セクストゥスのお面

飯田太朗

着面は市民の義務である。

 昔からお面が好きだった。いや、「好きだった」と言うと語弊があるか。

 我々ヴェリタス市民はセクストゥスのお面をつけることが義務付けられていた。男は赤の、女は青のセクストゥスのお面をかぶって日々生活を営んでいた。お面を外すことは週に一度の沐浴の時以外ない。その沐浴でさえ、各家に設置された個室を家族が順番に使うことになっているからお面の下が見られることはない。私たちの「顔」が見られることがあるとすればそれは生まれたその瞬間だろう。誰もが皆同じような顔をしている乳児の時。しかしお面は生まれてすぐの子供にも与えられる。セクストゥスのお面は市民の義務であると同時に人権だった。このお面をつけていれば人として認められる。

 人々が何故セクストゥスのお面をつけるようになったか。それにはお面にかけられた魔法について話さねばならない。

 セクストゥスのお面。通称、「まことのお面」。このお面を被って世界を見渡すと世界の「真実」が見える。からくりの仕組み、魔法の本質、人の心。もちろん嘘も見抜ける。すなわち第六感のお面であり、これをつけていれば霊的な存在も見ることができるし、匂いを聞くことも、音を舐めることもできた。セクストゥスのお面は真実を見破るのと同時に全てを見せてくれた。文字通り、この世の全てを。

 ヴェリタスの市民は誠を何よりも重んじる人たちだった。嘘は嫌いだ。そしてこの世の全てを知りたい。

 セクストゥスのお面はそんな市民にはうってつけのお面だった。嘘をつけば見破られる。イカサマをされても看破できる。市民は素直で実直だった。バレると分かっている嘘をつく人なんていないし、不正はその瞬間正されるのだからはたらきようがなかった。ヴェリタスの市民は誠の市民だ。神に愛されし市民だった。

 そんなヴェリタスの町のはずれに小さな掘立小屋があり、聞くところによると、その小屋に住む老人がポージティオしていたらしい。「ポージティオ」とは脱面、つまり沐浴の時以外に面を外していた、ということである。ポージティオは犯罪である。

 着面は市民の義務である。これを外すということはすなわち体制への反抗を示す。

 役人たる私はその町はずれの老人の件に関して事実確認をすべく一路噂の掘立小屋に向かった。衛兵の横を通り町の門から出ると、世界は崩れてしまいそうなくらい暗くても脆くて、私はすぐに家に帰りたくなった。名前も知らない花が綿毛を飛ばしていた。

 小屋に着いた。私は戸を叩く。

「君に脱面の疑いがかかっている。ただちに顔を見せなさい」

 しかし戸の向こうで物音がしない。息を潜めて居留守をしているのだ。そう思った私は強く戸を叩いた。

「いるのは分かっている。ただちに顔を見せなさい」

 静寂。私は戸に手をかけた。

「開けるぞ」

 と、手に力を入れた時だった。

「君はお面を被っている」

 老人の声がした。

「いるのか。やはり」

 私は声を荒げた。

「出てきなさい。君にポージティオの疑いがかかっている」

「セクストゥスのお面は発明だった」

 老人の声に、力がこもった。

「人の本心が見える。嘘が見破れ、仕組みを理解し、さらに五感を混ぜ合わせ移ろう者の存在も感知することができる」

「出てきなさい」

 しかし私の手には力がなくなっていた。

「あのお面を最初に作ったのは私なんだ」

 老人の声がハッキリし始めた。

「妻を見ようと思った。妻というのは結婚してすぐ亡くなった私の最愛の女性のことで、私は彼女に会いたくて会いたくて、会いたくて、移ろう存在を見つめるお面、すなわち第六感の仮面ことセクストゥスの面を作った。これを使って私は妻に会った。妻は死後も美しかった! 私は毎日妻のために花を摘んだし毎日妻に愛を囁き続けた。そして、もちろん、私も男だ。毎晩妻を愛撫した。毎日妻を啄んだ。隅々まで愛したし情熱をかけた。だがある日思った。私はお面を被っている。つまり素顔を妻に見せられない」

 戸にかけていた手が離れた。

「寂しいことだった。私は妻に顔を見せたかった。私が妻の顔を見ているように妻にも私の顔を眼差して欲しかった。だからお面を外した。そして驚いた」

 何も言えなかった。

「私が毎晩愛撫していた妻は死体だった! 肉が腐り蛆虫が湧き、妙な粘液に包まれ強烈な腐臭がし蝿がたかっている、ただの腐乱死体だった。私は腐った肉に毎晩口づけし、腐った肉を撫でていたのだ。私は目が覚めた。そして面を捨てた。だが悲しいことに、私はお面屋だった。セクストゥスのお面は既に売りに出していたし人々は嬉しそうにそれを被っていた」

 いつの話だ、と私は思った。セクストゥスのお面の起源について話しているのか? そんなの分からない。生まれた時から何の疑いもなく着けているお面だ。

「あなたも今、セクストゥスのお面をつけているのだろう」

 老人の声に張りが出ていることに気づいた。おかしい。何かがおかしい。

「お面は真実を見せる。そう教えられているのだろう」

 老人の声が、明らかに、若返っていた。

「第六感を信じることは大事だ。だが考えてみて欲しい。目に見えたものだけを信じていたら、背後から迫る音に気づけない。耳に聞こえたものだけを信じていたら、人は景色を見ることはできない」

 それはもう青年の声だった。青年は続けた。

「ヴェリタスの市民は第六感を信じすぎた。妄信だ。それが意味するところは何か」

 声は若返り続ける。

「君に問う」

 もう、少年の声だった。

「お面の下はどんな顔? それが君の、本当の顔なのかな……」

 私は悲鳴を上げて小屋から離れた。それから一目散に家へと帰った。仕事のことはどうでもよかった。報告は明日にでもすればいい! 今はとにかく何よりも、妻に会いたかった。子供の声が聞きたかった。愛犬の匂いを嗅ぎスープを舐め、石鹸の感触を確かめたかった。しかし全部なかった。

 全てセクストゥスのお面を通じて入ってくるのだ。家に入ってすぐ目に付く「妻の顔」、そして「子供の笑い声」「愛犬の毛の匂い」「スープの舌触り」「石鹸のぬめり」……全部セクストゥスの面が私に与える情報だった! 

 しかしそれは別段、何の問題もないことなのだ。だっていつものことなのだから。私はいつも、いや常に、セクストゥスの面を通じて世界を感じていたしこれからもそうなるはずだった。しかし老人が、いや、青年が、少年が、私の世界に疑問符を投げかけた。あいつの言うことが正しければ、私が今感じている世界は、もしかしたら……そう、面を外してしまえば……。

「どうしたの?」と、「妻の声」。私は振り返る。

「君は……」と「私の声」。何もかもが面を通して、私に入り込んでくる。

 と、いうことはつまり、面を外せば私の世界はなくなってしまうのか? 

 私がいることは一旦自明として、面を外せば、私以外の「世界」は……。

 そう気づいてからはもう止められなかった。私は面に手をかけた。

「駄目!」と「妻の声」。

 だが私は面を外していた。


 了

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セクストゥスのお面 飯田太朗 @taroIda

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