。

 小さな店だった。

 店内には小ぢんまりとしたバーカウンター兼キッチンがあり、シンプルな椅子が5脚だけ並んでいる。レイアウトは小さな小料理屋、といった感じだけどディスプレイが異彩を放っていた。


「これはすごいな……」


 客席側の壁には、一面水槽が並んでいた。大小さまざまなその中では、見たこともないような魚が何匹も泳いでいる。いや、魚だけじゃない。中には尾ひれのついていないナマコっぽい生き物もいる。


「綺麗なディスプレイですね」


 そう言うと、シェフは笑った。


「そちらは全部生け簀なんです」

「生け簀? これが?」

「ええ。お客様に新鮮なものをお届けしようとしたら、水槽の数が多くなってしまって。だったらいっそ、全部ディスプレイにしたほうがいいかなと」


 彼はずいぶんと思い切りのいい人らしい。


 どんなものが出てくるんだろう?

 俺は期待と不安にどきどきしながら、椅子に座った。


 すぐに冷酒と一緒に小鉢が出された。

 中を覗き込むと、人の指先程度の小さな魚が何匹も、小山のように盛り付けられていた。山の頂点には、ちょこんとショウガが載っている。

 一見した感じは、白魚の刺身のようだった。


「ミロクンミンギアのお刺身です」

「みろく……なに?」


 ずいぶんややこしい名前の魚だ。一度聞いただけでは、名前が全部覚えられない。


「ミロクンミンギアです。左手の水槽にもいますよ」


 シェフが案内する先を見ると、水槽に小さな魚が群れをつくっていた。キラキラと透明な体をくねらせながら泳ぐ姿は、やっぱり白魚っぽい。しかし、よく見ると白魚にしては目が小さい。ほぼ点にしか見えない。それに、尾びれや胸びれもほとんどなかった。


「いただきます……ふわぁ……!」


 ミロクンミンギアを口にした小此木の顔が、ぱあっと輝いた。


「おいしい……!」


 小此木がここまで嬉しそうな顔をするのは滅多にない。俺は白魚もどきを軽く醤油にひたすと、口に含んだ。

 そのとたん、口の中でミロクンミンギアが、溶けた。

 口いっぱいに新鮮な甘みが広がる。


「なんだこれ……口の中で消えるんだけど?」

「魔法みたい!」


 魚の甘みをスッキリとした冷酒で流しこむ。

 日本酒との相性が良過ぎて、酒、ミロクンミンギア、酒、ミロクンミンギア、と交互に口へ運ぶ手が止まらない。


「これ……お魚なんですよね?」


 小此木がシェフに尋ねた。


「非常に原始的な魚の仲間です。ミロクンミンギアには、硬骨魚類の持つ背骨というものがないんですよ」

「え、骨がないんですか?」


 それでどうやって泳いでるんだ。


「脊索という柔らかい器官があって、神経を支えています。とはいえ、骨ほど硬くはありませんね」

「だから、口の中でひっかからないんですね……」


 小此木はふんふんと頷いている。俺もまじまじと刺身のミロクンミンギアを見た。目が異常に小さく、背骨もない生き物は、魚のおばけみたいだ。


「こちら、てんぷらにしてもおいしいんですよ?」


 じゅわあっ、という揚げ油の音が、刺身に夢中だった俺たちの手を止めた。

 揚げたてのかき揚げがひとつずつ、俺たちの前に置かれる。ついでに冷酒のお代わりも。


「ミロクンミンギアのかき揚げです」


 今度は俺のほうが先にかき揚げにかぶりついた。

 さくさくの衣と一緒に、ミロクンミンギアの柔らかな身が口に広がる。刺身とはまた違った、ふんわりとした甘い香りがした。


「うまい……!」


 隣を見ると、小此木はかき揚げを口に含んだまま、興奮した顔でこくこくと頷いた。

 彼女も同意見らしい。


「揚げ物もいいね」


 刺身の時と同様に、酒とつまみを交互に楽しみつつ小此木が笑う。

 うーんでもなあ。

 ミロクンミンギアと日本酒のさわやかなおいしさもいいんだけど、成人男性としては、ここでひとつガツンとくるものが食べたい。

 日本酒もいいが、ビールの爽快感も捨てがたいのだ。


 そう思っていると、シェフと目があった。

 彼は楽し気に笑う。


「次はから揚げですよ」


 またじゅわっという揚げ物の音がする。

 期待通りのメニュー運びに、嬉しくなってしまう。


「どうぞ、ハルキゲニアのから揚げです」


 俺と小此木の間に皿が置かれた。

 皿の上では小さな何かのから揚げが山盛りなっている。雰囲気としては、居酒屋名物小エビのから揚げだ。

 しかし、小エビにしては形がおかしい。

 エビのヒゲとか足っぽいものはあるんだけど、身がない、というか細い。


「ハルキゲニアも、水槽にいるんですか?」

「ええ、そちらの右手の水槽ですよ」


 小此木がたずねると、シェフは生け簀の場所を教えてくれた。そこには、なんとも奇妙な生き物がいた。

 いや、生き物と言っていいんだろうか?

 体自体は、やわらかそうなナマコのような姿をしている。しかしその背中には何本もの鋭いトゲがついていた。そしてトゲの反対側、体の下側にはぷよぷよの触手が何本も突き出ていていた。こいつはこの変な触手を動かして歩くらしい。

 ナマコがトゲと触手をつけている様子は、生き物というより子供の落書きっぽい。


「おもしろいでしょう。名前の由来は、ラテン語の幻想という言葉だそうです」

「幻想、っていうか、悪夢っぽいなあ」


 こんなの夢に出てきたら、絶対うなされるぞ。


「これはトゲごと食べちゃっていいんですか?」

「はい、よく揚げてますから香ばしいですよ」


 気が付くと、冷酒の代わりにビールのグラスが置かれていた。

 ここはビールで、ってことらしい。


 俺は奇妙な生き物のから揚げを、箸でつまんで口の中に放り込んだ。

 口の中で細いトゲがパキパキと折れていく感覚がおもしろい。身のほうは、というと適度に弾力があり、かみつぶしたらじゅわっと肉のうまみが染み出してきた。

 硬さと柔らかさ、香ばしさとうまみ、ふたつの味わいが混ざり合う。

 そこにビールの爽快感を加えると最高だった。


「おいしい~……ビール何杯でもいけちゃう」

「本当に何杯もは飲むなよ。あとで送り届けるのは俺なんだからな」

「わかってる! わかってるよ! でも……おいしすぎて手が止まらないんだよ! シェフ、ビールおかわりください!」

「人の話を聞け!」


 俺の忠告むなしく、新たなビールが小此木の前に運ばれる。

 お前なあ……俺だからいいけど、飲んだあとにどうこうしようと思ってる奴だったらどうする気なんだ。


「メインディッシュは、アノマロカリスのボイルです」


 店長は冷蔵庫から大皿を出すと、カウンターの上にどん、と載せた。

 目を疑うような光景に、俺は一瞬絶句する。


「……?!」


 皿に盛られていたのは、体長1メートルはあろうかという巨大な生き物だった。

 ソレは全体が殻で覆われていて、雰囲気はエビっぽい、しかしエビのように腰は曲がっておらず、まっすぐだ。そして体の左右には細かいヒレっぽいものが並んでいる。頭部分には丸い口があり、そのすぐ脇にツノみたいなものが2本突き出ていた。ツノの内側には細かい足がついている。巨大な生き物の口に、唐突にエビの体だけを張り付けたような姿だ。


 シェフはそのツノのようなエビのようなものに手をそえた。


「これは触腕といって、口にエサを運ぶ手のようなものですよ」

「へえ……」

「かっこいいですね!」


 茫然とする俺の横で、小此木は目をキラキラさせている。

 これのどこにかっこいい要素があるんだ。わからない。


「えっと……これを……食べるんですよね? どうやって?」


 アノマロカリスは、全体が殻に覆われていてどこから手をつけたらいいかわからない。


「ふふ、心配しなくても大丈夫ですよ。今から私が解体しますから」


 シェフはそう言うと、触腕に手をかけた。そして思い切りよく引きちぎる。

 二本ともちぎってしまうと、丁寧に殻を外して皿に盛りつけた。


「アノマロカリスの触腕、バジルソース添えです」


 ことん、と目の前に置かれた皿は上品で美しい。

 これだけだったら大きなエビ料理にしか見えない。


 カウンターに置かれたアノマロカリスは異様だ。見た目だけならゲテモノの類である。

 しかし、これまでに食べた3品はどれもおいしかった。

 これも絶対うまいやつ!


 俺と小此木はお互いに目配せして、頷きあうとアノマロカリスを口にした。


「うわあ~ぷりぷり!」

「身のぷるんとした食感が最高!」


 アノマロカリスの触腕はやっぱりおいしかった。

 味は全体に淡泊だけど、添えられたバジルソースが身の甘みを引き立ててくれる。

 何より注目すべきはその食感で、一口噛むごとにぷりんとした抵抗があり、咀嚼するのが楽しい。


「ここは白ワインあたりが……おっと」


 気が付いたらビールが白ワインにすり替わっていた。

 お見通し、ということらしい。


「中の身もおいしいんですよ」


 シェフはアノマロカリスをひっくり返すと、背中の殻に包丁を入れた。バキバキと割り開くと、中から真っ白な身が出てくる。


「このあたり……ヒレの付け根部分がおすすめです。一番筋肉が発達している部分ですから」


 そう言いながら、スプーンでひょいひょいと身をすくっていく。

 見ている間に、皿ふたつに小さな身の山ができていった。


「そのまま食べるんですか?」


 そう尋ねると、シェフはいたずらっぽく笑う。


「シンプルに塩と柚子でもいいんですが……今日はとっておきをお出ししましょう」


 何をするつもりなのか。

 見ていると、シェフはスプーンをズボッとアノマロカリスの頭につっこんだ。

 そして中から出て来た灰色の何かをミルクパンに入れていく。


「アノマロカリスのミソでソースを作ります。コクがあっておしいですよ」


 ミルクパンに酒を加え、軽く加熱する。

 しばらくすると、カニミソにも似た独特の磯の匂いがたちこめてきた。


 シェフは身の小山にソースを添えて俺たちの前に置く。


「あああ……もう見ただけでおいしいやつじゃん、これ!」


 食べたくてうずうずしていたらしい。

 小此木は早速アノマロカリスの身に箸をつけた。俺もその後を追う。


 まずは、何もつけずにそのままの味を試してみる。

 ぷりぷりだった触腕とは違い、こちらはふんわりとしていた。味わいは上品で奥ゆかしい。

 このままでも、充分評価できる一品だ。


 しかし、皿にはまだソースが残されている。


 俺は灰色のソースに白い身を乗せた。色の加わったそれを口の中にいれる。

 その瞬間の感想は、なかなか一言では言い表せない。

 上品な身に絡まった、下品なくらいに濃厚なソース。全く違うふたつの味わいが混ざることで、最高の一品へと変貌していた。


「……うまい」


 ぽつりと、そうつぶやくのがやっとだった。


「ふふふ、これは大原くんのワニ肉のお店を越えたね!」


 私の勝ち、と小此木が嬉しそうに笑う。

 確かにここにかなう店は、そうそうないだろう。


 俺が頷くと、彼女は得意満面になった。

 ……とはいえ、実のところ俺にとって隠れた店探しは、口実でしかないんだが。

 気づくのはいつのことやら。


「このおいしさは、もう殿堂入りだね! また来ようよ」

「そうだな」

「あ……お客様」


 シェフが困り顔で俺たちの会話に割って入った。


「申し訳ないんですが、実は明日でこの店を閉めるんですよ」

「え」


 今まで上機嫌だった小此木の顔から表情がすっぽぬけた。

 目をまんまるにして、シェフの顔を見る。


「えええええ……こんなにおいしいのに閉めちゃうんですか? そんな、もっといろいろ食べてみたかったのに!」


 俺も、この店の不思議な料理はもっと食べてみたい。

 今日これかぎりなんてもったいない。


「ええ……そういうご要望が多いんですよ。もっといろいろ食べてみたい、と」


 シェフはいたずらっぽく笑う。


「なので、カンブリアだけではなく、古生物全般を扱うPaleozoic kitchenとしてリニューアルしようかと。アンモナイトの刺身とか、食べてみたいと思いませんか?」

「最高! 大原くん、また来ようね!」


 キラッキラの笑顔を向けられて、俺は頷くしかなかった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カンブリア・キッチン タカば @takaba_batake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ